プライバシーの終焉

今更な反応だけれども、

そろそろ、プライバシーなどそもそも存在しない、という方向に、考え方を変えたほうがいいかもね。

という視点が新鮮だった。個人情報保護法の施行の影響か、「プライバシーはカケラも漏らしちゃいけない」とガチガチになってしまった人や企業が増えるの対照的に、Webにあふれる情報は日々増え続けていている。そしていったん流出した情報は二度と取り戻せないと思った方がいい。思惑と現実のミスマッチがものすごい勢いで広がっているような気がする。
そもそもプライバシーなんて言葉には、せいぜい100年ちょっとくらいの歴史しかないらしい*1。ちょうど近代化の波が押し寄せて交通手段が急激にスピードアップし、マスメディアの活動範囲が一気に広がったころに対応するんだろうか。だとすれば情報の伝達速度の向上と量的増加がプライバシーという概念を生み出したと言えるのかも知れない。
そして今度はWebが新たな起爆剤となってそれらをまたオーダーの異なる次元に引き上げる。そんな新しい時代に前時代の概念が飲み込まれてしまうのは、確かにありそうな話だと思う。もっとも今はまだ過渡期だから、プライバシー保護すべしという対抗にもそれなりの存在意義はあるだろう。
けれども近い将来それが色褪せてしまうって可能性はけっして絵空事じゃない。Googleのインデックス数は2004年2月に42億、同年11月には80億になっているとも言われている*2。まるで情報の世界におけるムーアの法則だ。この数字の前では、プライバシー保護というかけ声もどうにも旗色が悪いように見えてしまう。
プライバシーは何世代かの時間をかけて、基本的人権の一部とまで言われるようになっている。だとすればこの新しい時代に対応する、新しい考え方がなにか必要なのかもしれないなあ、と思う。なんだろう。「勝手に放っておいてもらう権利」の真逆ってことで、「好きなときにかまってもらう権利」とか?
まさか、ねえ。

追記
……ってことでこまごまと調べながら書いてたんだが、その途中で「プライバシーという幻想(池田信夫の「ドット・コミュニズム」/HotWired Japan)」なんて記事を見つけた。URLを見ると2002年の11月に書かれたみたいだ。ちょうど個人情報保護法に関する議論がかまびすしかった頃かな。当時は過激な意見だったのかもしれないが、今読むとどうだろう?そんなにヘンだとも思えないけど。