本日のミスリード疑惑 〜頭押せば赤ちゃん殺せる

理科の授業で先生が「生まれたばかりの赤ちゃんの頭蓋骨(ずがいこつ)を押せば殺せる」と言ったら保護者から抗議があって、さらには新聞記事にもなってしまったそうです。くわえてその記事を読んでわけのわからない感想文まで書かれてしまいます。哀れ。
パッと見いかにも「この教師はけしからん!」という記事に見えます。ところが私にはこの記事をどう読んでいいのかがわかりませんでした。隔靴掻痒というか、なんだか妙に違和感がある。この違和感をどう説明したモノか__ということでちょっと考えてみました。それでもやっぱりウマくまとまらなかったので、順を追ってつらつらと書き連ねていくことにしました。つまりはいつも通りと言うことです。
出発点はこの教師の発言になるのですが、これ、一体どこが問題なんでしょうか?
頭蓋骨を押せば殺せる、というのは基本的には単なる事実にすぎないんだと思うのです。しかしこれがまずいのだとすれば、包丁で刺すと人を殺すことができます、と言ってもやっぱり抗議が来ることになる。心臓が止まると人は死にます、と言ってもNG。ま、これはいくらなんでも極端すぎる例ですけど、とはいえ、この教師の発言をどう捉えるかってのは、もうちょっときちんと考えてみるべきなんじゃないでしょうか。
もちろん単に「殺す」という単語に反応して、殺人!残酷!キャー!ってのもアリです。わかりやすいことこの上ない。しかし、それとはまったく正反対の解釈だってありうるのではないか。たとえば、生まれ落ちたばかりの幼い命がかくも簡単に損ねられてしまうという事実を目の当たりにして、か弱い存在である赤ん坊にさらなる慈しみを覚える__なんて展開とかはどうですか。
この記事がよくわからんなあ、ってのはそのへんの説明が一切ないところです。
これがたとえば、件の発言の後で「理論を実験で確かめるのが科学の神髄です。みんなもぜひ試してみましょう」とか言ったというのなら、それは確かに問題になるのも頷けるのです。殺人を助長してるよ!けしからん!抗議があったというのも納得です。おしまい。
けれども記事ではそこまでは書かれていないのです。わかるのは教師が言ったとされる発言の内容と、それに対して抗議があったということのみ。発言を受けて抗議に至るまで、どのような解釈がなされたのかについてはまったく触れられていないのです。これじゃ判断のしようがない。とてもエンドマークを打てません。
たとえば記事中に「骨川PTA会長は「授業中に「殺す」なんて言葉を使うなんて信じられないザマス!キョー!」と叫びながら校長室に怒鳴り込んだ」とか書いてあるのならよかったのです。あー確かにそうかもしれないけど、世の中にはそんな言葉が満ちあふれてるのにねー。つーかあんたの息子とかも毎日そんなこと言ってそうだけどねー。言葉狩り怖いねー。とか言ってりゃ済むわけですから。
しかしそういった判断に必要な材料がないなかで、この記事には「市教委は「不適切な発言」として処分も検討している。」「気分が悪くなった生徒もいたとされる」などという事実が列挙されています。これを読んで問題の教師に同情するのはなかなか難しいのではないか。そういう書き方であると私は感じました。あれー、いいのかそれ?なんかミスリードっぽくないですかー?
ここまで書いてようやくわかりました。私が感じたこの記事に対する違和感というのは、判断に必要な材料もちゃんと出していないのに、ネガティブなイメージだけを先行させようとしているのではないか__というところにあったのです。むろん事実はどうだかわからないんですよ。この教師が本当に大馬鹿野郎だったりするのかもしれないんですから。だからこの違和感ってやつは、事件そのものに対するものなのではなく、単に記事の書かれ方の問題にすぎないということになります。
なんだかなあ。事件に対する感想・考察ならまだしも、それを伝える記事の書き方にちゃもんをつけてるわけですか私というヤツは。なんかすげー時間の無駄遣いをしてしまったような気がします。心底がっかりです。スタートラインにたどり着く前にずっこけてリタイアした気分です。誰かどうにかしてください。
しかしあれだ。「圧力で物体が変形する仕組みについて」説明をするのにこういう例を持ち出す理科の教師って、かなり稀有な存在だよなあ。よっぽどストレスがたまっていたのかもしれませんが、まさしくオンリーワンであるといってもいいくらいだと思います。健全な青少年のみなさんは、ムリしてナンバーワンにならなくてもいいので、ぜひこういう余人を持って代え難い存在になれるよう努力してください。
健闘を祈ります。