銀杏について

引っ越してきてもう半年以上になるが、こちらの街路樹は銀杏の木である。昨日雨が降ったせいか、朝外に出てみると道には一面に銀杏の葉が落ちてすっかり黄色くなっていた。今日は天気がよくて、青空に映えているサマにはなかなか風情があってよい。もっとも濡れた落ち葉は滑るから、自転車の人にとっては危なっかしいものだろう。量としてもかなりのものだから、掃除だって面倒なのに違いない。
しかしまあ、自転車にも乗らなければ掃除もしない私にとっては、誰が滑ろうが誰が面倒だろうがあまり関係がない。であればこそ、呑気に風流を気取ることができるというものである。まったく他人の気持ちがわからない人間というのは困ったものだ。
ともあれ、銀杏についてネットでどれだけのことがわかるのか調べてみた。以下だらだらと書いてみる。
銀杏とかいて「いちょう」と読むか「ぎんなん」と読むかで、その人がどれだけ食い意地が張っているかわかる__というのは今適当にでっちあげただけの世迷い言なのだが、紛らわしいのは困ると誰かが言ったのか、「いちょう」には「公孫樹」という字もあてられる。なんやらエラそうな字面である。もっとも「公孫樹」というのは漢名であるらしく、出自としてはこちらの方が由緒正しいと言えるのかもしれない。
ちなみに漢名では「鴨脚樹」と書くこともあるらしい。鴨の脚。似てるかなあ。ともあれ、この「鴨脚」が明代に「ヤーチャオ」と発音されていたのが転じて「いちょう」となったとgoo国語辞典には書いてある。まあ確かに似ているけれども、「チャオ」が「ちょう」になったのはまだしも「ヤー」が「い」に転じてしまうとは大したものだと思う。母音が違うじゃないか。まかり間違えば「やちょう」になっていたのである。日本野鳥の会の立場がない。そうならなくて本当によかったですね。
しかし読みにはその魂を残したものの、きょうび日本語として「鴨脚樹」を使う機会はウケ狙いか知識のひけらかし以外にまずあるまい。ATOKでも変換してはもらえなかった。字面としては「公孫樹」に破れた「鴨脚樹」である。
中国語のことはさっぱりわからないが、「公孫樹」を「ヤーチャオ」と呼んでいたということはおそらくないだろう。ここに表記と読みとのねじれ現象がある。Wikipediaの「銀杏」の項を見ると、日本に銀杏が持ち込まれたのは平安後期から鎌倉時代にかけてのことだそうで、このあたり和魂洋才ならぬ和魂漢才の換骨奪胎的精神は長い時間をかけてはぐくまれてきたものなのであるなあ、とか適当に言っておくとなんだかちょっとインテリっぽい雰囲気が醸し出せるかもしれない。あるいは知ったかぶりしたただの馬鹿。
さらにWikipediaを調べてみると、銀杏はジュラ紀の頃にはすでに存在していたらしいということがわかる。まさしく生きた化石である。植物界のシーラカンスである。しかしシーラカンスはあまりウマくないらしいが、ぎんなんはまあ食える。よって銀杏の方がシーラカンスよりすごい、のかもしれない。少なくとも現代人の味覚への適応能力では優っていよう。
ところでぎんなんというヤツは、そもそも銀杏の実なのではなく種なんだそうだ。さらに言えば食卓に供されるのはその種の殻を取り除いた中身である。全然知りませんでした。このあたりで写真を見てみるとなんだかカシューナッツみたいですな。そして実の部分はというと、これが邪魔なので土に埋められて腐らされた挙げ句に除去されるとかいう。
えー。
実というのはおいしく食べられたついでに種ごと呑み込んでもらって、遠く離れたところまで子孫を運んでもらうために存在してもらうのではなかったのか。教科書には鳥についばまれるおいしそうな果物の絵が描いてあったような気がしますよ!それが銀杏の場合においてはよりにもよって腐らされて除去されるのである。腐らされて除去!繰り返すことによって無理矢理インパクトを付与しようとしているのだが腐らされて除去である。さすがに生きた化石と言うべきか、一筋縄ではいかないヤツだ。うーむ腐らされて除去。
そして一筋縄ではいかないっぷりをさらに補強するのが、銀杏には雌雄の別があって、ぎんなんがなるのは雌だけとかいう話。他の植物でオスメスがあるなんて話、聞いたことがありません。必死に探したのに全然実がなってない!とか思ったら雄の木だったりするのである。意地悪だなあ。なんだか偏屈な年寄りみたいだ。さすがジュラ紀から生き延びているだけのことはある。
さらにはせっかく雌の木を見つけて実を集めたとしても、食べるまでにやたらと手間がかかったりするようだ。こちら(天然屋.com)を参考にしてみる限りでは、なにせ

  1. 土に埋め、実を腐らせて除去(ぎんなんくさい)
  2. 天日で乾燥(時間がかかって面倒)
  3. 火で炙って最終乾燥(ぎんなんくさい)

と、これだけかかるらしいのだ。くさかったり面倒だったり、ロクなことがない。それでいて茶碗蒸しに入れたら入れたで、そこらのガキに「ぎんなんキラーい」とか言われてポイである。不憫だ。今度からは生きた化石と呼ばれるその来歴と、その課程で味わったであろう艱難辛苦、さらには食卓にのぼるまでにかけられる幾多の手間暇に思いをはせつつ、ありがたくいただくべきではあるまいかと思った。
でも茶碗蒸しってあんまり食べないんだけどな__いやいやそんな後ろ向きの発想はよろしくありません。えーと、直火で炙って塩振っただけってのはよいかも。酒の肴によろしいですよ。あいにく私は下戸だけど__だからネガティブはいけませんってば。酒を飲まないにしてもちょこちょこつまむとウマいと思いますよええ。喘息などの症状を鎮める作用もあるらしいし、結構なことです。でも痙攣をともなう銀杏中毒なんてものもあるから食べ過ぎには注意しましょう。発症するのは子供が多いそうだから、ガキのぎんなん嫌いにも理由があったと言えるのかもしれない。
ちなみに銀杏は「東京都の木」なんだそうである。ほかにも大阪府、神奈川県がおのおの「府/県の木」であると主張している。銀杏大人気。その占有権を巡って血で血を洗う抗争が繰り広げられる日もそう遠くはなさそうだ。加えて日本語には銀杏を用いた言葉がたくさんあって、goo国語辞典を見るだけでも銀杏脚、銀杏芋、銀杏浮苔、銀杏返し、銀杏頭、銀杏形、銀杏切り、銀杏崩し、銀杏歯、銀杏歯、銀杏髷、銀杏黄葉と、これだけある。うち銀杏返し、銀杏頭、銀杏崩し、銀杏髷と髪型を表す言葉が4つもあるのは興味深い。かくも銀杏は日本人に愛されているのだ。こと理美容方面において。
まあなんと言っても日本人と銀杏には1,000年近いおつきあいの実績があるのだから、親しみがあってもむしろ当然というものだろう。人類全体で見てみるとジュラ紀の頃からであるから1億年以上。こっちがネズミみたいな格好してたころからってんだからハンパじゃない。
なお、銀杏は英語だとgingko(またはginkgo)となる。なんでも銀杏を「ぎんきょう(ginkyo)」と読み間違った上に誤記したのがそのまま定着してしまったそうで、世にも恐ろしいことに二重に間違っている。ずいぶんいい加減な話もあったものだ。誰か訂正してやるヤツはいなかったのだろうか。それとも外国人コンプレックスの裏返しとして、「面白いからいいや」とか言ってほくそ笑んでいたのだろうか。性格悪いなあ……というように色々想像できるのではあるが、いずれにせよここまでくると「ヤーチャオ」なんて影も形もないということだけは確かだ。
というわけで銀杏についてWebで色々と調べてみた結果をムダにだらだらと書いてみた。「読んでもらえるエントリを書くための10のコツ(FPN)」などどこ吹く風である。目指せ反面教師。ともあれ今度銀杏を見かけたら、ヤーチャオ!とか親しげに呼びかけつつ東京、大阪、神奈川の三大都市によって繰り広げられる銀杏争奪戦によって繰り広げられるであろう惨状におののき、銀杏髷など結いながらジュラの昔にロマンチックな思いをはせつつ落ちたぎんなんを拾っておつまみget!とか喜びながら鮮やかに彩られながら陽光に映えるその立ち姿に心和ませると同時に散りゆく秋に涙してみるといいと思います。
日本の晩秋が随分難しくなること請け合い。