筆不精

ちょっとした飲み会がありました。ホルモン煮込みがおいしいような店だったりするんですが、本題にはあんまり関係ないです。

年賀状の話になりました。もうそんな時期なんだなあ、と思いつつも、よくよく考えてみればしばらく年賀状というものを書いた記憶がありません。遡れば大学生になったころから書かなくなったような気がします。そりゃもうまったく書かなくなったのです。もっとも、それ以前だって大して書いてたわけじゃありません。

当然返信しない罪悪感というものもあるにはあったんですが、しばらくするとやってくる年賀状も減っていきました。音信不通なんだから当たり前です。そうすると返信しなくても罪悪感はそれほど感じずにすむようになります。こっちから送ろうという気持ちはもとより皆無であります。そうするうちに、年賀状を送ろうという気持ちはますますうせてゆきます。

そうしていつしか自分が世の中をとめどなく流れる年賀状のやりとりという奔流からすっかりはずれてしまっていることに気がつきました。でもそれで改心したのかというとそんなこともない。まあ職場環境が変われば年賀状についての状況も変わるんだろう。もしかすると、来年の末には数百枚の年賀状に追いまくられたりするかもしれない。そんな程度です。結局、私が生来の筆不精であることは間違いないんじゃないでしょうか。

なんつーか、筆まめな人ってのは特に用事がなくても平気で手紙を書くし、たとえそれに返事が来なくてもぜんぜん気にしないらしいのです。メールにしたって同様らしいのです。そういうことを向かいに座った人が焼酎の番茶割りなんか飲みながら言っている。私はといえば紙で手紙を出したことなんざほとんどありません。記憶にあるのは就職祝をもらった人への返礼をものすごーくイヤイヤ書いたこと、とかそれくらいしかないのです。しかも半年くらい遅れて。

メールだって用事がない場合にはまず出しません。用事がないメールを気の迷いで出すことも年に一回くらいはありますけど、それに返事が来ないと壮絶にイライラします。精神衛生上よくないのでやっぱりメールは出さぬがよいとか思います。メーラーはいつのまにかメーリングリストに流れるメールを保存しておくためのデータベースと化しています。

考えれば考えるほど自分は筆まめな人にはなれないんだなあという結論に達してしまうのでした。というわけで今年も年賀状の予約はしておりません。うむ、やっぱりホルモンの煮込みには味噌が合う。