変人と傑物

なにか一つのことに打ち込む人に「変人」のレッテルを貼ることが多い。それは必ずしも蔑称ではなく、時として誉め言葉にすらなる。時として自らを称して「変人」と言うものもいる。
しかしこれはやはり一種の倒錯であり、誤用である。この呼び方に自嘲をこめて、皮肉に言うあたりが、謙譲を美徳とした日本人の性格に合致しているのだろうと思う。また、これを誉め言葉として他人をそう呼ぶ場合には素直に誉めることへの照れくささもあるのだろう。単純に言えばヒネクれているのだ。
その倒錯を排除して「変人」と「傑物」を分かつものはなにかといえば、それはひとえに自省であろうと思う。それは自らを客観的に見ようとし、過つことを恐れる態度の現れである。そのようにして自らを省みるとき、彼には自己修正機能が働いているといえる。そのような態度こそが真の謙虚さであり、その謙虚さこそ傑物たるために不可避の素養なのである。
しかるに単なる自信家を称して傑物とするのは過ちである。真の自信家とは常に自らの意見を疑い、幾度もの試験をパスした後におずおずと、しかし容易にはゆるがぬ決意を持って己を表現するものだ。猜疑と自己肯定の狭間に驚嘆すべきバランスで立つことこそが傑物の傑物たる所以である。そしてそれはまた、この広い世間においても容易に見つけられるものではないのである。
そして世間では誤解と錯覚とがうなりをあげている。