トンデモさんマニュアル9箇条(表裏)
座右の書なんてのがもしあるとすれば、私の場合はカール・セーガンの「カール・セーガン 科学と悪霊を語る」を挙げます(文庫版は「人はなぜエセ科学に騙されるのか(上/下)」)。内容ももりだくさんでとにかく頷くことしきりなので、是非読んでみていただきたいのですが、今回はその中でも特に本書を貫く「正しく懐疑すること」というエッセンスが詰まっている部分をご紹介したいと思います。
本書では「トンデモ話検出キット」と呼ばれていて、宇宙人やUFO(空飛ぶ円盤)などのいわゆる「トンデモ話」にたやすく引き込まれてしまわないための手法として紹介されています。もっともその内容は科学分野で用いられる懐疑的思考法をわかりやすく紹介したものと言えるでしょう。誰しもこの中のいくつかの項目には思い当たるフシがあるのではないかという気がしますが、これだけ整理されたものとなるとなかなかひとときには思い出せないかもしれません。とりあえずは以下9項目をご覧ください。
本当はがっつり抜き書きしてしまいたいところではあるのですが、それをやってしまうと引用の範疇を越えそうなので自粛しました。まあ私がくだらない説明なんかしなくても、ひとめ見ればわかるでしょう。なのであまりクドクドと書いても仕方ないんだと思いました。
しかしそれでは紹介する意味がないので、これをひっくりかえして「トンデモさんになるための9つの方法」としてみましょう。ものごとは表面だけでなく、裏側からも眺めてみてこそ理解も深まろうというものです。
するとこんなことになりました。
トンデモさんになるための9つの方法
なかなか自分に自信が持てずにクヨクヨしているあなたのために、自らの考えを信じるための9つの方法をお教えしたいと思います。お代は見てのお帰りということで結構です。よろしくお願いいたします。
- 1.裏付けを取るな
- あなたが正しいと思ったものはただそれだけで正しいのです。ことあるごとに「証拠!証拠!」とはやしたてるような輩は、現代的合理主義に毒された哀れな狂信者にすぎません。考えてもみてください。あなたの認識なくして世界は存在しえないのです。世界はあなたがいてこそのものだというのに、どこに自らを疑うべき必要があるでしょうか。
- 2.議論のまな板にのせるな
- 議論など時間の無駄です。狂信的合理主義者にはそれがわからんのです。
- 3.権威万歳
- エラい人が言うことはただそれだけで尊いものです。なぜなら権威ある人は尊いがゆえに権威を与えられたのですから、そこに疑惑を持ち込むなどもってのほかと言えましょう。人類の歴史を振り返れば、今も衰えることなく輝き続ける数々の栄光を目の当たりにすることでしょう。権威とはつまりそういうことです。当然のことながら彼らが過ちを起こすことなどありません。
- 4.仮説はひとつで充分
- そりゃ誰かを説得するためには材料が必要だってのは認めます。でもなんだってああでもないこうでもないと色々考えなきゃならないんですか。めんどくさいったらありゃしねえ。
大体1.で裏付けなどいらんと言ったじゃないですか。そんなことがまだわからないんですか。 - 5.身びいきしろ
- 自分の他に誰を可愛がれってんだ?
- 6.定量化するな
- やれ数字がどうのとかいう連中はウザったいだけでなんの役にも立ちません。確定申告しようってわけでもないのに、なんだって数字とにらめっこをする必要があるんですか。そんなのかえって話をわからにくくするだけです。たとえばなしやイメージをふんだんに織り交ぜて、
バカ世間一般の人にもわかりやすい表現を心がけましょう。 - 7.弱点などない
- あなたの説に弱点などありません。もっと気を強く持ってください。
たたき出されるべきは存在しない弱点などではなく、疑いの目をもってしか世の中をみることのできない哀れな懐疑主義者の方なのです。 - 8.オッカムのかみそるな
- なにを言ってるのかさっぱりわかりません。
- 9.反証可能性など考えるな
- むしろ反証が不可能であることをこそ目指すべきです。反証が不可能であることは、すなわちどんな懐疑主義者にもあなたの説を否定することができないことを意味します。こんなに素晴らしいことはない。あなたは偉大なる完璧さの玉座にまどろみながら、キーキーわめく縁なき衆生どもを見下ろしていればよいのです。
彼らは反証不可能=証明不可能というかもしれませんが、これまた1.により証拠など不必要なのですから気に病む必要はこれっぽちっもありません。思い知ったか。
とりあえずは以上です。他にも言いたいことは色々ありますが些事なので省きます。この9項目にさえ気を付けていれば、その瞬間からあなたの人生は栄光に彩られたものになるでしょう。人はそんなあなたを指して「トンデモさん」などと呼ぶかもしれません。しかし「トンデモない」とはすなわち卓越していることを意味します。つまりこれは蔑称などではなく、人々が畏敬の念をもってあなたを見上げているまさにその証である、というわけなのです。むろん多少の嫉妬はつきものではありますが、素直に他人の素晴らしさを認めることができる人間は常に少数派ですから、これは有名税的いたしかたのないことでしょう。
ゆめゆめ疑う事なかれ。信じる者こそ救われる。
ご静聴ありがとうございました。