今日の山際淳司

ご多分にもれずドイツ vs 韓国をTV観戦。もうすぐ決勝ですかあっという間ですねぇ。いやー日本が負けたらなんか気が抜けちゃいましたね祭の途中なのに祭の後みたいというか。こんなのが時候のご挨拶になったりするんでしょうか。

というわけで久しぶりに山際淳司を読み直してみます。スポーツノンフィクションをよむには絶好の時期という感じ。やっぱりいいなぁ。その中にW杯大熱狂の中でうすうす感じていた思いをズバっとついてくるような文章を見つけてしまいました。ちょっと長いですけど引用してみます。

 ……ぼくがこの十年あまり、スポーツを見つづけて感じたことの一つは、なぜ自分はいつもゲームを見る側にいるのだろうか、ということである。…(略)…観客は受身の存在としてじっとスタンドに座り続けることしかできない。できることといえば、応援したり悪態をついて気分を晴らすことぐらいだろう。それよりもむしろ、ぼくはたとえば打たれてもマウンドに立ち続けるピッチャーのほうがいいと思う。敗戦投手であろうが、かれは自分で手ごたえをつかむことができるからだ。……

当たり前といえば当たり前のことなのかもしれないけど、タイミングによってはそんな当たり前の言葉が一番響くのかもしれないですね。声の限りに叫び、得点シーンに歓喜して、結果として勝利すればまた喜びを爆発させる。そんなシーンをこのひと月でたくさん見ました。これだけまとめて見たのは初めてかもしれない。でもそろそろ祭の最終盤にかかるにしたがって、あのサポーターたちはどこに帰るのだろうということが気になり始めています。

われながらちょっと気が早いなぁ(^_^;)。