ボキャブラリ

どんな分野であれ、ちょっと突っ込んだ話をする場合に問題になるのは語彙力、ボキャブラリってやつです。たとえていうなら専門用語がこれにあたるでしょう。この語彙というヤツ、その分野について同程度の知識がある人同士の会話であれば問題にはまずなりません。ツーといえばカーと帰ってくるわけですから、こういう場合は話をしていても気持ちがいい。
 ただし話し手と聞き手の知識に差がある場合、そうそうウマくはいかなくなります。知識の差を考慮した上で話をする必要が生じてくる。これは双方にとって重要な問題で、そこをうまくクリアしないと円滑なコミュニケーションは期待できません。聞き手側の視点で見た場合、相手の話がまったく理解できなかったり、逆に簡単すぎて眠くなったりする。話し手は言いたいことがウマく伝わらずにイライラする。

人間ってのはえてして自分の語彙に合わせて話をしがちですから、通常、知識差の調整は語彙の多い側が行うことになります。

さて、経験のない話題だとうまく話せない、ということもよくありますが、この原因もやはり語彙にあるかと思います。専門用語を知らないせいでやたら冗長な話になってしまうのはもちろん語彙が足りないせい。これはわかりやすい。ただ、それとは逆の場合もあって、勝手知ったる専門分野なのにもかかわらず、「わかりやすく噛み砕いた表現ができない」場合もありえますね。知識の量から言えばまったく問題はないはずなのに、専門用語だって日常会話レベルで使いこなせるのに!

こちらも専門用語を知らない場合と同様、問題はやはり語彙にあるわけです。でも足りないのは知識ではなく、説明をするための語彙__いうなれば辞書的な語彙なんじゃないか。たとえば私がマリアナ海溝における生態系について語ろうとすれば脳みそが沸騰しそうになるでしょう。これは知識不足による語彙の不足が原因。そして大学教授の話が悪夢のようにツマらないのは辞書的な語彙の不足が原因です。性質の違いこそあれ、どちらも語彙が足りないという部分では共通だというわけ。

とはいうものの、ある専門分野についてズブの素人が話をしなければならなくなることなんてほとんどありません。道行く人をつかまえて、現代資本主義経済の抱える矛盾点から推測される日本シリーズの結果について一席ブってもらおうとすれば話は別ですが、そんなことをするのは街頭インタビューくらいなものです。とすると講演なんかをする機会を除けば、普通に生きてく分にはあんまり難しいことを考える必要なんかないってことになる。はーめでたしめでたし。

ところが。

食べ物のことに関してはズブの素人が語りを入れるってことが大手を振ってまかり通っているわけですね。で、それを聞かされるのがプロの料理人だったりする。そして出てくる言葉が「やわらかいー」だったりする。「おいしー」「すごーい」の大安売りだったりする。普通ではとても考えられない立場の逆転と言えましょう。もしかするとこれは真面目一徹の料理人が顔色を失うのを観て楽しむ新手のサド番組なんじゃないかと思えるほどです。つーかようやく紹介した記事についての話になってホっとしてるんですが。

いやしかし、食べることがあまりに当たり前すぎて、逆に軽視されるようになっちゃってるのかなあって気はするですよ。だからこそちゃんとした感想さえ言えないレポーターなんてのが愛嬌をふりまいたりするんじゃないか。ぜんぜんレポートしてねえだろってツッこみをブラウン管にしたことのある人もいるかもしれない。

真面目なのがカッコいいんだか悪いんだかさっぱりわからない世の中ですが、『まじめに作ったものは、ちゃんと評価しないと申し訳ない』のは間違いないんじゃないかなあ。

なんかぐちゃぐちゃ書いちまいましたが、何かを話したいときにはそれに応じた語彙が必要だってのは当たり前のことだと思うんですよね。それを無視すると空っぽな言葉がただ飛び交うだけになっちゃう。そんな会話はツマらんですよ。どうせなら身のある会話をしたいし、身のある文章を読みたいものです。そっちのほうがよっぽど面白いんじゃないかと思いますけどね。

確かに全部が全部そんな調子だと肩コリのヒドい世界になりそうですけど、仮にも「グルメ」を冠する番組でマトモに食べものについて話ができないってのはどうなんでしょ。あー、でも出演者がみんな海原雄山ってのもヤですな。『料理の鉄人』なノリもうさん臭さが先立つし。んー、「ご当地グルメ紹介」的軽さを保ちつつ、料理や味についてはちゃんと話のできるレポータがやってくれるような番組ってないもんですかねえ。

そーいや『食いしん坊バンザイ』ってまだやってんのか?