ざまーみやがれ

プログラムを組むのが楽しい、ということを否定するつもりはないが、100%楽しいことばかりなわけでもない。どういうことか?原因のわからないデバッグにうんうん唸ってるときに「プログラムって楽しいよネ☆」と能天気に言われることを想像してみるといい。そいつはとりあえず張り倒される必要がある、と私は思う。
そんなこんなでデバッグが終わった。思ったとおりの動作もした。やったーとなる瞬間であるが、そこでどのように喜ぶかというとどうやらこれが千差万別らしい。数人に聞いてみたところではどうも脱力を伴う「やったー」である場合が多いようだ。緊張感から開放されるせいだろうか。
私の場合はPCに向かって「ざまーみやがれ!」なのだが。
だってそうじゃないか。PCの分際で人サマの要望も汲めず、ひとつひとつ手続きを踏んだ上で命令してやらねばマトモに動くこともかなわぬとはなんたる体たらく。吐き出すエラーはとことん非人間的で礼儀知らずであり、謙虚さのかけらさえそこには見出すこともできないのである。
えぇい大体なーにが「Syntax Error」だエラそうに。たかだかセミコロンひとつ付け忘れただけじゃねぇかまったくもって気の利かないこと夥しい。「前の行にセミコロンをつけるのを忘れてませんか?」とかいうならオメーが勝手に付け足して動作確認しとけっつーの。それで動けば「セミコロン付けときましたー」と報告すればいいし、ダメならそこで初めて「セミコロンつけてみたけど動かなかったんですーすいませーん」とエラーを吐きゃいいのである。そこまでやって初めて社会人として一人前だってんだべらぼうめ。
そこまで苛々しながら__時には足元のPCを蹴っ飛ばしつつ__プログラムを組んでいるわけだ。それがようやくマトモに動いたときの台詞が「ざまーみやがれ!」でなくてなにがある?余人は知らず、私には脱力などしているヒマはない。
以上のような自説を飲み会の席などで数人に話してみたところ、揃いも揃ってヘンな目で見られた。んー。まあなんだ。きっと私はどこかがおかしいんだろう。オトナってのは謙虚なものなので、自説を押し付けたりはしないのだ。ただ同胞をのみ求む。
求むんですよ。プログラムが完成した暁に「ざまーみやがれ!」って言う人を。いない?いないですか。
そうですか。