中央線、新型車両

1時間半ほどのダンスのレッスンのために費やす移動時間が約2時間ってのはどうなのかなあと思い続けてそろそろ1年になります。で、今は中央線をメインで使うようになっているのですが、今日の帰りに駅のホームに上ってみるとなにやら見慣れぬ車両が停まっている。内装もなにやらこぎれいです。おー、これは新型車両ではないか。Googleに聞いてみるとこいつはE233系という車両らしく、2006年12月26日から走行を始めてるんだとか。へー。
新しいものはいいものだ、ということで、なんとなく無条件に嬉しくなってしまいます。なにせ今までの車両がかなり古めかしいものだったからなあ。でもってすべてが新型車両に切り替わったわけでもないようで、ちょっとラッキーな気分に浸れます。うひひ。
まあ、そうはいいつつ山手線やらの車両と比べてそれほど大きく違うわけではないですから、乗ってしまえば普通の電車なんですけどね。新しいものはいい!とは思いつつ、考えてみれば中央線を使わない人にとってはぜんぜん関係ない話でもあります。世界中の99%以上の人は中央線なんか使いません。だとすれば特に鉄道好きなわけでもない市井の一般人たる私が、わざわざ日記に書いてまで世界に向けて情報発信するようなことなのかコレは。そんなことに果たしてどれだけの意味があるのだろうか。そんな思いが頭をもたげてきたとしてもそれほど無理からぬことなのではないでしょうか。
これはなかなか難しい問題です。せっかくWebで公開する文章なのだから、あんまり個人的なことばかり書いていても仕方がないのではないか。世界の人々に訴えるとまではいかないまでも、せめてもう少し話題に乗れる人を広げるような工夫は必要だろうというように思われるのです。つまるところ「たまたま乗った電車が新型車両でなんか嬉しくなりました!わーい!」というだけではなく、かかる個人的な体験から、より普遍的なナニモノかをつかみ出すべきなのだ。それをナマナマしく読者の前に提示してこそ書く意義というものも見出されるものでありましょう。
たとえば中央線の歴史といった雑学的なところへ展開させてみたり、あるいは「中央」線という名前をとらまえて東京のヤツはいつでも自分らが日本の中心であるような顔をしてやがってけしからんので地方分権!という苦しめの論理展開ながらも自分の言いたいことに結びつけてみたりするのは悪くないかもしれません。あとは新型車両導入にまつわる、ある親子の涙なくしては語れない感動物語をでっちあげてみてはどうでしょう。もしかしてTVドラマ化されてうはうはになるかもしれない。
いやー、そんなことができるくらいならとっくにやってるよなあ。
それなりに長いことやってるんだから、そろそろ自分にはそういう文章は書けないのだということがわかってもよさそうなもんだと思うのです。ときたまチャレンジをしてみることはあったにせよ、その都度あまりのデキの悪さに辟易とするということを何度繰り返してきたことか。せめて経験から学ぶくらいのことはしてもいいんじゃないのかこの馬鹿野郎。
というところまで考えたあたりで、電車は私が降りるべき駅へたどり着きました。ホームへ降りてみると、なにやらデジカメで新型車両を撮影している方がいらっしゃいます。やっぱりまだ珍しいのかなあ。夫婦らしき二人連れで、なんだかとても楽しそうです。もしかしたら今日のBlogのネタになったりするんだろうか。「たまたま乗った電車が新型車両でなんか嬉しくなりました!わーい!」とか書くんだろうか。
ぶっちゃけた話、ぐちゃぐちゃとしちめんどくさいことを考えたっていいことなんかひとつもないのです。素直にわーい!と言える方がきっと幸せなのに違いない。いいなあ。つーかこの一週間くらいずっと寒い日が続きますねえ。