伏見稲荷を訪ねる

夏休みを利用して京都へ旅行してきました。
修学旅行以来だからおよそ15年ぶりになります。今回の目的は伏見稲荷。やたら鳥居が立ち並ぶことで有名な伏見稲荷です。なんとも幻想的といいますか、ある種偏執狂的な過剰さによって醸し出されるなにものかが気になるスポット。ネットで写真を漁ってみるだけでも、鳥居の向こうには日常ならざる世界が待ちかまえているのでは、という気にさせられます。
これはぜひ行ってみたい、というわけで行ってきたのです。



そんな伏見稲荷の最寄り駅は稲荷駅JR奈良線で京都駅から5分と中心部からほど近い。
稲荷駅を出るとすぐ、でっかい鳥居がお出迎えです。親分!鳥居の親分だ!規模の大きな神社ならこれくらいの鳥居は普通にあるだろう、って話ではありますが、この先に待ちかまえている鳥居まみれな風景を妄想しながらですからいささか沸点が低い。でけえ!鳥居でけえ!さすが稲荷神社の総本山!鳥居の親分に敬礼!
でけえ鳥居はいいですけど、当日はとにかく暑かったです。予想最高気温が35℃。梅雨が明けたばかりだというに、もはや真夏の陽気です。親分鳥居を抜けるとすぐ本殿なんですけど、そこに至るまでのちょっとした階段でさえツラいというか暑い暑い暑いなあというくらい暑い。もうちょっと軽装で来ればよかったかしらんとは思いはするもののもはや後の祭り。
ま、そうは言ってもここまで来て引き返すという話もありません。本殿から先に進むといよいよ鳥居まみれの段となります。
待ちも待ったり千本鳥居。そこでは噂に違わぬ景色が眼前に広がります。確かに凄い。すさまじい。鳥居の一本一本は各々寄贈されたもので、まあごく普通の鳥居なんですが、これだけの数が一堂に会するとなると圧巻という他ありません。しかもそれぞれが目にも鮮やかな朱色に彩られているわけですから、常なる風景とはまったく異なる眺めとなるのも無理からぬところです。
鳥居のようにスピリチュアルな造形のものが整然と、かつ大量に並んでいると、そこにはいかにもなにがしかの力が宿っているようにも思われます。オカルトにはあまり興味がないですけど、この迫力には有無を言わせぬ力がある。現(うつつ)の世ならぬ世界にも思いが至ろうというものでしょう。
同行の方は以前夕暮れ時に来たことがあるそうで、人気もなくてずいぶん恐かったと仰ってました。むべなるかなってもんです。真っ赤に染まる空と、それを受けてますます朱を深くする無数の鳥居__想像するだにすさまじい景色ではないですか。
今回は真っ昼間に行ったわけですが、それでもこの一種異様な雰囲気は余所ではなかなか味わえまい、と強く感じます。周りに他の観光スポットが少ないのが難ではありますが、一見の価値は十分にあるところだと言えるでしょう。

ところが伏見稲荷の凄さはそれだけに留まりません。
なにがって、鳥居がいっぱいなところは要するに山なのです。本殿の裏山。つまりどういうことかといえば35℃の山登り。すなわち超暑い。
最初のうちこそ鳥居いっぱい!すごい!むふー。とか言ってられますが、それもせいぜい10分15分ってところじゃないでしょうか。立ち並ぶ鳥居の迫力が減じるわけではないですが、それにしたって立っているだけで汗が出る陽気の中での山登り。感受性にも自ずから限度があるってもんです。
鳥居が立ち並ぶ箇所は日陰になりますし、まだ我慢もできるかもしれません。けれどもそこを通り抜けて直射日光を浴びるとなれば、もはや現世がどうとか気取ったことなど考える暇もなくなります。
つーか暑いんだよバカ!なにが現世だこれだけ暑いんだから現世に決まってんじゃねえかバカ!蝉うるさい!のぼり坂!雲一つない夏の空!暑い!こんな目に遭わせやがる現世のバカ!
まあところどころに休憩所や自販機がありますんで、水分補給は怠らず、熱中症にご注意下さいませってことですね。なによりもこんな暑い時期ではなく、春とか秋とか、山を登るのにもっと相応しい時期を選ぶのが肝心なのかもしれません。夏には夏の良さってもんがあるのは確かでしょうが、だからといってこんな修行みたいなことをしなくともよい気はする。
帰ってから京都旅行の話をすると、だいたい「よくこんな暑い時期に行くね」と言われます。
実にもっともな感想だと思います。

というわけで千本鳥居の異景と山登り、一粒で二度美味しい伏見稲荷に皆さんも一度は行くとよろしかろうというお話でした。なにせちょっとした山登りですから、寺院などの観光スポットと比べて圧倒的に時間がツブせます。二〜三時間は固い。しかも拝観料なるなまぐさな言葉も聞こえてこないってのがなおよろしい。
なにぶん自然には事欠かない環境ですから、春は新緑、秋は紅葉、冬は枯山と、季節によって様々な表情を見せてくれることでしょう。いつだって見頃というわけですね。素晴らしい。
けれども精神と肉体双方の極限に挑むのなら、夏に行くのを断然オススメします。異世界とは立ち並ぶ鳥居のむこうに揺らめくのみならず、自らのうちにも宿っているものなのです。それを見出すことが可能なのは夏しかありません。一時にいくつもの異世界に触れることができるなんて、そうできることではない。
いよいよ8月の声も近づいてまいりました。
さあ、行くなら今です。