成功体験の一般化

圏外からのひとこと「モノ作り」という概念と「WEB2.0」という概念

「モノ作り」が「概念」であることを認識してないと、日本はその時に後悔すると思う。

最後の一文がすんなり飲み込めない。なぜそうなるのだろう?
というわけでちょっと考える。
かつて日本が「モノ作り」で世界を席巻することができたのはなぜか、という問いには様々な回答があると思うが、概念とその実現手法とが見事に噛み合った結果である、と考えることも可能なのではないかと思う。その実現手法とは具体的には「匠の技」とでも言うべきものだったのだろう。いわばプロジェクトX的なやり方である。
では翻って「WEB2.0」という「概念」が主導権を握る際に求められる実現手法とは何か?それを今多くの人が考えているのだと思う。それを考えるためのヒントとしてよくまとまっているからこそ、「Web2.0要素MAP」が広く受け入れられているのだろう。
けれども「モノ作り」を「概念」として捉えられていないと、このような翻りをうまく行うことができないのかもしれない。「なんかよくわかんないけど「モノ作り」でウマくいったよね。じゃ今度もソレで」ということになってしまう。それで果たして時代の変化に対応できるのか?と言えば甚だ怪しいものだと思う。つーかそもそも「ソレ」ってなんなんだ。
かつての「モノ作り」における成功体験はそういう意味において「特殊解」だったのかもしれない。けれどもこれを「概念」と「実現手法」からなるものして一般化すると、次代の変化に応じてそれぞれの変数を入れ替えることができるようになる。「Web2.0」でも「資本所有」でも「データ所有」でも、どのような時代であっても慌てることなく対応できるようになる。それが成功から学ぶ、ということなのだろう。本当の知識ってのはそういうふうに一般化されたものなのかもしれないなあ、とも思う。
そう考えてみて、はじめて最初の文になるほどと頷くことができた。せっかくいい教科書があるのに、それをうまく使えずに失敗したなら、そりゃ後悔するに決まってる。
もちろん「概念」と結びつく「実現手法」はそう簡単には求められない。概念を徹底してかみ砕くことによってようやく見えてくるものだ。そして「Web2.0」においてはまさに今、それが行われている。今後、そこから様々な「実現手法」がまた生まれてくるだろう。それは今までにない新しいやり方かもしれないし、過去の手法の再評価かもしれない。けれどもそれらは決して闇雲に生み出されたものではないことをわかっていないと、時代が変わるごとにあたふたするハメに陥るだろう。それはあんまりウマくないよなあ、やっぱり。