苦情処理について

  • 人はなぜ「自分は大丈夫」と思うのか,防災研究家の片田群馬大学教授に聞く(前編/後編

『専門家が『専門家の理屈』を振りかざして一般の人を説得しようとしても無理』ってところが私にとっては一番の首肯ポイントでした。というわけでそこだけをとらまえて我田引水、牽強付会的にまったく別の話をします。



仕事で苦情の電話を取ることがたまにあるんですが、似たようなことが言えるように思います。こちらの理屈で説得しようとすると火に油。まずは向こうの話を聞いて、しかる後に必要なポイントを絞って説明をしてあげると意外にすんなり収まったりします。
単なる経験則ではありますが、苦情を言ってくる人の多くは自分がなぜ怒っているのかわかってません。いや、本人には当然わかってるんでしょうが、それをしっかり言葉にして他人に伝えることができなくなっている。おそらく、怒りという感情を、理屈として整理できていないのではないかと思います。
結果、感情のみでもって電話をかけることになるんですが、そういう状態ではまくし立てるばかりでなかなか意図が伝わらないんですな。それで「なぜわからないんだ!」と余計に苛立ちを募らせることに。完全に悪循環です。
まず話を聞き、その後にポイントを絞った説明をする、というのはその感情をまず受け止めて、理屈として整理する手伝いをしてやることに他なりません。「感情」対「理屈」じゃどうやっても話が噛み合わないから、とりあえず「理屈」という土俵に乗せましょうよ、ってことです。
そこまでいけばあとは普通に話をすりゃいいんですけど、頭の中が整理されると感情のたかぶりも納まってしまうらしく、「言いたいことは伝わったからもういいです」となることも結構あります。やったことと言えば話を聞いて「こういうことですか?」と確認する程度のことだというのにそれでおしまいだなんて、ずいぶんラクでいいですね。時間はかかるかもしれませんけど、コトが納まったあとの満足感はケンカ別れすることに比べるとずいぶん違います。

苦情処理がヘタな人ってのはこういうことをやりません。耳をそばだてて聞いてみると「いや、それは〜」とか「そうじゃなくてー」とか言っているようなのです。
これはどうも物言いがよろしくないんじゃないかという気がする。普通に話をしていても自分の言ったことが一言目で否定されるのは気分のいいものではないというのに、感情的になっている相手にそんなこと言っちゃダメでしょう。加えて真っ向から自分の理屈をぶつけてしまっては、どう考えてもまとまりようがありません。
もちろんそれが必要な場合もありますが、コトがそこに至る前にもう少しやることはあるでしょう、ってことです。ついでにいうと、万障やむを得ずして対立せざるを得なくなったところで「お気持ちはわかりますが〜」という言い方をしたほうが良さそうなもんだと思いますけどね。相手の理屈にも理解を示しつつ、こちらにも理屈があって、お互い対立しちゃって困りましたねどうしましょうか。とりあえず納得できる妥協点を探ってみませんか、という思いをこめて。

まあついでの話はともかく、相手の話をちゃんと聞いてあげましょうよということですね。それをせずに自らの言い分だけをぶつけるのは、コミュニケーションというのとはちょっと違うんじゃないかと思います。まあ世の中には拳で語り合うってケースもありますけど、毎度殴り合ってたらすぐパンチドランカーになっちゃいそうだ。
口はひとつで耳はふたつなんだから、言うことの二倍は聞け、というのは多分そういうことなんじゃないかなあ。

まあ偉そうなことを言いましたが、冒頭に書いたように、引用記事中の一点だけを捕まえて、内容とはまったく関係のない話を延々とし続けたのは誰だって感じですね。それこそ人の話を聞かないことの証なのではあるまいか。うーむ確かにおっしゃるとおり。お粗末でした。