コンテンツはフローとして存在する

はじめてWebに接したのが1998年なので、結構長いことネットに浸っていることになる。で、時代はいつのまにやら「Webサイト」から「Blog」になってしまったのだが、実は「Blog主流になってから読み応えのある記事が減ったなあ」と思っている。
しかし一体なぜだろう?うーむわからん……と長いことほったらかしにしていたのだが、Web2.0の話をしているうちに、なんでそんなことを考えるようになったのかがなんとなくわかってきた。なにを今更……な話ではあるが、自分の頭の整理のためという言い訳を最初にしておいて、また書いてみることにする。

ストックとフロー

Web1.0Web2.0における違いの一つとして「コンテンツがスタティックなものからダイナミックなものに変わり、その上でコンテンツ同士あるいはサイト同士がシームレスに連動される」という点があげられる。ある時ふと、このスタティックとダイナミックという対比は、財務や会計でよく出てくるストックとフローの関係に近いんじゃないか、と思いついた。ごく単純にいうと、ストックは土地などの固定資産、フローは現金などの流動資産の流れのことだ。たとえば一定期間内における現金収支を表すキャッシュフローは、企業の経営状況を測る重要な指標の一つである。
とはいえ要はどういう言い方をすればわかりやすいか、という話なので、「スタティックとダイナミック」と「ストックとフロー」のどちらがより真実を表しているか、という話にはあまり興味がない。なんだったら「どっしり構える山と流れ続ける川」でもいいよ!という程度のものだ。
で、なにが言いたいのか。それはBlogの普及によって、Webにおけるコンテンツはストックからフローへと変わったのではないか、ということだ。これはちょっと大げさな言い方かもしれないのでもう少し細かく言うと、Webにおけるコンテンツの主流は、Blogの普及によってストック的性格の強いものからフロー的性格の強いものに取って代わられたのではないか、ということになる。

Webサイトは「本」、Blogは「おしゃべり」

またたとえ話をする。
ストック的コンテンツとして「本」を考えてみよう。一度出版されるとそう簡単に変わるモノではないので、これはわかりやすい。しかしそれに対応するフロー的コンテンツとはなんなんだろう、と考えてみたのだがこれがなかなか思い浮かばない。フローというのは文字通り「流れ」を指すので、そもそもコンテンツとして捉えにくいのだ。色々考えてみたんだが、「会話(雑談、おしゃべり)」と考えてみるのが一番近いんじゃないかと思う。
本とは一冊作り上げるのには、それなりの時間と吟味を必要とする。それこそ年単位になる場合もあって、それだけの時間をかけてコンテンツとしての完成度を高めてゆく。一方、会話においてもっとも重要なのはリズムやその場のノリ、勢いである。もちろん時々に応じて沈思黙考する必要はあるだろうが、なにか言うたびに考え込んでいては興ざめだろう。
当然のことながら本と会話とではその楽しみ方も全く異なる。本の楽しみ方はしっかりと腰をすえて読み込んでいくことだ。そして時として思いもよらなかった知識やストーリー展開に驚き、感動する。そんなときに読書の喜びを感じることができるものと思う。一方、会話の神髄は参加することにある。丁々発止のやりとりの中で次々と新しい発想が得られる瞬間は実にエキサイティングだ。これはハタから聞いているだけでは本当のところは味わえない、参加者のみの特権である。
これをWebサイトとBlogの話に引きつける。
Webサイトを読むというのはいわば本を読むのと同じことだ。じっくりとそのコンテンツを読み込んでいって満足する。もちろんリンクをたどって他のサイトへ飛ぶこともあるが、その多くは付帯的な情報であり、基本的にはそのページだけで完結していることが多かったと思う。自ら書くときもしっかりと腰を据えて文章を吟味し、必要な情報をつぶさに収集して書き上げてゆく。その過程が実は一番楽しいのではないか、と思ったりもする。
一方のBlogはどうか。もちろんきっちりと組み立てられた文章を読むことも多い。だが、本当に面白いのはそこからあちこちのBlogで反応が起こり、その反応がまた元のBlogへフィードバックされて話題が発展していくところにある*1。情報はひとつのエントリで完結しないから、全貌を把握するためには行きつ戻りつすることも必要になる。
だがそれだけではただ他人のおしゃべりを聞いているだけなのと同じことだ。本当に面白いのは自分でそこに参加することである。自分で書いたエントリにコメントをもらい、Trackbackが送られ、そこからまた着想を得て新たなエントリを起こす。もちろん資料をあたることもあるが、もっとも大事なのはスピード感である。そしてまた新たな反応が……。このような連鎖反応を味わって初めて、Blogの面白さがわかるのではないか。

違和感の正体

このように「Webサイト」と「Blog」との差を考えてみることによって、なぜ「Blog主流になってから読み応えのある記事が減ったなあ」と思うに至ったのか、という初めの質問に答えが出た。
参加することが大事な「おしゃべり」を「読む」ことによって楽しもうとしていたんだから、そりゃ面白くないのに決まってる。
つまるところ自分がWeb1.0的旧時代人であることに気づいてしまったわけだ。なにやらヘコむ結論である。うーん、「読み応えのあるサイトが減った」というのは、結局のところおカド違いのいちゃもんだったワケか。
とはいえ読み応えのあるサイトは今でもたくさんあるし、その中でBlogの占める割合はかなりのものだったりする。これは聞いているだけで楽しめる「おしゃべり」があるのと同じようなものなのかもしれないし、Blogにもストック的コンテンツがたくさんあるからだということなのかもしれない。ま、ストックだフローだと言ったところで、結局道具なんて使う人次第だからな。そもそも言及と手動リンクによるサイト間の意見のやりとりだって昔からあったのだから、あんまり考えすぎても実りは少ないと思う。
もっともBlogへの参加者が増えたおかげでやりとりを追いかけるのは大変になったし、話題も拡散しがちだったりする。読むことにはコストがかかるようになったなあ、ってのは正直なところ。とは言えそれもまたライブ感覚ってことなのかもしれない。Web2.0によって実現されるのは、もしかするとこの「ライブ感覚」ってやつなのかもしれないですな。
ただしおしゃべりをしない人はいないけど、本を書く人は少ない。それと同じように、ストックとしてのコンテンツのWeb上におけるシェアは、今後もあるラインまでは下がり続けていくんだろうと思う。旧時代人としては寂しいもんですな。けれどもシェアだけがすべてではないというのもまた確かで、要はストックとしてのコンテンツとフローとしてのコンテンツがうまい具合に相互作用するようになればいいんだと思う*2
Blogは普及したけど、Wikiはなかなかブレイクしないなあ。

まとめ

本当に今更なメタブログ話だなあ、と思いました。
とはいえWeb2.0が今後も加速するのであれば、重視されるのは「コンテンツ同士あるいはサイト同士がシームレスに連動される」ことになる。ユーザーレベルでいえば「コミュニケーション」がWebの主役になる時代が来る、と言えるだろうか。今でもある意味そうだが、今後はますますそうなっていく。
つまりこれはコンテンツを作ることそのものはそれほど重視されなくなっていく、ということだ。むしろそのための枠組みを作ること自体が問われることになるわけで、その枠組みをどう作るかを考える手段としてのWeb2.0がある。
そんな時代に、一人のユーザーとして果たしてどう向き合っていくのか。今から考えておいた方がよさそうだな、と個人的には思う。むしろ今からじゃ遅すぎるくらいかもしれないけど、誰かの用意した枠組みの上で踊るだけで、本当に満足することができるのだろうか?

*1:コメント欄やTrackbackがその一助になっている

*2:もっともストック→ダイナミックは「面白い本を話題としたおしゃべり」みたいに簡単だけど、「身のあるおしゃべりを後で読み返しても満足できる対談集にする」のが難しいように、ダイナミック→ストックの流れを作るのは大変だと思う。書籍化されたBlogが「うわー」だったりするのはこれか?だとするとここでは「編集者」のウデが問われるんですな。