無駄話、あるいは蛇足

最近当たり前のことをだらだら書いてばっかりのような気がします。あんまり面白くないよなあ。でもまあ、ちょっと身の回りのことを見直してみようという気になったのです。先鋭的な話やちょっと違った視点でものごとを見るってのは確かに面白し、そういうことが書けたらいいとは思うのだけれども、どうも私にはそういう才覚はあまりないらしいですし。
Google/Wikipediaが既存の暗記力という価値観を崩壊させる、ということを書いていて思ったのは、旧来の価値観の崩壊のあとには、新たな価値観の創造がないと困るよなあってことでした。単なる崩壊だけで終わるのであれば、その後に来るのは混沌であり、それに伴う混乱ですからして。いや、そういう狂乱の時代こそが面白いんだと言われりゃそれまでですけど。
昨今の空気の中で不安に思うのは、旧来の価値観が次々と崩壊していく中で、それにとってかわるものの萌芽があまり感じられないことです。もちろん混沌の中から自然発生的に生まれくるものもあるでしょうし、それこそが本来の姿であるという気もしますけれども、混乱の時代をいかに早く乗り切るかに関してはもう少し知恵を絞ってもいいような気がする。
旧来の価値観にしがみつくだけの態度はもはや通用しないでしょうが、一方でその崩壊に際して快哉を叫ぶのみと見える人々に対しても、私は同じような苛立ちを覚えます。まあなにごとによらず、破壊や崩壊には一種のカタルシスが伴うわけですけれどもね。そこにどっぷりひたることができずについ先々のことを気にしてしまうのは、年を取った証拠のような気もしないではありません。