CDと私

コンパクトディスク。もちろん英語だろうな。つまりはCompactDisk。さて一体どう言う意味だろうか?英語であり、しかもその意味がわからなかった場合、常識を備えた人間であれば英和辞典をひくものだ。そうしようか?__いや、メンドくさいしな。いいや。え〜と、多分コンパクトなディスクくらいな意味だろう。まあ、大間違いってことはないような気がする。おっけぃ。これでまた一つ賢くなったぜ。

CDというものが世に出て、もう随分になる。レコード世代の音楽好きにとって、これは大きなターニングポイントであった。オープンリールテープデッキの時代を駆け抜けたファンにとっては、おそらく現役を引退するという決意を固める契機にもなったことだろう。それほどまでにCDの普及の勢いというものはすさまじかった。レコード会社は大儲けをし、オーディオメーカーもそれなりに儲けたはずだ。音楽家達もそれなりにオイシイ思いをしたであろう。随分色んな人が儲けたものである。まったくもってウラヤマしい。そして今や時代はCD一色。まさかこれほどまでに普及してしまうとはお天道さまもビックリ。お釈迦様にいたっては実にビーサプライズドなことであったと思う。
 __と言ってはみたものの、私はレコード世代でもオープンリール世代でもないので、このように感傷的にCDの登場と普及を語る人の気持ちというものがどうにもよくわからなかったりする。私にとっての音楽とはCDレンタル店で借りたものをテープにダビングする作業であり、またはCDそのものであった。気がついたときにはもうそこにあったのだ。確かCDが出てきたとき、私はまだ10歳になったかならなかったかくらいだったはずだ。そんなクソガキ、否、利口なお坊ちゃんに、おいそれとLPないしはアルバムを買うことなどできるはずもないのである。
 しかし、そんな私も今や部屋にいるときはCDをかけっぱなしという、音に浸りきった生活を送っている。CDのない世界などカップラーメンのない世界のようなものだ。はて、一体なにが言いたいのだろうか。CDがないと死んでしまうというようなことだろう。比喩がヘタクソなのは相変わらずである。

ところで、CDを初めて手にしたときより私には一つの疑問があった。こいつはひらたく言えばアルミだかなんだかの板を樹脂でコーティングしたものらしい。多分エンゼルパイみたいなものなんだろう。あるいはチョコパイ。上手につぶしたまんじゅうとかあんパンとか。ともかく、さわってみるとこれがけっこう堅い。しかも部屋が少々暖まっても柔らかくなるということも、まあないようだ。かちんこちんで、溶けない。プラスチックのようなものでできている……。これって折れるんだろうか?それとも砕け散るんだろうか?
 新しいものを手にするとしばらくは無邪気に大喜びするのだが、熱が冷めるとなんだか無償にブっ壊してみたくなる。困った性癖であるが、ああ壊したい。ばりばりのぐちゃぐちゃのめきょめきょにしてしまいたいッ。これが機械なら分解してみればいいのだが、CDには残念ながらドライバーを使うような部位がないようだ。うずうず。壁にたたきつけてみようかしらん。知らず、CDを手にした手に力がこもる。形状から言ってここはやはりややアンダー気味のサイドスローが適当なんじゃないだろうか……わなわな。
 その時の私は、中学生ながら結構アブナイ目をしてたんじゃないかと思う。

ところがところがべべんのべん。アルバムってのぁ一枚買うのにかかる金子がおおよそ三千円。さっきも言ったがこりゃあせいぜい中学生ってぇ風情にそうそう買えるものじゃあござんせん。光に透かしゃあきらきらと、七色に輝くとはいえこの銀盤がなんだ、ただの紙っペラ3枚?いやいやこいつはかの大文豪、夏目漱石先生にございますものども頭が高いってなヤツと天秤秤ではかりゃあぴたっと釣り合うってぇ寸法だ。よりにもよってそいつをはあなんですかい、壁に叩きつけてブッ壊してみようなどと仰る。いやいやアタシも長いこと人間やってきましたがね、べんべん、アンタみたいな変人に会ったってぇ記憶はございやしませんねえばしっ。
 なんのかんの言っておきながら、結局はすんでのなんとか思いとどまったわけなのである。やれやれ危ないところだった、と大きく息をついたのは言うまでもないが、おかげで天性の才能に目覚めて甲子園、ゆくゆくは日本の、いや世界のエースになるという道も閉ざされてしまった。しかしまあ、それはまた別の話だ。ともあれ、今なら雑誌の付録なんかにCDがついてくるのは当たり前だし、実際部屋の中には使いもしないヤツがけっこう幅を利かせているわけだから、当時の私がそんな環境下にいたとしたら躊躇せずにコトにいたってしまったのかもしれない。ま、世の中なんでも思い通りに行くと思ったら大間違いなんだろう。

しかし、部屋が汚いというのはまったくもってイヤなものである。時は流れて大学時代。念願の一人暮らしだひゃっほうこれでどんなに部屋が汚くったって親に文句を言われたりしないぜベイベーな御身分だ。当然のように部屋の中はごちゃごちゃのぐちゃぐちゃなすっとこどっこいである。本は本棚に収まらず時計はどこへ行ったのか見当もつかず冷蔵庫の扉が開かないくらいスゴいのだ。ここまでくると、なんにしたってスゴいのはいいことだとすら思えてきてしまう。あまりの惨状に善悪の境界線がゆらぎはじめたのだろう。多分。
 その時私は、生まれて初めてパソコン(以下PC)というものを手に入れて有頂天にいた。CPUが初代のPentium75MHzってんだから今からすれば大笑いなのだが、ともあれ有頂天だったのだ。笑いたきゃ笑え。そして同時に、その頃私の生活にはちょっとした変化が起こりつつあった。CDの数が急に増え始めたのだ。これは一人暮しをするようになって、突然自分の自由になる金が増えたことによっている。
 さあ舞台装置は整ったね。

私は買ったばっかりのPCでソリティアだかマインスイーパだかをやりながらうききとサル状態になっていた。無邪気なもんだ。小売店の手違いのせいで一日送れて届いたPCラックもちゃんと組立てたし、うひひのむきってな感じはすでに頂点に達しようとしていた。嬉しさのあまり身もだえするあたりはかなりアヤシいと思うが、キャスター付きの椅子がごろごろと前後にうごめくさまは乗り物酔いの権威である私をしてもなかなかいい感じ。ひょっとしたら世界は俺のまわりを廻っているのではなかろうかなどと、とんでもない新学説の着想を得たりもしてしまう。むさくるしさの極みとでも言うべき六畳間を中心にして世界が廻っていたら、きっと世界は大パニックである。ああ、それにしてもやっぱり自分のPCってのはいいなあ。うふふ。いとおしいったらありゃしない。頬ずりしちゃおうかなぁ。頬ずりも悪くはないが、せいぜい感電しないように気をつけてほしいものだ。妄想に身を委ねつつ、キャスター付きの椅子はごろごろごろり。ばきゃっ。

うに?なんだ今の音は。
 あっ。
 しっ、CDが割れてるぅぅぅぅ。
 視線を落とすとそこには無残に砕け散ったCDの残骸があった。どうやら椅子のキャスターに轢かれたものらしい。なんだかものすごく悲劇的だったりしてもう。ちなみに、破片の形は割れたコップのようなもので、ちょうど三角形だか鋭角の扇形だかのようだ。うかつにさわると手を切るんじゃないかというくらい鋭そうにも見える。う〜むCDってのはこんなふうに壊れるのか。しかし、ふむふむかねてよりの疑問がこれで解けたぜうわはははっ……などという態度を取れたはずはもちろんない。頭の中は写生中の小学生が持っているパレットもびっくりというありさまで、脳味噌をひっかきまわすときっとあんな感じがするんじゃないだろうかという雰囲気とあいなった。つまりはちょっとした恐慌状態。いっ、一体なんのCDを割ったと言うのだッ。
 その正体は、PCに付属されていた「英和・和英辞典」のCD−ROMだった。げげげまだ買ったばっかりで使ったこともないのにうわぁぁぁん。号泣モノである。なんてことだなんてことだ。チクショウ誰だこんなところにこんなものを置いたのはッ。うううこれは何者かの陰謀だそうに違いない。うえぇぇんCIAなんかキライだぁぁぁ。
 常日頃から部屋を汚くしているのは誰だと思ってんだこのバカ。

ともあれ、悲劇は突然にやってくるものだったのだ。これだから日常の用心というものは欠かせないのだね。ちょっと悲しいけど、これもいい教訓だと思ってがんばりなさい。うんうん。そんなに簡単に割り切れるかコノヤロぉぉ。ぐるぐるがおぉ。私の発狂状態はしばらくの間収まらずにいた。
 しかし考えてみれば、これが「英和・和英辞典」のCDだったのはまだ救いであった、とも言えるのではないか?これがもし自腹を切って買った音楽CDだったら?それとも買ったばかりでうははPCのシステムCDだったら?今ごろ私はこんなくっだらねぇ文章など書いてはいないはずである。じゃあどうしていたのかというとそれは想像に委ねるしかないのだが、たぶん鉄格子の向こうから外の世界を眺めたりしていたに違いない。それに「英和・和英」のCDなぞ、持っていたところでそうそう使うものでもなさそうなシロモノだろう。その推察根拠としては、一緒についてきた「広辞苑」の方は数えるほどしか使わぬままにお蔵入りになったという事実を挙げておけば足りるはずだ。……うう、たしかにそう考えてみればなんとか我慢できないこともないかも……ぐすん。やっぱり悲しいけど、俺、頑張って生きていくよッ。しろ●っ。先生ッ。ひし。そして二人は夕日の射す砂浜で固く抱き合ったのだった。……なんだか眩暈がするような展開だ。だが、実際そういう風にして私は精神崩壊の危機を乗りきったのである。おそらくこれを読んでいる方の中にも、これから「英和・和英辞典」のCDを割るさだめを持った人がいるかと思う。が、この経験談がそのショックから立ち直るための一助となれば幸いである。

ちなみに、この事件があまりいい教訓にはなっていないということの実例として、その後私が割った、ないしは叩き割ったCDの総数が5枚に登るということを最後に書き添えておく。

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