床屋疲れ

全国的に土曜日であるが、局地的にはそうでない地域があったりするのだろうかとふと思った。北海道の七夕は8月7日である。仙台の七夕祭りも8月らしい。さらに祝日に関する法律が改められて今年から成人の日が1月15日ではなくなってしまった。体育の日も10月10日ではなくなってしまい、これからは「目の日」がよりメジャーになる可能性がちょっとだけ出てきたと思う。
 毎度のことだが書き出しには実に苦労させられる。

スーツを買いに行った。なにせまともなものは一着持っているきりというありさまなので、このままでは社会人失格との烙印を押されかねない。……少々の出費も仕方がないだろう。学生ではなくなってしまった今、肩書きなしで生きていくには人生の残り時間が少々長過ぎるのだ。ともあれどの色のを買うのか決め、あとは寸法合わせという段になったところで、店員から耳寄りな話を吹き込まれる。なんでも二着めは1万円引きになるらしいのだ。ぐらりと心が揺れた。35度くらいだろうか。だが、乏しい財布および貯金残高、そして毎月の給料のことを考えると残念ながら手が出ない。なにはともあれ質より量な現状ではまことにもって残念な話だ。しかし、残念がろうが悔しがろうが泣き叫ぼうが駄々をこねようがない袖は振れずない金は出せない。出てくるのはせいぜいいかめしい顔つきの警備員か黄色い色をした不思議な救急車かというのが関の山だろう。心はその後も揺れ続けたが、なんとか倒れずにすんだ。おきあがりこぼしの登録をしてもいいかもしれない。それはさておき腹いせにベルト一本とシャツを二点買う。けっこうな散財である。が、生まれて始めてカードなるものを使って買い物をしたせいかあまり実感がわかない。これからは毎日領収書を見ながら暮らした方がいいんじゃなかろうか。約5万円の2回払い。金利を払いたくないので2回にしたのだが、この先2ヶ月はそれぞれ2万5千円をブン取られることになる。恐ろしい。改めて書いてみると大層な額の買い物をしたもんだ。しかしなんでスーツというのはこんなに高いのだろう。布代と人件費だけでほんとうに3万も4万も5万も10万も8億もかかるものなのか?そんなことはあるまい。5万といえばこの前買ったでかいPC用お絵描きツール通称タブレットよりも高いじゃないか。いかん。比較の対象が悪い。

その後で床屋に行く。1ヶ月と少し振りで、実に懐かしいが店内はまったく変わった様子もなく一安心である。この店はどうも美容院だかなんだかよくわからないサービスをしてくれるので、始めて入ったときはびっくりしたものだ。店に入れば店員が声をそろえて「いらっしゃいませ」、髪を切るのと洗うのとひげを剃るために係が変わり、そのたびに「担当が替わりますのでお願いします」、すべてが終わってあの歯医者のものと肩を並べるくらいの「全自動多機能座るも横になるもお気に召すままでっせダンナ椅子」から解放されると「おつかれさまでございました」、店から出るときは当然「ありがとうございました」。また、蒸タオルを顔に乗せたり前掛け(というのかどうかは知らんが)をつけたりはずしたりする都度、「あつくございませんか?」「きつくありませんか?」とくるのは朝飯前である。あと、髪を洗うときに「痒いところはございませんか?」も忘れてはいけない。ちなみに全て語尾が上がり気味である。本当に美容院じゃないんだろうかなどと思うのも無理はない話だろう。しかし、ひげを剃ってくれるので間違いなくここは床屋なのである。間違っても美容院ではないし、病院でないのはなおのことだ。頼んだら耳掃除もしてくれたりするかもしれない。今まで細身ながらしっかりとした体格を保持しているオヤヂ経営の床屋しか知らなかった私にはまさにカルチャーショックであった。札幌恐るべしとはまさにこのことだ。

しかしこういう床屋というのはかえって気を使ってしまうことがある。もちろんこちらはお客様。Sirと呼ばれてしかるべきチョー重要人物略称VIPなのだから、ふんぞり返って店員を顎で使い、することなすこと一々注文をつけて痒いところは徹底的にかきむしってもらってはぁ極楽極楽と言いながら店からは煙たがられつつも者ども頭が高いひかえおろうははぁ恐れ入りましてございますという風に振舞うことだってできるのだが、どうにも私にはそこまでの度胸がない。死ぬまでにはぜひ一度、いや、生まれ変わった後でもいいから叩き出されるのを覚悟でやってみたいものではあるが、多分無理だろう。そういった意味で言えば、やはり床屋はオヤヂの店の方が安心するのかもしれない。所詮私はでかい声でくだらない話をしながら「あははは」と少々硬めの笑い声を出している方がいいというような下賎な庶民の長男坊姉一人付きなのである。

閑話休題。床屋で気を使う話であった。美容院みたいな床屋であるから、従業員には女性が多い。誰だ、それが目的で通ってるんだろって言ってるのは。その通りだよ。悪いか。ついでに言ってしまえば床屋では眼鏡をはずすので顔の良し悪しがさっぱりわからず、それがかえって想像力を刺激してくれる……って書いててなんだかヘンタイみたいな気がしてきた。まあオヂサン相手に想像力をたくましゅうするよりはマシだが。しかしながら、気を使うというのは実はそのことだったりする。はっきり言えば私は女性に慣れていないのだ。なにせ大学時代というもう多感で多感で仕方ない時代が、工学部まわりはヤロウばっかり100人いて女性が二人しかも出席番号が離れ過ぎとるんじゃあああああああああああな環境で過ぎ去ってしまったのだから悲しくて泣けてくるではないか。まあつまりはそういうことで、何が困るかといえば二人の距離が近過ぎるのである。ちなみにこれは歯医者も同じで、そういや最近歯医者行ってないなあ。で、床屋というのは言うまでもなく髪を切るところだ。で、髪を切るときには必然的に手が。いや、別に後ろ側を切っているときにはいいのだが、ちょうど側頭部、耳のあたりを切るときに手が顔の真ん前に来てしまう。なにが困ったって、これが困るのである。息をすれば手にかかっちまうじゃないか。手というのは人間の体の中でももっとも敏感な部分。耳の裏側に息をふっと吹きかけるのと同じことがないなどと誰に言える?「う、くすぐったい。この客ッたら何考えてんのよぐさっ」といきなり鋏で頭を突き刺されないとも限らないではないか。う〜、これでは下手に息もできん。むぐぐ。というわけで必然的に私は息を殺す羽目に陥ってしまう。無論鼻息は厳禁である。く、苦しい。ああ、いっそのこと開き直って「ふんッ」とばかりに鼻で息ができたならばッ。うううう。死にそうである。しかも限りなく馬鹿みたいでもある。頼むから早く他の部分を切ってくれええ。あ、結構爪短く切ってるんだ。そうか、よく考えればシャンプーするときに爪立てられたら痛そうだもんな。一体髪を切ってもらいながら何を考えてるんだか。子供の頃は床屋なんて退屈でイヤだったんだが、最近ではそうでもなくなってきた。きっとそのせいだろう。だがそれが窒息の危機と引換えとは、恐るべき話である。

そんな葛藤の末、ようやく作業が終わり相も変わらず語尾が上がり気味の「お疲れさまでございましたっ」。ああ疲れた。深呼吸がしたい。私が床屋に行くと、このところはずっとその調子なのだ。ちょっとしたものである。しかしながら、今のところは店を変える気はなかったりするから始末が悪い。ほら、なんだ、ねえ。いいじゃないか別に。ともあれ、おかげさまで今の私は短髪のすっきりさんになっている。ふふふ、お嬢さん。おいらにホれるんじゃねえぜ。こんな奴に、頼まれたって誰がホれるものであるか。ううむ現実は厳しい。
 そして件の床屋の代金が2100円。スーツなどの代金も合わせ、なんのかんの言って随分と金を使った一日だったよなあ。

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