脱Windowsなるか!? 〜Red Hat Linux 9 Professional導入記(PC Watch)

元麻布春男の週刊PCホットライン』より
タイトルは勇ましいが、内容は脱WindowsってよりもOSの多重化といったほうがいいような気がする。元麻布春男氏は最近「脱MS-Office」なんて記事も書いているようで、あんまりひとつのプラットフォーム(平たく言えばMicrosoft)に固執するのはテクニカルライターとしてどうか、とでも思ったのだろうか。どっちにしてもまだ掛け声ばかりって感じなんだけど。
まあ最近はLindowsを始めとして、安価なことをウリにしたOSも増えてきた。Open Officeなんかもあるから、ひととおりやりたいことはできるかもしれん。初心者が1台目として買うのは冒険だろうが、ある程度Linuxも使えるってパワーユーザーならいいんじゃないかとも思う。でもそうするとかなり市場が狭い。時間のかかりそうな取り組みではある。
それはともかく、記事中ではLindowsSun MicrosystemsのMad Hatterが取り上げられていた。参考になりますな。でもどっちも見た目がまるきしWindowsだよ。うーむ。LinuxでのGUIってのもGnomeKDEgtkやらなんやらいろいろあると思ったんだが、やっぱりとっつきやすさを考えるとWindowsに似てくるんでしょうか。でもそれでWindowsMac OSと並ぶ第三のGUI環境となりうるのかなあ。CUIとしての進化を遂げてきたUNIX系OSGUIWindowsと同じになっちゃうってのはどうなんだろうという気がする。
たしかにWindowsだって元はMS-DOSだし、ユーザーもMicrosoftもそのしがらみでずっと苦労してきたわけだ。でもWindows9x系はとうとう切り捨てられて、WindowsはようやくネイティブなGUI環境になった。Windosw XPにいたってもいまだにコマンドプロンプトなんてのが残ってるんだけど、あれも結局はエミュレータみたいなもんだし。その歴史がUNIX系の世界でもう一度繰り返されるのかしらん。まあUNIX系のGUIってやつは「ウインドウマネージャ」だから、ネイティブなGUI環境を作り上げるつもりはないのかもしれん。そもそも様々なコミュニティが渾然となっているUNIXの世界をひとくくりにしてしまう考え方にムリがあるかな。
でもWindowsのひとり勝ちを突き崩そうとして結局「Windowsもどき」を作っちゃうっってのはなんか今ひとつスッキリしないものがある。なんか歯切れが悪いけれども、要はWindowsともMac OSとも違う独自のGUI環境を作り上げてほしいし、その素地がUNIXな世界にはあると思ってるわけだ。でも今のところどうもそういう流れにはなってないような気がする。ひょっとして「第三のGUI環境」ってのがおかしい要求なんだろうか。そういう期待ならTRONとかにしたほうがいいのか?
あと、せっかくだから余談をもうひとつ。WindowsにはMac OSのマネだって言われてた過去があって、Windows 95の発売当初「Windows 95Mac OS 89だ」とAppleがコメントしていたこともある。もっともそれよりずっと前の1988年にAppleが「GUIの『見た目と使い心地』を盗んだ」と訴えたとき、Microsoftはそれに対して「見た目や使いごこちは、WindowsMac OSゼロックスのAltoからこれを盗んだのだ」というような抗弁をしてるんだけどね。まあゼロックスのAltoは私も見たことがないし、実際その存在を知ってる人も今となってはほとんどいないんだろうけどさ。
 結局、まったく新しいものをイチから作り上げるってのはとても難しいことなんだろうなという結論にしかならないのか。ちっ。