手ぶらで歩く

いつもはノートPCやら本やらを突っ込んだリュックを背負って歩いてるんですが、ふと思い立ってそれをやめてみることにしました。ポケットに財布を入れておけばたいていのことには対処できるのでまったく問題ありません。そしたらこれがなかなか快適。

そうして見てみると道行くほとんどの人たちというのはなんらかの荷物を持ったり背負ったりしながら歩いてます。それはヨドバシの袋だったりビックカメラの袋だったりする。なんでみんなそんなに金もってるんだ。まあそういう重そうな荷物をもつのはやはり男の仕事らしく、女性は小ぶりなバッグを方から下げている場合が多い。

手ぶらで歩くことの気持ちよさを知ってしまうと、どうしても「どうしてみんな荷物を持って歩いてるんだろう。そんなに大事なものでも持ってるんだろうか」などと思ってしまいます。この開放感をあまねく知らしめたい!みんな明日から手ぶらで歩け!とか。

ですが、実際のところ皆さん大事なものなんかなにも持ってないという可能性もあります。手ぶらというのは確かに快適ではあるけれども、その実慣れないと不安に駆られてしまう状態でもあるからですね。その不安を避けるために、必要のない荷物を持つということもあるのかもしれない。だとするとその人は望んで手ぶらを拒否してるわけですから、そこに「荷物を捨てよ」と言っても無駄だし、押し付けにさえなりうる。

手にもった荷物を手放すとなんで快適なのかというと、それはいうまでもなく煩わしさが減るからです。しがらみからの開放とか、自由度UPによる気持ちよさ。それに対して手ぶらな状態が不安だというのはどういうことか。それは自らしょって立つものがなにもないということへの不安なのかもしれません。荷物を背負うことは、負担であると同時に、自分には背負うべきものがあることを確認する手段でもある。なんか闇雲にいろんなものを突っ込んではちきれそうになった鞄を持って歩いてる人がたまにいますが、それは重い荷物を持つことができるという自らの力を誇示することであり、ひいては自分には力があることを確認し、そこに自己満足を見出しているのかもしれません。

しかるに荷物を捨ててしまうことは自己確認の手段をひとつ捨ててしまうことにつながる。これは確かに不安かもしれません。背負うべきものがない自分ってのは、いったいなんのために存在してるんだ?なんて、突然思春期のように思い悩んでしまうかもしれない(笑)。

わざわざ実際に荷物を持たなくたって、自分にはその力があると知ってりゃそんな不安には陥らないんでしょうけどね。なにせ普段からずーっと荷物を持つことによる自己確認に浸ってるもんだから、今荷物を持っていない自分には本当に力があるんだろうか?なんて思ってしまうわけです。自信がないんですな。こういう人が「いつ荷物ができても大丈夫なように」とか言って空っぽのバッグを持ち歩くわけです(笑)。

というわけで、手ぶらで歩いてみてそれを快適に思うか不安に思うかでその人がどれだけ自信家なのかを図ることができるということになります。これを実験室的にやるのであれば、さまざまな種類のバッグを用意しておいて、被験者にまずは一日手ぶらで歩いてもらいます。でもって次の日に「もし必要ならこの中から好きなバッグを持っていってください」とかやる。すると、被験者がどのデカさのバッグを持っていくかによって自信のなさの度合いを測ることができるんですね。これがバッグ式自信測定法。注意事項としては、あまり奇抜なデザインのバッグは使用しないこと等がありますのでご注意ください。

ちなみにあまりにデカいバッグを持っていく人は自己確認をバッグに全面依頼しているという意味において『バッグ依存症』と呼ばれます。最近ではブランド品による高級感に頼る『ヴィトン依存症』や、単なる貧乏の『ユニクロ依存症』など、さまざまな依存症があり、ほとんどの被験者がなんらかの依存症にさせられてしまうという問題が指摘されています。

なんかすごい勢いでヨタ話になってしまいましたけれども(苦笑)。

でもやっぱり手ぶらで歩くってのは身軽で気持ちよかったですよ。もちろんちょっと不安にもなったわけですが、まあ慣れればなんとかなるかなという程度でした。皆さんも一度やってみてはいかがでしょう。日曜の昼さがりの散歩とか、季節がよければやってみたいですね。