表裏の選択について

記事の内容は見出しですべて語り尽くされていると思います。前部席については義務化に伴って8割以上の装着率となっていますが、後部座席では1割未満ってのが目を引きますね。もっとも警察庁のWebサイトにはまだそれらしき情報が載ってませんでした。更新が遅いんだろうか。
最終的には「法律で着用を義務付けるかどうか検討」というのがポイントなんでしょう。検討の際の基礎資料として、今回発表になったデータが使われることも間違いないと思います。それ自体は別にいい。
ただ、ちょっと気になったのが、このタイトルの煽りっぷりです。
後部席のシートベルト着用率が1割未満ってことは、つまるところ後部席ではシートベルトを付けないというのが「当たり前」だということです。であるにもかかわらず「付けないと致死率が4倍」という言い方がなされている。さも付けるのが当たり前であるかのような書き方です。それがなにやら引っかかる。
といって別に後部席でのシートベルト着用に反対する、とかいうわけではないです。仮に義務づけということになれば、ちょっと面倒にはなるかもしれませんが、その結果交通事故での致死率が下がるのであればそれはそれで結構なことです。交通事故死なんて少なければ少ないほどいいわけですし。
ただ、なんだかまるで脅されているかのような物言いにほんのわずかな不快感を感じたにすぎません。一体「後部席でシートベルトを締めると致死率が1/4になる」という書き方でなにがいかんのだろうか。そんなことを考えます。
これが今回のように是非の判断を下しやすい話ならなんの問題もないわけです。けれども同じような物言いがもっと微妙な問題でなされたのであればどうか。たとえば『愛国心を学校の授業で学ばなかった者の犯罪率は、学んだ者の〜倍』とか言われたら?
愛国心を教育することの是非についてはともあれ、それを聞いてあっさりと「それはとんでもないことだ」と考えてしまうような人になりたいとは、私はあまり思いません。そこにほの見えるある種の誘導に、危機感を感じるのです。誘導なんかされてたまるもんか。俺はちゃんと自分で考えるんだ。
なんという疑り深さであることか、と時たま自分がイヤになります。それで交通事故死を減らそうと一生懸命になっている人の機嫌を損ねるのは本意ではないのですから、もうちょっと素直に人の話を聞くことができないものか。そのたびごとに「だまされやすいよりは疑り深い方がマシだ」などと考えるわけですが、それにしたところでもう少しエレガントなやり方がありそうにも思えます。正しく疑う、と言葉にしてしまえば簡単ですが、いざ実行しようと思えばこれはずいぶん難しい。
おそらく疑うことにはそれなりの副作用がついてまわるものなのでしょう。ある程度は甘受するより他にないのかもしれません。さらに言えば、こうやって文章を書いているうちに私も同じような煽りを犯しているのに違いありません。ある種のギブ&テイクとでもいうのでしょうか。というわけで最終的にはため息をひとつついておしまいです。やれやれ。それで後にはなんにも残りません。そしておそらくなんにも変わりません。
しかしあまりため息をついてばかりの毎日というのもアレなので、できれば煽りはほどほどにしてほしいなあ、と思うのでした。私も気をつけますからして。
多分無駄に考えすぎなんだと思います。
結局プラスマイナス0なのであれば、ハナからなにも考えなかった方がラクなんだろうか?