任意のタグ名による多様性 〜集団知を整理するための集団知〜

現時点のはてなブックマークではタグ名が任意ですから、カテゴリによる分類に比べてルーズであることは事実だと思います。特に個人レベルでの情報整理ではそのルーズさが問題になることも多いかもしれない。しかしながらその視点を全ユーザーレベルにまで引き上げるとどうなるのか、と考えると、このルーズさはむしろ多様性という名の利点へと変じるんじゃないか、と今は考えています。
任意のタグ名を許すとその分布が大きく偏ることは「はてなブックマークの傾向(2)」というエントリで書いたことがあります。使用量上位20%のタグが全体使用量の80%を占める__いわゆるロングテール的分布を示す、という話でした。母数が増えれば増えるほど、その上位20%による分類の「確度」が増すと考えることには、それほど無理はないでしょう。であれば、翻ってその多様性にこそ意味を見出したいところです。普通に連想したければ上位20%の多数派タグをたどっていけばいいし、意外な着想を求めたければロングテール部分を探ってみればいい。その両方を可能にするのは多数派、少数派が共存できているからであって、それはなぜかというとタグ名が任意であるからに他ならない。
これを一種の「集団知」とみなすこともできるのかもしれません。もっとも「知」というよりは「知の整理」なんですが、「集団整理」と読んでしまうとなにやら意味が違う気がします。「集団知を整理するための集団知」というともっとも正確なんでしょうか。
なんだかウロボロスの蛇みたいだ。