人間は二度死ぬ

YAMDAS Projectyomoyomoさん翻訳による、Paul Grahamの記事です。はてなブックマーク400を超えるブックマークがついており、数多くの言及がなされてもいるようなので、興味があればそちらに目を通してみるのもよいのではないでしょうか。
もっとも私は最近のコンピュータやネットに絡む話題にはあまり詳しくなくなっているので、内容について適切な物言いはできなさそうです。まあ解説にある

私が言いたかったのは、マイクロソフトが突然お金を稼ぐのを止めるだろうというのではなく、ソフトウェアビジネスの最先端にいる人たちは、もはやマイクロソフトについて考える必要がないということだ。

というところだけを抑えておけば大丈夫だろうという程度。なんせ著者本人が自分で言いたかったのはコレだ、って言ってるんだから間違いないでしょう。それでダメならもう俺のせいじゃないやい。



で、相変わらずまるで見当違いの言及をします。「死んだ」という言葉の使い方について。
といっても、こんな言葉の使い方はけしからん!実際に操業している企業をとっつかまえて、こともあろうに死んだとはなにごとデスか!正しい日本語を使え正しい日本語を!キー1とか言いたいワケじゃありません。大体『会社は生き物ではないのだから、死ぬこともできないわけで。(解説より)』って書いてあるんだから、そんなこと言ったらただのバカです。ごく日常的に「ブっ殺す」という言葉さえ使われているこの世の中で、今さらそんなことに目くじらを立てることにどれだけの意味があるというのでしょうか。ため息をつくくらいにとどめておくのが正しい年寄りのあり方ってもんでしょう。

じゃあなにを言いたいのかといえば、それは最先端から退いたことを「死んだ」と呼ぶのであれば、我々人間もその人生の中で一度は死ぬんだろうね、ってことです。
誰しも若かりし頃は自信に満ちあふれており、急速に流れゆく流行を追いかけることにもなんの苦労を覚えるでもなく、そうではない人々を時代遅れとさげすんで何ら顧みない頃があるのだろうと思います。けれどもそういう時期にもいつかは終わりが来るわけで、いつの間にやら流行の歌手の歌は皆同じに聞こえるようになり、徹夜してゲームをする気力は起こらず体力も持たず、肩は凝る腰は痛いおまけに目はかすむ。かつてさげすんだ時代遅れの人に、まさしく自らがなってしまっているというわけです。
先の例に従えば、それは「死んだ」ことに他ならない。
こういうのは普通「枯れた」と言われます。ここで言ってるのはそれを別の言葉に置き換えただけですな。単なる言葉遊びに過ぎませんけど、まあちょっと目新しいような気もしないではない。

で、人によっては「生き返る」人もいるわけですね。リバイバルする歌手や、いつの間にかタレントと化した元スポーツ選手なんかが例としては適当なんでしょうか。もっとも最近では一度生き返ったからと言って安穏とすることもできないようで、何度も何度も死んだり生き返ったりするようになっていたりもするようです。輪廻転生も甚だしい。復活をかけて華々しいプロモーションを行ったはいいけど、やっぱりダメでした、という例も散見されますが、あれはおそらく蘇生に失敗しちゃったんでしょう。
あとは若い頃からまったく流行に興味を払わない人もいて、これなんかは最初から生きているのか死んでいるのかよくわからない。死にかけってことでしょうか。そういう人ははっきりと死んでしまったりしないので、病気がちの人ほど長生きするものであることだなあ、などとヒドいことを考えてみたりします。
だんだんどういう意味で言葉を使ってるのかわかんなくなってきましたよ。

なんにせよ多くの人はその人生の中で少なくとも一度は死ぬのです。加えて最後にもやっぱり死ぬことを考えれば、つまるところ「人間は二度死ぬ」ってことになりますね。うーんなんだかウマいこと言った気がしますよあっはっは。
と、自己満足に達することができたのでこのへんでやめにしとこうかと思います。所詮は言葉遊びなんで、あんまりしつこくしても意味ないですからね。では墓場の中からさようなら。のんびり構えて待ってますんで、近いうちにまたお会いしましょう。