A River Runs Through It

地味ながらも骨太の映画。主人公のノーマンは大学教授になってシカゴへと赴くことになるのだが、最後にはフライへと戻ってくる。単に鱒を釣るというのでなしに、そこを通して自然と語らうことこそが、人間にとって一生をかけてとりくむ価値のあることなのだ__ということなのかな。そこで得られる答えは人によって違うのだが、大事なのはどのような答えを見出すのかではなく、いかに自分にとっての真実を見出すかということにある。言葉にしてしまうと陳腐になってしまうし、表面をなぞるだけではダメだ。SMAPの歌なんかあまったるすぎて気持ち悪くなる。あれじゃたんなる馴れ合いだ。
ともあれ、さまざまな経験と試行錯誤を通してこそ、それは説得力をもった言葉になるだろう。それが含蓄というやつだ。中にはそのあたりを飛び越えてしまう人がいて、凡人には及びもつかないほどの境地に達してしまうことがある。この映画の中では弟のポールがそれにあたる。彼のもたらした煌きと、際立った爛漫さがストーリーに華を添えているといえるだろう。ポール役のブラッド・ピットはなるほど画面の中で一人輝いている。ノーマンが彼のフィッシングを「芸術だ」とを称する場面があるが、これこそこの映画の白眉である。まあそのあたりの天才についての洞察であるとか、そもそもこの映画についての論評については『蕩尽伝説』さんを見るとよいと思う。今年はこの人の映画評をもとにレンタルしていこうと思った次第。