針のむしろ箱

かつて、カラオケはおやぢの娯楽であった。
 場末のバーだかスナックだかに安っぽいテープのしみったれた伴奏が響き渡り、その上に割鐘のようなダミ声が覆い被さってくる。拷問のような数分間だ。もとより調律の狂ったような音感しか持ち合わせていない仲間おやぢの音感はアルコールでさらに常軌を逸し、そんな歌もどきにもやんやの歓声と拍手を送る。ママやホステスは客を喜ばせるのが商売だから、たとえガマガエルの絶叫にだって「ターさん素敵☆」なんて言ってのけるだろう。おやぢデレデレ。
 バーテンダーがもしいれば、彼の視線だけが冷ややかだ。黙ってグラスを磨いていたりする。誰も止めないからおやぢ達はさらに勢いづき、いつの間にやら歌合戦。その中にぽつんと取り残された入社2年目の田頭君は発狂寸前である。

私は歌うのは好きだが、カラオケはあまり好きではない。特に年代が違う人と一緒になって、ジェネレーションギャップを見せつけられたりするともうだめだ。「バカぁッ!」と金切り声を発して涙ながらにその場を走り去ってしまいたくなる。
 なにがイヤかといって、あの自己陶酔するサマを見るのがイヤだ。力の限りに声をあげ、まるで柔軟体操でもしているかのようにそっくりかえる。あるいはなにが面白いのか知らないが、うつむきながら薄笑いを浮かべてねちっこい声で歌う。せいぜいが町内会のカラオケ大会で入賞するくらいの歌声で、なんだってあそこまで自分に酔えるのだ。下手な素人の自己陶酔ほど見るものをげんなりさせるものはない。翻って自分もあれと同じことをしているのかと思えば、恥ずかしさのあまり下水管工にでもなって穴を掘りまくる人生を送りたくなってしまうのである。楽しい一時とともに日頃のストレスを解消するのが目的だったはずなのに、なんだって将来設計まで描きなおさねばならんのだ。人のフリ見て我がフリ直せとはいうが、それだって時と場合によりにけりだろう。
 まあ、もともとカラオケというのは自己陶酔のためにあるようなものなのかもしれない。歌手になってその華やかさを謳歌したいと夢見たことが、誰しも一度はあるだろう。けれども現実はなんの変哲もない面白くもない日々。せめて歌っているときくらいはそんな自分に酔ったって誰も文句は言わないだろう。たとえ曲リストにばかり目が行って、歓声をあげるにしても下を向きながら「おー」だの「うー」だの気の抜けた声しか出さないとしても観客がいればもっといい。選べる曲も老若男女、仲間はずれのないように。なんのかんのいってカラオケボックスがここまで多いのは、そういった人々の欲望にマッチしていたからだ、と思う。
 だが誰がなんと言おうがイヤなものはイヤなのである。
 つい先日もこんなことがあった。たまたま出向いた東京で、オフ会をすることになった。メンバーが友達の友達ばかりといった感じで少々不安ではあったが、まあ他にすることもないしな、ということで参加したのである。その2次会がカラオケだった。
 1次会からしてすでに悲劇の兆候はあった。私ばかりがなんだか蚊帳の外なのである。あまりこちらが積極的に話をしなかったというのもあるが、5〜6人の面子のうち、友達の友達が一人だけいればその一人だけがなんとなく取り残されるという流れはごく自然なものだったのかもしれない。仲良しグループに紛れ込んだ転校生のような気分である。年齢も私一人がちょっと年下という感じだった。
 しかるにその面子でのカラオケというのが、私にとっては悲劇というより他にないものだった。歌う曲歌う曲がみんなアニメソングなのである。もちろんアニメソングが悪いというわけではない。皆で歌う中に1曲2曲混じるというのであれば、それは悪くないスパイスになるだろう。だが、しかし、全部アニメソングというのは私の想像を軽く超越してしまっていた。しかも年代がちょっと上の人たちの選曲。記憶の片隅に小指一本でひっかかっているような曲のオンパレードである。曲数がこなれてくるうちにどんどんマニア度も増してきた。理解不可能だ。しかもなぜだか他の面子は大盛り上がり大会。お前らみんなアニメマニアだったんか!驚愕の事実を目の当たりにして、もう気が狂いそうである。煙草の本数ばかりがやけに増え、危うく酸欠で倒れるところだった。あの小さな個室いっぱいに敷き詰められていたのは絨毯ではなく、無数の針だったのだと私はいまだに思っている。
 それ以来カラオケには行っていない。その出来事が私のカラオケ嫌いを決定付けたとすら言えるのではなかろうかと思ってもいる。その心の傷が癒えるまでにはもうしばらくかかりそうな気もするのだが、最近職場の忘年会の話がちらほら聞こえるようになってきた。しばらくは戦々恐々たる毎日が続きそうである。
 そうは言いつつ、今日も私はCDと一緒に歌っていたりする。別に忘年会のために今から練習をしているというわけではないが、人生どこで何が役に立つかわからないものなのだ。
 うむ、やっぱり日頃の備えは欠かせまい。