TVゲームの「成熟」

ゲームをしない子供が増えているらしい

TVゲームがその市場規模を減らしている、らしいという話がある。いささか古い話だが、2000年の市場規模は1996年と比較しておよそ2割減少しているそうだ(コンテンツ産業の現状と課題(PDF)/経済産業省)。雑談をしている最中にそんな話がふっと出てきた。「ゲーム国内市場、2割弱も縮小」という記事もある。最近の子供は昔に較べるとあまりゲームはしないものらしい。なるほど、言われてみれば流行りの遊びもカードゲームだとかだしな。ちょうど「高橋名人スペシャルインタビュー」なんてのもあったんだが、「ゲームは一日一時間」なんてのは、今の子供たちにとっては当たり前のことになっているのかもしれない。
そこで、一番ハードにTVゲームをやる、あるいはやっていたのって実は我々の__つまりは30代前後の世代なんじゃないかね、とか言われて思わず納得してしまった。ちょうどファミコンが盛り上がった頃に小中学生だった世代である。思えばこの世代は、ゲーム業界がインフレーション的に成長してゆく熱狂のまさにただ中にいた。その頃の子供たちにとって、TVゲームはまさに「特別」だったと思う。その世代がいまやいいオトナになって昔のようにゲームをしなくなり、今の子供たちは我々が遊んだほどにはゲームをしない。それがTVゲームが市場規模を減じた原因ではないか、という説にはなんとなく説得力を感じてしまう。

ゲームとともに成長した世代

ただ、最近のゲームってあまり子供をターゲットにしているとは思えないのもまた事実である。子供をターゲットにしたゲームってどんなんだよ、といわれると難しいが、アクション性よりもストーリーに重きを置いたタイプのゲームはどうもオトナ向きじゃないかという気がする。任天堂は相変わらずストーリーよりもアクション性に重きをおいた、いわゆる「ゲーム性」の高いゲームを作りつづけていて、これは「子供向け」だと言えるんじゃないかと思う。
だがその点、ゲーム業界のトッププレイヤーであるPS2ではそれだけでなく、ストーリーという付加価値を重視しているゲームが多いように思う。いまやゲームのメインターゲットは子供ではない、ということになるだろうか。
昔のゲームにはストーリーなどないか、あったとしてもごく単純なものが多かった。爆発的なヒットを飛ばしたスーパーマリオブラザーズのストーリーなんか「クッパ大王にさらわれたピーチ姫を救う」という御伽噺レベルのものだ。それがたとえば「ドラゴンクエスト」のようなゲームを通して、より複雑な物語を持ったゲームが登場してくる。ただTVの中のキャラクターを操作できるだけではなく、そこに「世界」が構築されていったわけだ。
これは単なる「活動写真」であった映画が「喋る」ようになり、のちには深い「世界」を描くようになっていった歴史と似ているかもしれない。この過程をゲームの「成長」と呼んでも、おそらく差し支えはないだろうと思う。そして、ゲームの成長にあわせて我々の世代も成長していった。単純なところから始まって、より複雑な物語を、仮想の「世界」に遊ぶ楽しさ理解できるようになっていく。始めは単純でよかったものが、より複雑な、よりリアルなものを求めるようになっていく。そうして提供する側とされる側の両者が、シンクロするようにして伸びていったのではないか。
そうすると、もしかして我々の世代というのは、つねにゲーム業界のメインターゲットでありつづけたんじゃないかだろうかと思う。それゆえに我々は、自らと共に成長した友人のような親しみをTVゲームに対して抱くのではないだろうか。TVゲームに対してこんなけったいな長広舌を振るってしまうんなんて、ねえ。

ごく当たり前な存在としてのTVゲーム

けれども今の子供たちの世代にとって、TVゲームはごく当たり前の存在にすぎない。ちょうど我々にとって、映画というメディアがほぼ完成された状態で存在していたかのように。そこに我々がかつて感じたような熱狂はもはやない。それゆえ、新しいモノが出たら即座に飛びつくなんてことがないのは当たり前だ。そんな冷静なユーザーを相手にして右肩上がりの成長を維持しようなんて、そうそう簡単な話じゃない。
つまりTVゲームの市場規模が減退したというのは、TVゲームが「特別」ではなくなったことの表れなんじゃないだろうか。
だとすればこれはそんなに悲観すべき話ではないような気がする。映画やラジオ、そしてTVがかつて辿った道を、TVゲームが再び辿っているというだけの話だ。それは衰退なのではなく、成熟なのだと思う。考えてもみるといい、かつてTVゲームは教育に悪影響を与えるとして白眼視されていた。それに対してゲーム業界の人々は、TVゲームだって他のメディアと同じなんだ、と言っていなかっただろうか。それをこそ望んでいたんじゃないだろうか。
それがいよいよ現実になった、とも言えるのだ。まあだからといって市場規模が減じたことには変わりがないので、単純に喜べとは言えないけれども。

これから

ともあれそう考えてみれば、市場規模が縮小したからといってTVゲーム業界の将来が危ない!というような危惧を抱く必要はないような気がする。映画を始めとする他のメディアだって、「特別」でこそなくなったとはいえ、消えてなくなったりはしなかったわけだし。
むしろTVゲームにとってはこれからが本当の勝負なんじゃないだろうか。他のメディアと肩を並べたってことは、いよいよ「作品性」が問われるようになったってことでもある。一本の映画が時として人の人生を変えるように、TVゲームにもそういう「深み」が求められるようになってくるのかもしれない。もちろん娯楽あり、子供向けありという多様性は保ちつつ。そしてTVゲームの持つインタラクティブな面をプラスして、最大限に生かすことができたときに、既存のメディアとは違うTVゲームのアイデンティティってやつが見つかるような気がする。
そんなことはとっくにたくさんの人たちがやろうとしてることだよ、なんて言われそうな話になってしまった。きっともう我々がやきもきしてもそんなに意味がないんだろう。共に成長した世代としては嬉しいような、淋しいような気分になる。なんつーか、久しぶりにあったトモダチが立派に独り立ちしていることに気付いたような感じだなあ。いやはや、こっちも負けちゃいられませんな。