センター試験に関する投げやりな考察

大学入試センターでは受験番号を記入していない答案用紙についても、座席順などから受験生を割り出して採点してあげていたそうです。入試シーズンに頑張っていたのは受験生だけではないことを広く世に知らしめる記事ですね。なかなかの顧客サービスと言えましょう。
これに対して大学入試センターを所管する文部科学省は「大学受験生を大人とみて自己責任を負わせるべきなのか、それとも子どもと見て手を差しのべるべきなのか、判断が難しい」と言っているそうですけど、まあいいんじゃないですか別に。そんなに目くじらやら青筋やら立てるような話じゃないでしょう。
とまあ、なにやら投げやりな態度ですいません。というのも、そもそも大学入試が一発勝負なのがおかしいじゃねえかってのがずーっと引っかかってるんですよねー。これはどっかでそういう意見を読んで以来気になっていることなんですが、どこで読んだのかは忘れました(無責任)。しかしまあ、これは受験制度の在り方に関わる非常に重要な問題なのではないかと思うのです。そこを抜きにして、やれ自己責任だのなんだのとあれこれ言ったってしょうがないんじゃないの、と。
センター試験だって年に3〜4回実施して、その平均点を採るなりすれば、よっぽど受験生の正確な実力がつかめるだろうと思うんですよ。少子化対策で各大学は優秀な学生を集めようと色々知恵を絞っておられるかと思いますけど、それなら複数回実施の入試を導入してみればいいと思うのです。4回やってその内の上位3回の点数を採用しますとかしてやれば、受験生も喜ぶかもしれません。
つか、そうやって考えてみると、わざわざ大学の講堂だとかのデカい会場で試験を実施するってのも変なんじゃないかと思えてきます。別にいつもの学校のいつもの教室でやっちまえばいいじゃん。その方が普段の実力を発揮しやすいでしょうし、毎年話題になる「JRを止める受験生」も減るでしょう。
まあそうは言いつつも(浪人という選択肢はあるにせよ)やり直しのきかない崖っぷちぎりぎりなプレッシャーの中でぎりりと鉢巻きを締めてきりきりと歯を食いしばりつつたらたらと脂汗を流し、それでもやっぱりわからない問題については神に祈りながらえいやと気合一声、鉛筆をころころ転がすというのは代々受け継がれてきた日本の伝統です。また、そういうところでどれだけ力を出せるのかってのも生きていく上では重要っちゃ重要ですから、やっぱり今のままの受験体系でもいいのかもしれません。どっちにしたって私はもう二度とセンター試験を受けることはないので、やっぱりどうでもいいんじゃないかいうのが結論でして、ちょうテキトーなのです。センター試験を受けたのも、もう10年以上前の話になってしまいました。
さて、ここまでの文章を読んで、本エントリに関するあなたの意見として最も近いものに○をつけなさい。

  1. 無責任な態度であり、許し難い
  2. 無責任だが言っていることには一理ある
  3. 無責任だし言っていることも支離滅裂である
  4. どうでもいい

どれに○をつけても正解というサービス問題です。どうせ何年かに一回は実際にそういう問題が出題されるわけですし、たまには意図的にそういう設問を設けてみてもいいのでは、と思うのですがダメですかね。そりゃダメですよね。