「一生懸命」やっているうちはまだダメだ

2月から始めたアイリッシュダンスも4か月ほど続き、ちょうど面白くなってきつつある今日この頃です。最近はようやく音楽に乗って踊る感覚がわかりかけてきたような気がしますよ!
それでなんとなく感じたのは、音楽を追いかけつつ、次の振りを頭の中で思い出しながら__つまりは「一生懸命」やっているうちは、まだ全然ダメなんだなあということでした。それでは音楽に「合わせる」ことはできても、「ノる」ことはできないんですよね。次はこうしないと、ここはしっかり注意しないと失敗するぞ、テンポからズれそうになってる、修正しないと……なんてことをごちゃごちゃ考えながら踊っていても、正直あんまり気持ちよくないのです。本当に音楽にノって気持ちよく踊れているときは、実はなーんにも考えてませーんという状態だったりする。
あれこれ考えることなく自然に身体が動く__おそらくはそのような状態を指して「リラックス」ないしは「集中」と呼ぶんでしょう。それに対して「一生懸命」な状態というのは、次になにをするのかを考えなければ動けない状態なんだ、ということになるのかもしれません。ダンスをしながらあれこれ考えすぎた挙げ句、肝心の足は動かずにスッこけそうになったってことは、実のところ何度もあります。そんなことじゃあ本当に身に付いた技術ってのにはほど遠いね!と言われたところで、反論のしようはおそらくないでしょう。



これってダンスに限らず、他のあらゆる場面で同じことが言えるんじゃないかなあ、と思います。スポーツのような身体を使う技術や、ごくごく単純な作業に関しては特に顕著でしょう。でもそれだけじゃなくて、たとえば仕事を一通りこなす上での一連の流れや、プログラミングのような頭脳労働においても、少なからずそういう面があるんじゃないか。
初めのうちはマニュアルと首っ引きでなければできなかったようなことでも、何度も繰り返すに従ってそれらの手助けが不要になっていく__そんな経験は誰しもあるのではないかと思います。では、果たしてどちらの方がより「一生懸命」にそれに取り組んでいたのかと考えてみるとどうか。おそらくまだ不慣れであった頃の方が「一生懸命」だったのではないかという気がします。
個人的には初めてPerlでプログラムを組んだときに、ことあるごとにリファレンスを引きながらむーむー唸っていたのを思い出しますね。つーかそもそも関数名が思い出せずにリファレンスを引くことすらできず、索引を上から下まで目を皿にして追いかけたりもしましたよ!そんなときにWebで「へろへろプログラミングをしてます」なんて文章を見かけた日にはもういけません。「この野郎はへろへろとプログラムを組めるほど熟達してるってことか。自慢だ!この人は自虐のフリして遠回しに自慢をしています!いけすかねー!キー!」などと勝手に憤ったりもしたものです。まったく人間どこで恨みを買うかわかったものじゃありません。皆さんも気をつけてください。まあこの手の逆恨みに関しては気をつけたって無駄なんですが。
個人的な経験なんかどうでもいいですかそうですか。

で、「一生懸命やってるうちはダメ」とは言いつつも、それは必ずしも「一生懸命」やることを否定しない、ってことは書いておいた方がいいんじゃないかと思いました。そりゃ最初からリラックスしまくりでα波垂れ流し状態になれりゃいいんですけど、残念ながらコトはそう簡単には運びません。その領域にたどり着くまでにはどうしても「一生懸命」な期間が必要ですし、やろうとしていることが高度であればあるほど、そこに費やす時間も長くなっていくことでしょう。
要は一生懸命やることが目的化しちゃいかんのじゃないですか、ってことです。一生懸命やることの価値は認めつつも、それはあくまでも通過点に過ぎないんだ、という意識こそが重要なのではないか。そこを間違えて、ただ闇雲に一生懸命であることは正直あまり評価できないんだと思います。
だから「なんでこんなに一生懸命やってるのに評価されないんですか!」とか言われても困るよ。

もっとも「リラックス」という状態にさえ持って行ければそれでいいのか、といえば、それはそれでちょっと違うでしょう。なにごとにもやっぱり落とし穴ってやつはあるもので、ちょっと慣れた頃が一番危ない、ってのはよく言われますし、これは実感としてもよくわかる話です。リラックスも行き過ぎると「散漫」になってしまう、とでも言うんでしょうか、その結果生じる不注意に足をすくわれる危険性は、常に意識していなければいけないように思います。
ちょっと気を抜くとリラックスは簡単に散漫へと変じてしまう。しかも失敗するまではそれと気付かないくらいに、両者の差は僅かなものでしかないように思われます。であればこそ、リラックスをしながらも常に気を引き締めるのを忘れない__というのが本当に熟達した技、というものなんでしょう。もしかするとそのような自戒の心構えも含めてこそ、初めて「本当の技」と呼べるものになのかもしれない。
よく「匠の技」なんて言われたりしますけれども、単に表面のテクニックをなぞっているだけでは見えてこないものがそこにはきっとあるのだろうと思います。そのひとつが「心構え」であって、それをさらに細分化したうちのひとつが今回触れた自戒のココロなのかなあ。とすると、こんな試みを繰り返していけば、「職人の魂」やら「匠の業」やら、言葉にできないと思っていたことも言い表せるようになるのかもしれないですね。
なんだか夢みたいな話ですけど。

つーかようやっと音楽にノれたかどうかってくらいのレベルでよくこんなエラそうなこと書けるよなあ。我ながら大したものだと思います。まだまだモノにできていないテクニックはたくさんあるし、そもそも不可能!な技だって山積してるんですよ!てなわけでゴタクはいいから一生懸命頑張りなさいはいわかりましたそうします。

てなわけで、以下はあさましいリンクです。これがなければ私がダンスをやるなんてことはなかったでしょう。ある意味人生を変えてくれやがった舞台であると言うことができます。アイリッシュダンスってどんなの?と少しでも興味を持ったのであれば、ぜひ観ていただきたいと思います。というか人として是非観るべきです。お前の浅ましさに協力するなんてまっぴらご免だ、という方はあさましくないリンクを辿っていただいても構いません。よろしくお願いいたします。