ひとりFast Food

私の住んでいる寮の近くに、とあるファーストフード店がある。歩いて2、3分で行けるのだから本当に近い。休みの日など、「ああ飯つくんのかったりぃなぁ。だるだる〜」な場合には実に重宝。おまけに夏はクーラーがきいていて天国だし、冬は暖房がきいていて天国である。もう言うことナッシング。店内に他の客がいないときなど、この店は俺のためだけに開店しているのではないだろうかむふふ、そうだそうに違いない、世界は我がためにあるのだッ。と考えたりしちゃっていやあ参ったなあえへへ。
 ともあれ、コーヒー一杯と文庫本一冊で1時間以上はつぶせる。かかる金額はせいぜい500円。実にいい。銀行も喫茶店もパチンコ屋も図書館もいいが、これ以上近くにはないのだよおっかさん。そっちではもう雪は降りましたか。というわけもあってしばしば利用させていただいているのであるが、今後ともよろしくおつきあいさせていただく腹積もりだったりする。実に始末が悪い。店にとっては迷惑な客であることこの上なかろう。

しかし、そんな某店とのつきあいもはじめからこれほどまでに順調だったわけではない。ことの起こりは昨年の4月だか5月だかまで遡る。そう、私が新進気鋭のフレッシュマン、別名給料泥棒として札幌に住いを構えんとしていた頃の話だ。
 それまであまり一人でファーストフード店に入るというようなことはなかった。たいていが友達と一緒であるとか、友達連れであるとか、友達に連れられてとかである。言うなれば信頼に足る戦友と共に乗り込んで行ったというわけなのだが、しかしながら当地に友達と呼べるような者は一人としていない。いや、別に友達がいないとかいう意味じゃなくてだね、え〜そのほら、まだ引っ越してきたばっかりだったし。ええい人の傷口にほじくりかえした挙句に塩をすりこむような真似をするでない。俺は塩鮭なのかそうなのかっ。

頼るべきものがいないというのは不安なものである。列車の中で寝てしまっている間に終点に着いてしまい、車掌さんに起こされた経験のある方ならわかると思うが、不安なのである。う〜む一人でファーストフードなんかに入ったら店員さんに「まっ、あの人友達もいないのかしら一人でこんなところに来るなんて。ポテトは少なめでいいわね」とか「見て見て、あれが噂のジャンキーよ。ハンバーガーのソースは少なめでいいわね」とか思われるんじゃないだろうか。うう、それに周りの客の視線も気になるぞ。げげ、おりしも店内には2組のカップルがっ。うひ〜サミシいヤツだと思われるのは必至だ。くそ〜、おまけにポテトも少なめか。ぐぬぬぬ。
 どうでもよいが、「カップル」という言い方も古くさいよな。もうちょっとこう、新進気鋭な言葉遣いはできないものだろうか。たとえば「ツーショット」とか「アベック」とか「ちょいとそこなお二人さん」とか。

と、いうわけで入るのに躊躇いを覚えた私はどうしたのか。どうもしなかったのである。つまり、蛮勇奮い立たせて店内に突入したわけでも、「別にそんなに食いたかったわけじゃないのさ、ふン」とさりげなく通り過ぎたわけでもないわけだ。異様なまでにゆっくり歩く__人はそれをすりあしとでもいうのかもしれないが、とりあえずそういう歩き方をして窓越しに店内を覗き込む。別に覗き込んだからといって特段なにがあるというわけではない__地雷のありかがわかるわけでもなければ、突然店内から人間が消失するわけでもないのである。だが、覗き込まずにはいられないこの心境。敵陣に乗り込む際には前もって情報の収集が不可欠なのだ。できるだけ店内の人間とは目を合わさないように……ああっ、そこの男外を見るなっ。ささささっ。視線を感じると何食わぬフリをして窓の外を通り過ぎる。しばらく行ったところでUターン。ささささっ。すりすり。どきっ。すたたたたっ。

……10分ほど同じようなことを繰り返し、私はようやく自分のやっていることの不毛さに気がついた。
 店内に客が一組もいなくなってから行こうとすればこそ、一組出て行けばまた一組が入ってくる。てめぇコノヤロ、雑誌なんか持ちこみやがってしかも注文したのはコーヒーだけかッ?うぬぬぬ相当なる長っ尻とみたぞこれは。う〜むここは一旦部屋へひき返すべきか?あっまた新たなる客がドアをっ。あああしかも子供連れだぁぁ。子供ってうるさいからヤなんだよなとほほ。こんなことならさっさと入っておけばよかったのにぃ。
 これではいつまで経っても中に入れないではないか。次第に高まる焦りは身を焦がし、空腹感が胃という臓器の存在をこれみよがしに主張する。端的に言えばハラヘッタ。ええいなせばなるっ。ことここにいたって私はとうとう決意した。確かにここは異郷の地。しかし全国展開によって日本全国津々浦々に店舗を構えるこのファーストフード店なら取って食われる心配はあるまいにあるまいに。せいぜいが店員の冷たい視線にほんの数分耐えつつ注文をしゅばばとすませればよいだけの話ではないかッ。
 まあその通りなんである。そういうわけで私はようやく店の中に入った。すでになにを食うかは決めておる。財布の中身もバッチリだ。文庫本だって煙草だってライターだってある。これ以上なにを望むものがあるというのであろうか。いざ。いざいざいざッ。


「いらっしゃいませ〜♪」
 むぎゅ。ああけっこう好みのタイプのお姉さん♪
 すでに頭の中は真っ白。な、なななななにを頼むんだったっけ。っていうかここで頼むべきはハンバーガーかドーナツかフライドチキンかはたまた牛丼か?え、え〜とメニューはどこでしょうか。え?いま手を附いているカウンターの上。あ〜その、つまりは、目の前。うっひゃぁぁぁぁぁぁ。

これだから初めての店というのは油断ならんのである。

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