欠乏がもたらすモノ

つい先日、家から歩いて1分のコンビニでPS3(高い方)が売られていたのにも驚いたのですが、でもって当初5台入荷して2台は売れたらしく「残り3台」とか手書きの掲示がされていたりしたのですが、つい2〜3日前に行ってみたら「在庫処分」とか書かれて5000円引きになっていたのでやっぱり驚きました。販売2ヶ月ちょっとでもう在庫処分かよ。
まあコンビニでPS3を買おうと思う人がそんなにたくさんいるとは思えないですし、あの小さな店舗であれだけデカいものを3台も在庫として抱えておいても仕方がないでしょうから、これをもってして「PS3ダメダメ」というようななにかを語ることはできないわけですが、将来的にPS3の売上について語るべきことになった暁にはエピソードのひとつとして使えるのかもしれないと思ったので記録しておこうと思ったのです。でもそんなことを書く日は来るかなあ。多分来ないでしょう。



ゲームにかける時間が一番長かったのは大学生時代だったと思いますが、ゲームが一番面白かったのはおそらく中学〜高校生時代だったんじゃないかという気がします。なぜかというとその頃は色々と足りないモノがあったからなんですが、それだけだとよくわからないのでもうちょっと書き足そうと思いますが、ゲームソフトそのものにせよそれに付随する情報にせよ、足りないモノがある状態すなわちある種の欠乏状態にあるときのほうが面白いと感じるのではないかということなのです。やっぱりよくわからないな。
当時、つまり中高生であったころのゲームというと私にとってはファミリーコンピュータなわけですが、表現力という点ではPS3の足下にも及ばないというか象さんとミジンコって感じでありつつ、しょぼいドット絵なグラフィックにチープなサウンドがすべてだったわけですがしかし、それですら買おうと思ったときに買えるものではなかったのです。なんでってそりゃ金がないからに決まってまして、せいぜいが隔週金曜日発売の「ファミコン必勝本」を読んで読んで読みまくっては想像力をたくましゅうして、まだ見ぬゲームがどんなものであるかを考えておったという。暗いなあ。
実際に買えるゲームはせいぜい年に5〜6本が精一杯で、しかも中古ショップに頼ってそのアリサマでした。しかしながらかような状況の中でやっとこさ購入したそれらのゲームは、とても輝いていたように思われます。はやる気持ちをなんとか抑えながら急いで帰る家路で、こみ上げる笑みをこらえるのはそれなりに大変なことでした。
当たり前といえば当たり前のことですけれども、それぞれのゲームに自分なりの解き方を見つけたものです。攻略本を買うのだって惜しかったからな。「ポートピア連続殺人事件」のタイムアタック攻略とか、わけのわからない遊びもしてましたよ。ちなみに最短15分くらいで解けたような気がします。「こめいちご」には関わらなくても解決可能なんだよあの事件は(意味不明)!
しかしそこから少しの時間が流れて大学生になると、実家を離れてバイトもしたので金銭的に余裕がすこしでき、買えるゲームの本数も増えました。そして攻略本をセットで買うのも当たり前になってきた。情報誌も買っていたから、新作情報もバッチリです。
恵まれた状況といえば確かにそのとおり。しかしそんな状態の中で、やがてゲームをすることは単なる「作業」へと変わって行ってしまいました。次に買うゲームはもう決まっているからそれまでにクリアしておかなきゃいけないし、単にクリアしただけじゃ物足りないからそれなりに隠しアイテムとか手に入れておきたいと思えばこそ、攻略本に書いてあることをただこなしていくだけになっていく。
それはゲームをすることの楽しみを放棄してるよ、と言われるとそのとおりなのでしょうが、それはそれで楽しかったしなによりもラクであったのでそこから抜け出すのにはずいぶん時間がかかりましたっつーか実のところ抜け出すことのできないまま今に至るという感じです。攻略本を読むかわりにネットで情報を集めるようになっただけだということだったりする。ああもうダメだなあ。自分はダメな大人になってしまったなあ!とか思います。うーん、でも今あんまりゲームしてないですからね、半分くらい嘘だな。そんなにダメじゃないです。よかったよかった。
そうやって考えてみると、やっぱり昔の方がゲームを楽しんでいた気がするわけなのですが、とはいえそれはよく言われるように「昔のゲームの方がよかった」というわけではなく、自分のゲームに対する接し方によるものであったのだろうと思うのです。なかなか買えないゲームの内容を想像したり、ようやく買ったゲームをなんとかして味わいつくしてやろうとあれこれ試してみたり、ストーリーの行間を読んで自分なりの物語やキャラクターを作り上げていったりするという、想像と妄想の当落線上を渡り歩く行為こそが楽しさの本質だったんじゃないか。
そういう意味で「欠乏」って状態がけっこう大事だったんだろうと思うのですがどうかってことで、ようやく最初の話に戻ってきましたよ長いなおい。えーと足りないものの中で色々工夫するからこそ面白いと言いますか、どこかの誰かが書いた攻略情報をただなぞっているだけで画面から勝手にあふれ出てきてくれてただ受動的に享受すればいいものよりも、自分の頭を使って色々考えて試行錯誤して間違えて失敗して痛い目を見てようやく手に入れたものの方がそりゃ輝いて見えるでしょう、ってことなんですけれども。
つまりは受動的であるよりも能動的であるほうが面白いでしょってわけで、これは他の色んなモノと同じだなあと思うわけです。スポーツでも観るよりはやってみた方が面白かったりするのと同じだと。でもゲームってのは身体を使ったりしないからそのかわりにアタマを使えということなんじゃないですかね。で、そういう状況を無理やり作り出してくれるのが「欠乏」なんではないかと思うのです。違うかなあ。いや、私はそういうもんだと思うのでそれでいいやっつーかたったそれだけのことを説明するのにこれだけ長たらしい文章が必要になるとはなんて説明がヘタなんだ。ううむ。

つーかPS3がコンビニで売れ残ってるって話があらぬところへ飛んでいったような気が。まあいいや。そしていつの間にゲームという単語がTVゲームを意味するようになったのか。謎ですね。