経営者は「一般解」を持つべきだ

My Life Between Silicon Valley and JapanWeb 2.0、概念、経営的感覚

それで思うのは、日本企業には、あるいは日本の技術の現場には、「概念」に全く価値を感ぜず「現場」にこそすべての価値があると考える人が圧倒的に多いということだ。そういうがちがちの現場主義の人が、歳をとって経営者になるケースもこれまではかなり多かった。「概念」に価値を見出さない人からは、「口先だけの話はいい、とにかく手を動かせ」的な言葉が出ることが多い。そういう経営者は、自分の勝ちパターンで勝ち続けられる時代にはいいが、大きな変化にとても弱い。

たしかにそういう人って多いような気がするなあ。
きちんとした「概念」のバックボーンを持った上で、現場に手を動かすように指示を出すことこそが経営者には必要とされるのだろうと思う。現場は指先であり、経営者は脳だ、というやつ。
これは経営者を筆頭とするマネジメントを生業にしているすべての人に言えることだと思う。日本では今まで現場→管理職が出世コースとされていたこともあって、現場感覚を引きずったままの管理職がとても多いような印象がある。係長的な仕事の仕方をする課長という例が、ちょっと思い浮かべただけでもたくさん出てきた。うーん。
最後の「そういう経営者は、自分の勝ちパターンで勝ち続けられる時代にはいいが、大きな変化にとても弱い。」という部分は、さきほど「成功体験の一般化」に書いたことともしかしたらつながってくるのかもしれない。「自分の勝ちパターン」というのがいわば特殊解。そして大きな変化に対応するべく抽出されたものが一般解。
そして「Web2.0」が単にWebにおける技術の変革だけを意味するのではなく、ビジネスのあり方そのものを変えようとしているのなら、これは間違いなく「大きな変化」と言えるはず。そんなときにこそ、個々の経営者が確固たる「一般解」を持っているのかどうかが試されるのではないか。加えて言えば自らの「一般解」を現実に合わせて修正できるだけの柔軟性を持っているかどうかもまた、試されるのだと思う。