三国峠の生意気な売店

滝上町でひまわりを見たあとは、旭川を抜けて東へ向かいます。道中、層雲峡の向こうにあるのが三国峠。旧地名で石狩国十勝国、北見国の三国にわたる峠であることから三国峠と名付けられたのだとか。標高は1,139mと、北海道内ではもっとも高い位置にある自動車通行可能な峠です。いいサンキューです。なお、国内でもっとも標高の高い自動車通行可能な峠は大弛峠の2,360m。兄さんむおぅ。
にしても石狩国とはまた古めかしい。いま聞いてみると不思議な感じがするものですな。でもってこの旧地名というものを調べてみると、明治開拓時代以前の北海道の歴史がわかってなかなか面白い。たとえば江別古墳群は律令制時代につくられた日本最北の古墳であるとか、江戸時代にはすでに少なからぬ地方が知行地として存在していたとか。はては水戸藩主である徳川光圀石狩川の調査をしていたりもする。ふーむ知らなんだ。
でさて、その三国峠をわたる道路は1969年に国道273号となり、1994年には全面舗装化にともなって冬期間の通行も可能になっています。峠には駐車スペースがあり、なかなかよい景色です。売店もあります。
この売店なんですが、売ってるモノはこれというものもありません。普通のおみやげです。ただ、コーヒーだけが妙に本格的でした。メニューを見ると「モカ(浅煎り)」とか書いてあるわけですよ標高1,139mいいサンキュー地点で。ただの峠の茶屋かと思ったら、案外侮りがたいところがあります。というわけでフレンチマンデリンをお願いしてみました。ふむ。ペーパードリップだけど普通にウマい。眺めもよいのでまったりできる。
よもや標高1,139m地点でおいしい珈琲が飲めるとは思わなかったなあ、というわけで妙に印象に残っているのでした。なんというかまあ、生意気ですわね。また行く機会があったらぜひ寄ろう標高1,139m地点。いいサンキュー。

北竜町ひまわりまつり

ひまわりをたくさん植えていることで有名な北竜町へ行ってきました。以前訪れた菜の花の里、滝川町よりももう少し北に位置しています。人口は2,200人ほどと少なめ。昭和40年には4,600人ほどだったのですが、そこから見ると半減となっています。ご多分にもれず高齢化も進行中。
もともとは明治26年、千葉県からの団体入植によってできあがったんだそうです。ただしそれでできたのは雨竜町。その雨竜町から明治32年にわかれて発足したのが北竜町になるんだとか。雨竜町の北にあるから北竜町。なお、当時雨竜町はまだ町ではなく村だったようです。それなら分村なんかしなくても、村から町にグレードアップしてしまえばよかったのに。なにがあったのかよくわかりませんが、まあなにかあったんでしょう。村のままの方が都合がよかったのかもしれない。
ちなみに雨竜町からはその後、上北竜村(現沼田町)が分村しています。さらに上北竜村からは幌加内村(現幌加内町)が分村していたりもする。分裂しまくりです。現在の雨竜町、沼田町、幌加内町の3つの町を合わせても人口は7,000人程度なんですが、それでも近年の合併ブームをそのままやり過ごしているあたりはなかなかのものです。ちょっと想像力をたくましゅうしたくなりますけど、まあそこは下衆の勘ぐりなんでしょう。なにかあったのかもしれないし、なにもなかったのかもしれません。
この北竜町、確かに人口は少ないわけですけれども、小さいながらにはっきりとしたコンセプトをもった町作りをされているようです。とにかくひまわりプッシュ。なにをさいてもひまわりなのであります。なにせひまわりの作付面積は日本一。街灯もひまわりをモチーフとしたつくりにしてますし、町でつくるメロンは「ひまわりメロン」で、スイカであれば「ひまわりスイカ」。道の駅の名前も「サンフラワー北竜」。道の駅は宿泊することも可能なつくりになっており、入り口には巨大な竜がおります。
…えー。
道を走っていると突然ドラゴンが現れる町なのですな。これがなんというか、すごく目立つ。なにせ周りは畑ばっかりなんだから、そこに突然ドラゴンが出てくればそれはイヤでも目を引きますとも。一種異様。いや、異様ではありますが、なんせ町名が北竜だもんなあ。仕方ないよなあ。仕方ないのかなあ。どうだろうか。


ともあれひまわりです。町をあげての猛プッシュの甲斐あってか、夏場には20万人の観光客が北竜町を訪れるそうです。住んでる人の百倍。立派なものです。ひまわりで迷路だってつくります。なぜかダチョウも飼ってます。トラクターの後ろに客車をつけて観光案内もするし、レンタサイクルだって用意されてます。隣の野球場では隣あった役場チーム同士が代理戦争をしたりもします。
代理戦争?
というかひまわりってなにに使うんでしょうね。種を食うったって高がしれてますし……ということでググってみます。どうやらヒマワリ油として用いられることが多いらしい。マヨネーズ等の原料、菓子類のつや出しなんかに使うみたいですよ。ちょっと変わったところではバイオディーゼル用の燃料として使うこともあるんだとか。ふーむ。
今回は皆さんの夏休みが終わったあたりを狙って出かけたので、ひまわり畑もそろそろおしまいという雰囲気がそこはかとなく漂っておりました。うーむ。やはりいくら人混みがイヤだからってピークを逃しちゃいけませんな。その後に予定があったこともあって駆け足での訪問になったのですが、それでも300円払って迷路にも入ればよかったかもしれません。畑の周りをまわってるだけじゃ、撮れる写真も限られてるしなあ。
それでも元気に咲き誇る花もいくらかはあったりして、また行ってみたいものだと思わせられました。今度はピークのときにぜひ。札幌からは車で2時間ほど。

京極町/神威岬

日曜を無聊にすごすのもなんなので、中山峠→京極町神威岬というルートでドライブしてきました。ライダーがたくさんいて夏だなという感じがします。北海道の人はそのようにして夏の訪れを知ります。
中山峠、京極町のあたりでは本来羊蹄山の眺望が得られるはずなんですが、今回は残念ながら曇りがち。中山峠の揚げ芋も食わず、なにしに行ったのやらという感じです。でもお昼ご飯食べたあとでジャガイモ串(三連)は無理です。くやしいのでソフトクリーム食べたりしました。冷たくて甘いものです。
で、京極町。こちらは銘水の地として知られています。羊蹄山麓の湧水、というだけでなんとなくうまい気がするほどです。しませんか。あとは京極夏彦の出身地でもあります。これでもかというくらいに分厚い本で有名です。作家でありながら鈍器の制作者と言ってもよいという、実に希有な方でいらっしゃる。町の人口はおよそ3,800人。マスコットキャラクターはゆうくんとすいちゃん。水滴をモチーフにした、まるで水道局の広報キャラクターのようなたたずまいを京極町のサイトで見ることができます。
銘水に触れたければ町内のふきだし公園に行くとよいです。休日ならペットボトルやポリタンクを抱えた人をたくさん眺めることができるでしょう。私はもちろんそんなに準備がよくないので、水を汲むことはできません。手を洗うくらいがせいぜいです。うむむむむ。なんだか悔しいので、悔し紛れに写真を撮ってみました。園内の手すりを利用してスローシャッターを試すことができたので、多少溜飲が下がりました。

途中で原発のある泊村を通過しつつ神威岬へ。余談ですが原発PR施設であるところのとまりん館は入場無料でトイレがとても綺麗なので、道の駅がわりに利用するといいと思いました。余談終わり。
神威岬には昨秋にも訪れて薄茶色の地味な写真を撮影したことがあります。とはいえさすがにこの季節はすばらしい緑を目にすることができます。海も青いです。しかしながら惜しむらくは到着時刻が遅すぎた。もうすっかり日が陰ってしまっています。夕日はちょうど岬の向こうに沈む格好になりますので、いくら写真を撮っても逆光で真っ黒です。順光で撮った景色は岩が主役です。それでいて苦労してたどり着いた岬の先端は、中国語かつデカい声で喋る人々と、ベンチに座っておのれらのみの世界に浸りきるカップルに占拠されています。時代が時代なら神威岬は女人禁制の聖地であったはずなのですが、それが少々の時を経てこのようなことになるとは。なにやら珍妙な気もします。
まったくもうどうなってるんだか。というわけで、またしても悔し紛れに写真を撮ります。19時30分の閉門ぎりぎりまで粘って日没の写真を撮ります。なんかゴールデン洋画劇場みたいなおもむきです。撮影を終えて駐車場に向かうと、なにやらご立派な撮影機材を抱えた人々に会います。老後の趣味を写真とさだめたとおぼしき方々です。かかえた三脚だけで私の手持ちのカメラとレンズ代くらいはまかなえるでしょう。意味もなく負けた気がします。

そこから札幌までは約2時間。帰路で事故渋滞に遭遇したりもします。自宅到着は21時30分。走行距離はおよそ300km。次の日は仕事だというのに我ながらよくやります。
というわけで実に楽しい週末でした。神威岬にはまた行きたいと思います。あそこのトイレは少々アンモニア臭がするけれども釧路湿原の鶴岡展望台ほどではない。でも今度はもうちょっと早い時間がいいです。

ハナショウブとへメロカリス

北海道農業専門学校の花菖蒲園が7月24日まで一般開放されているとのことなので行ってきました。入園料が300円。
北海道農業専門学校は昭和5年設立となっています。80年ほど前ですな。名前の通り農業を学ぶための2年生の専門学校ということで、札幌郊外の札幌ドーム近くにたいそう広い敷地を抱えています。実習で栽培した野菜の直売なんかもやっているそうな。敷地内の花菖蒲園は2haの園内に約450種10万株ということで、Wikipediaの名所一覧にも載るほどのものとなっております。
さて花菖蒲ですが、白、ピンク、紫など様々な色があることに加え、もろもろの特徴を数えるとその区分はおよそ5,000種類にも及びます。いやはやまさに色とりどり。6月ごろが見頃らしいのですが、北海道だと一月おそくてちょうど今くらいがよい季節。まあだいたいにおいて北海道の季節感なんてそんなもんです。日本は南北に長いのです。関東だけが日本だと思ってんじゃねえぞ。
なお、併設のへメロカリス園でも花盛りでしたのでそちらのほうも併せて見て参りました。むろん写真も撮ります。あいかわらずマクロ撮影ばっかりしてますが、その点ではシベの形がはっきりしているへメロカリスの方が撮りやすいように思われます。花粉の一粒まで撮れる。すごい。アロマノカリスみたいな名前もとても花とは思えない。すごい。


でも花菖蒲ももちろん撮りますよ。こちらは花びらの編み目模様がおもしろいですな。網目模様があるのはハナショウブではなくアヤメってことになるらしいんですが、正直いって見分けがつきません。「いずれがアヤメかカキツバタ」というやつです。まあいずれがいずれかはともかくとして、すっとまっすぐに伸びる立ち姿が美しいですね。でもって濃い紫色でスジがはいっているとまるで紫キャベツのようですね。
もう7月も下旬だというのに本日の札幌は20℃そこそこの気温で、湿度も低くたいそうすごしやすうございました。こんな天候が続けばラクでよいですな。いかにも北海道らしい、ということで皆さん観光がてら避暑にでも来るとよいと思います。

DOMKE F-3xサンド

前回さらっと書きましたが、カメラバッグとしてDOMKEのF-3xを購入しました。色はサンド。この色がいいなーと思ったのです。Yodobashiで20k円とちょっと。通販だともうちょっと安く買えるみたいですが、送料やらポイント還元やらを考えるとどっこいというところでしょうか。
ネットでF-3xの評判を見ると、クッション材がないので心許ない、ペラペラ、でもその分軽くてコンパクト……といったところです。他のカメラバッグを使ったことがないのでなんともいえませんが、たぶんそうなんでしょう。底面こそクッション材が使われてますが、他はキャンバス地そのままです。
そこだけ考えるとビミョーな気もしなくはありません。なんかあったら機材が壊れちゃう!ただ、DOMKEの創業者は元報道カメラマンで、カメラバッグを作るにあたってはなによりも機動性を重視したとのことです。それを考えれば、なるほどこのペラさも納得と言えるでしょう。
さらにF-3xのコンセプトは「持って走れる」です。もうこれはブレない姿勢ととらえるのが適当とさえ思われる。なんかあったら壊れるってんなら、なにも起こすなわかったか小僧。良くも悪くもカメラバッグらしくないところがあるのかもしれません。当然好き嫌いも別れる。
まあ個性ってのはそういうものでしょう。
で、収納に関して。私が現在手持ちにしているのはD-5000とレンズ4本です。そしてこれくらいなら余裕で収納可能でした。内部のレンズ用とおぼしき仕切りは62mm径だと少々キツい感じもするんですが、まあなんとかならないこともないです。加えてサイドポケットx2、さらに前面・背面・雨蓋裏にも収納がありますから、他にもいろいろ突っ込める。
実際に持ってみると少々小ぶりとさえ感じるのですが、それにしてこの収納力はたいしたものだと思います。持って走ってもまあたぶん大丈夫。キャンバス地の風合いはいかにも「使い倒してくれ!」と主張しているように感じられます。使い込んで味の出るタイプと言えそうです。
というわけでさて、あっちこっち引っ張り回すことといたしましょう。

浜益区の千本ナラ

DOMKEのカメラバッグを買ってしまいました。やはり専用のものは使いやすいですね。というわけで本日もお出かけです。薄曇ですが、時折日も差すのでまあ大丈夫でしょう。出発したのが昼過ぎで、そんなに混雑しない方向ということで北へ向かうことに。

浜益区は札幌から石狩方面を日本海にそって北上していくとそのうち現れます。一時間とすこしくらい。2005年に市町村合併石狩市の一部となり、現在は石狩市浜益区ということになっています。
そんな浜益区は漁業地区ということで、朝市なども開催されているようです。とはいえ早朝に一時間ほどかかる道のりを行かねばならんとなると、まず起きられるわけがないので行ってみる気にもなりません。早おきな方はチャレンジしてみるとよいでしょう。
ところで、浜益区の市街地から少しばかり離れたところにちょっとした山道があります。毘砂別ってあたりらしい。山道とは行ってもほとんどの区画は舗装されてますし、気をつければ対面通行も可能です。道すがらには唐突に展望台が現れたりもします。寄り道としては悪くない。
山道をしばらく行くと、道端に「千本ナラ」という看板が立ってました。へーえ。こんなところにねえ、と思って車を停めてみると、「新日本名木100選」なのだそうな。
なんだそれ…と帰宅してからググってみると『1990年(平成2年)大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」(通称:花の万博)の協賛を兼ね、読売新聞社国際花と緑の博覧会が全国から100の名木を選定。』なんて記述が見られます。ふーむ。巨木ブームのハシりみたいなもんでしょうかね。
ともあれ、そんな100選に選ばれるだけあってナラの木は立派なものです。といっても千本のナラの木が林立するのではなく、三本の巨木から千本の枝が伸びているように見えるからそう名づけられたんだそうな。で、件の三本の巨木にはしめ縄が張られていて、なにやらご神木のようなたたずまいです。そしてしめ縄には願い事が書かれたしゃもじがはさまれている。願い事がかなうんだとかなんとか。ますますご神木っぽいですな。しゃもじは比較的新しいものばかり見受けられたので、整備もきちんとされているようです。
で、いつものように写真を撮っていたのですが、肝心のナラの木はそこそこに、近くにあった倒木ばっかり撮ってました。いやー、苔とかきのことかが実にいい感じでして。
こんなことばっかりやってると、そのうち祟られるような気がします。気をつけよう。

岩保木水門

岩保木は釧路湿原にほど近い地区の名前です。「イワボッキ」と読みます。アイヌ語で「山の下」を意味するそうな。確かに近くにはさほど高くもない山がある。あたりを流れる釧路川はカヌースポットにもなっているのだとか。
そんなところに新旧ふたつの水門が並んで建っております。これが岩保木水門。遠矢駅前の交差点を曲がっていくとそのうちつきますので、行くのはそんなに難しくありません。
もとはといえばその昔、釧路川が氾濫を起こして困った人々が、治水のために設けたのだそうです。計画当初は材木も運ぼうともくろんでいたみたいです。ところが水門の完成よりも先に鉄道ができてしまって若干アテがはずれたとのこと。テキトーな計画だったんですな。
ともあれ水門の完成によって、海にまっすぐ流れ込む新釧路川ができました。地図を見ていただければわかるとおり、まことにまっすぐな人口河川です。さぞかし洪水も減ったことでしょう。

治水計画の着工は大正10年。完成は昭和6年となっております。およそ10年がかりの大工事。それでできたのが旧水門です。木造の古くさい趣深い建造物ですな。洪水がおきると一週間も水浸しってこともあったそうで、当時の人々はそりゃあ完成を喜んだにちがいありません。なお、新水門の方は旧水門の老朽化を受けて、平成2年に完成しております。ツインタワーです。
さてこの岩保木水門、北海道文化資源データベースを見るとこんなことが書いてあります。

この水門(岩保木水門)は、度々逆流現象が起こり効果的でなかったが

おいちょっとまてこのやろう。つい今しがた「さぞかし洪水も減ったことでしょう」とかワケ知り顔で書いたばっかりじゃねえか。「当時の人々はそりゃあ完成を喜んだにちがいありません」って、これじゃあぬか喜びもいいところだよ!
というわけでなんかイマイチだったみたいです岩保木水門。困ったものですね。テキトーなのは計画だけにしておけばよかったのに。まあそうは言いつつも60年ちかく使用され、今となっては文化資源ってあたり侮りがたいですけれどもね。ちなみに、

釧路湿原開拓史の遺産として、今日、その周辺が釧路川カヌーレジャーとともに、湿原景観公園として注目されている。

ということなんだそうです。ほう。なかなかの観光スポットぶりではないですか。水門のクセに逆流なんかしやがって困ったヤツだと言われつつ、今や立派な観光資源。地元に貢献。やはりものごとは長い目で見なければなりませんな。
でも私が行ったときは完膚無きまでの曇天にして人っ子一人いなかったんですけれども。あたりは見渡す限りの野原で、視界の中に人間の気配なし。生きものといえば鳥が囀りながら舞っていたくらいなもので。
……。
いやーまあその、なんだ。まだ観光シーズンには早いしね。きっと夏にはカヌーの人とか文化遺産マニアとかで黒山の人だかりですよね。そうですともそうに違いない。
ちなみに近くにはムダに広い雄大釧路湿原を望む細岡展望台もあります。車で砂利の山道を40分くらい。細い道なので対面通行は難しいですが、今回は一台もすれ違う車がなかったので問題ありません。展望台の近くにはビジターセンターもあります。駐車場のトイレはたいそうアンモニアくさいです。
久々に実家に帰ってまでなにをしているのやら。