Blogを始める101番目の理由 〜いつか世界が君に気づいてくれたらいいのに

前回のエントリで無理矢理100もBlogを書く理由をヒネりだしてみました。実際かなり疲れたのでもう二度とやりたくありませんが、不思議なモノで、あれだけ苦労したというのに、エントリをアップしたとたん「あ、そういえばこういう理由もあるかも」「なんでこれを入れなかったんだー!」などと次から次へと思い浮かんでくるんですね。正直ムカつきます。
ともあれ、改めて自分でも読み返してみたのですが、そうするうちにふと思い浮かんだ言葉がありました。

「いつか世界が君に気づいてくれたらいいのに」

西島大介の「世界の終わりの魔法使い<(AA)」のなかに出てくる科白です。この作品、ちょっと不思議な寓話的雰囲気があって、個人的にはかなり気に入っていますが、今回お話ししたい内容とは関係がないので内容の説明は省きます。興味があったら読んでみてください。
さてこの科白ですが、実はかなり長いのです。なのでところどころを抜き書きしつつ、じりじりとご紹介させていただくことにしましょう。

星はわれわれを知らないしわれわれも星を知り得ない
せいぜい星の配置を自分勝手に解釈して物語を思い浮かべたりするだけ…
つまり世界がわれわれを無視しつづけるのと同じように われわれもまた世界を無視しつづけているわけだ…

そうかなあ。人類総体としては、ここ100年だけを見ただけでもずいぶんとたくさんのことを明らかにしてきました。さまざまな物理法則をはじめとする科学技術、芸術や文化、風俗を通じて世界を構成する自らについて理解することもまたしかり。
個人個人についてはどうでしょう。歴史に残るような大発見ではないにしても、幸運にして世界でも有数の富裕な国家である日本に生まれたわれわれは、日々新しい情報に触れ、新たな発見をし、色々なものごとについての理解を深めている。身近な人たちとのコミュニケーションを介して、インターネット回線を通じて、広くネットワークを張り巡らせている。決して世界を無視してなどいない。
そうかもしれない。けれどもやはり違うのかもしれません。ただ情報の波に身をさらしているだけでは、「星の配置を勝手に解釈して物語を思い浮かべたりするだけ」とさして違いのないことだと言われるかもしれないからです。それだけで高まり続ける情報の波に立ち向かうことなどできるのでしょうか?

しかし例えば一冊の本を読むことはそれに抗うことだよ
一冊の本を著すこと 一篇の詩を詠むことは世界に無視され消えてしまうことをこばむ行為だとわたしは思う
広大すぎる世界に圧倒されないようふんばっているんだな…

しかるにわれわれは声をあげるのです。私はここにいる。ここにいて、こんなことを見て、こんなことを知って、こんなことを考えている。そんなことを言いつのります。Webの登場によってその声は高まり、Blogによってさらにもう一段大きさを増しました。どれほどたくさんの人が、世界に向けて声をあげていることでしょう。大きな声もあれば小さな声もありますが、いつしかその声たちは集まって非常に大きく響き渡るようになりました。
私はここにいる。
そんな当たり前のことだって、声をあげずにはいられない。なぜなら世界はあまりにも広く、大きすぎるから。黙っているだけでは、誰にも気づいてもらえないから。その結果押し寄せる孤独感に、押しつぶされるような気さえしてしまうから。
われわれは、広大すぎる世界に圧倒されないようにBlogを書いているのです。
そんな大げさな。ただ少しばかりの知り合いに読んでもらえばそれでいいんだよ。それはそれとしてまさしくその通り。誰だって自分の声が世界中にあまねく響き渡るなんて思ってないでしょう。私だってそれくらいはわかっているつもりです。
けれども、ほんのわずかであれその可能性があることもまた確かです。今はまだ知らないあなたの文章に、私は明日出会うかもしれない。今はまだ知らないあなたが、明日私の文章を読むかもしれない。
そんなかすかな希望があればこそ、わざわざWebという媒体を選んだのではないですか?

だからね 君のやっていること 魔法に抗うことは 世界に抗うことに等しい
時間というものを無理やり巻きもどそうとしているようなものだよ
どんなにがんばってみても広大な世界は君のことを無視しつづけるだけ…

けれどもほとんどの場合、そんなに劇的なことは起こってくれません。はじめに控えめながら思った通り、ほんの数人にしか読まれない日々が続くのが普通です。それを押してか、あるいはそれでいいやと思ってか、書き続けていればたまには読んでくれる人が増えることもあるかもしれません。けれどもそうしてみたところで、せいぜいが数千、数万の人の目にとまるだけにすぎない。数十万の人に読まれることさえ稀ですが、それでもすべての日本人の1%にさえ満たないのです。世界中の人ではどうか?
「世界」といいつつ、対象は地球だけで大丈夫ですか?

だけどね…
だけど私は期待しているよ
いや願ってるんだ…
いつか…
いつか世界が君に気づいてくれたらいいのに…ってね

それでもやはり書くことはやめられない。そんな大それた希望は持たないけれども、今は見知らぬ誰かが、いつしか気づいてくれればそれでいい。そしてほんの一回だけでもそんな経験を味わってしまったら?そんなことを繰り返していくうちに、いつしか広大な世界の一角を、私という存在が占めることができるようになるのかもしれないじゃないですか。
そうしているうちにふと気がつくのです。
見知らぬあなたは、私にとっての「世界」です。見知らぬあなたにとって、私は「世界」であるのかもしれません。見知らぬあなたにとって、やはり見知らぬ誰かはどうでしょうか?
だからやっぱり思うのです。
いつか「世界」が私に気づいてくれたらいいのに。
いつか「世界」があなたに気づいてくれたらいいのに。
世界ははじめから広大なまま、ただわれわれを圧倒しようとしているのではないのかもしれません。あるいは少しずつ自らの手で押し広げていくものなのかもしれず、また、押し広げられることを消極的にではあれ待っているのかもしれない。どうでしょう?違うかもしれません。でも少しは正しいかもしれない。
だとすればあまり気張って抗う必要もない__ってことになるんですけどね。それは気楽でいいなあ。



世界の終わりの魔法使い (九龍COMICS)

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