邂逅

まったく思いもよらなかったところで昔の知合いに会う、などということが時たまあるようだ。けっこう悪くないものである。電話をして、いついつにどこで会おうと決め、その日を楽しみにして指折り数えてまっているというのも良いが、偶然というのは不意を打たれた驚きをもってその喜びを何割か増しにしてくれる。おお懐かしいなあ何年振りだい高校を卒業してからだからかれこれ×年ってところか。いやいやもうそんなになるのかまったく時の経つのは早いもので云々。で、どうだい最近は仕事してるんだろ。え、入試で3浪大学で2留。それに加えて就職難でまた浪人。いやぁはっはっは人生は長いからそういうことだってあるよなうんうん。それはそうとして、あの時貸した500円返してくれ。
 たまには思いもかけぬハプニングだってあるが、それだってまた楽しからずやだろう。過ぎてしまったことには妙に寛大になれるのが人間だ。たまには飯でも一緒に食って、浮世の憂さを晴らすのがよかろう。さあ今日はゆっくりと話をしようじゃないか。なんだと。なに言ってるんだ返してもらってなんかいないぞどういうことだそれはいつの話だ一体どこでそんな。おいおいそんなことあったか?全然記憶にないってお前まさか俺をハメようとしてるんじゃ。コノヤロウそういうこと言うか。じゃあこっちだって言わせてもらうけどな、年賀状の当選番号が発表になってから送るようなマネはやめろよガキじゃあるまいし。うるせえ何回言ったらわかるんだお前のそういうところが俺は大キライだったんだってんだよ。やるかコイツっ。

たまに例外はあるものの、昔話には花が咲くものだ。思い出は知らぬ間に美化されているというのはよくある話なので、普段の生活に飽きていたりするとこれがまた実に楽しかったりする。不思議なことに何年会っていなくても友達というものはすぐにまた昔と同じような関係に戻ることができるのだ。まったく持つべきものはたまにばったり会う旧友である。ついつい飲みなれない酒なんかどんどん頼んじゃったりして楽しいなあえへへへ。げげ、お前彼女ができたのか。な、なんだってど、どどどど同棲だとぉぉぉぉッ?……許さん。お天道様が許そうともこの俺が断じて許さんッ。俺はお前をそんなヤツに育てた覚えはないんだからなッ。もしなんだったら今度その娘の知合いを紹介してくれないか。オネガイ。

ところで、私が大学一年生の頃にもちょっとした邂逅のようなものがあった。
 まだ一人暮しをはじめたばかりで親元を離れたという開放感からか頭のネジが158本ほどはずれ、毎日を自堕落に過ごす日々。いや、もちろん授業はちゃんと出ていた……と思うのだが、その辺はなぜか記憶が曖昧である。実に不思議だ。ともあれ、ベッドの上をごろごろしながらろくに見てもいないくせにつけっぱなしのTV。そのうえCDなんかもかけちゃったりして、需要の増加を見込む電力会社大喜びの生活である。麗しきかな一人暮し。ああ水は低いところへ流れてゆくのだね父上っ。
 とはいえ、毎日毎日同じようなことを繰り返して半年くらいが経つと、さすがにそれにも倦んでくるというもの。事実その日私は退屈していた。ただ流しているだけのTVに、何度聴いたかもわからない、いつもと同じ音楽。ああ金さえあれば新しいアルバムが買えるのに。う〜それにしてもヒマ。本読む気力もないし、ゲームも新しいの買えないからみんな飽きちゃったしなあ。寝るか?寝る子は育つっていうけどなあ。全然眠くないし、これ以上育つのもなんか遠慮したい気がする。あああヒマヒマヒマヒマヒマっ。学生のクセに勉強しようという考えはこれっぽっちもない。

と、そこに部屋のドアをノックする音が。あまりにも唐突だったので私はベッドから転げ落ち、実に高校の体育以来となる横受身をしてしまった。畳の上にひいたカーペットにばしっと平手打ちである。だが、一体誰だ?頃合はおおよそ夜の八時をまわったあたり。そんな時間に尋ねてくる人物にはさっぱり見当がつかず、私は悩む。まずは消去法で候補となる人物を消していくという、こういう場合には妥当至極な方法を取ったのだが、ほどなく候補者は全員消えてしまった。なんてこったい。むむむむ一体今ドアの外には誰がっ。くやしいがさっぱりわからん。わからないことは知りたい。人類が進化するにもっとも必要であったはずの思いを抱き、私の困惑は渇望へと移ろっていった。誰だ誰だ誰なんだっ。そこに到って、ようやく私はドアを開けた。ドア一つ開けるのだけだというのに、ずいぶんと回りくどい話だ。


「おいっす」
 どこかの誰かのようなその台詞は、果たして下宿で私の隣の部屋に住んでいたα君であった。これは意外な人物である。隣人であるとはいえ、α君と私は学科が違う。学科が違えば授業の時間も違うというわけで、普段はあまり顔を合わせることがない人物である。なんだってんだイキナリ。
 そこでふと隣を見ると、見なれない女性だか女の人だか娘ッこだかが一人。あん?おいおい入学半年でもう彼女自慢かこのヤロウは。私は某工業大学に在学していたのだが、この工大ってぇところはいうまでもなく女性の比率が著しく低い地域である。にもかかわらず、だろうか。う〜む世の中には隅に置けんヤツもいたもんだ。確かに見せびらかすのが目的なら普段あまり話をしない私のところに来るというのも頷ける。いや、しかし、なんだ。妙にムカツくのはなんでだろうねぇ。顔面の筋をビキビキ言わせながら愛想笑いを浮かべる。う〜む、顔の表面に薄く石膏でも張ったみたいだなあ。べきべき。いっそのこと一発お見舞いしてしんぜようか。ひくひく。
 だが無遠慮極まりない視線をずいずいと注ぎながらα君の様子を観察する限りでは、その女性はどうも彼のナニではないらしい。はて?とすればこれは一体どういうことさ。私は説明を求めた。こいつは一体どこの誰だ。彼女でもない女性を連れて私の部屋に。まさかこれがウワサの美人局?う〜む。人の話の先回りをして意味不明の憶測を立てるのはこの頃からあまり変わっていない。
 ところが、α君の説明を聞いて私はぶったまげた。
 私と同じK市の出身で、しかも高校まで同じだと?でもって今は工大の近くにある短大に行ってるってかい。んん〜。私はうめいた。それが私をかつぐためのウソでなければ、これはどこの誰どころの話ではない。脳内大騒ぎである。しかし困ったことに、その同郷の女性に私はまったく見覚えがなかった。う〜む、一回くらいなら見たこと……ないような気がする。おいおい本当に同じ高校だったのか?私はかすかな疑いを覚えた。しかし……まあ1学年に400人はいた高校だったのだ。3年間で一度も見たことがないというのも、ありえない話ではないかもしれない。それとも彼女はものすごい照れ屋さんで、おいらの前に姿を見せないようにしていたということもないではないというような気もしないではない。おおお、とすれば、彼女はおいらに×××。そんでもって○○が△△の□□□っ?うわあマイッタねこりゃ。でへへ。伏字のところは想像に任せるとして、果たしてどこをどうひねくりまわしたらそういう結論が出るのだろうか。今となってはよくわからないのが残念である。いや、本当によくわからないんだってば。そんな目で俺を見るな。


「ね〜、私の名前覚えてる?」
 ぐわっ。な、なななななんでそんな事を聞くっ。私は激しい狼狽を覚えた。そういうことを聴くということは、まさか。私は曖昧に頷いた。この場は何とかごまかすのだ。私の煩悩、いや本能が全力でそう訴えかけてくる。え〜、え〜と、その。私の反応が不満だったらしく、彼女はすこしだけジト目になった。
「覚えてないの?ほら、一年のとき同じクラスだった○○だよ」
 ぎゃあああああああ。なっ、はっ、いよっ。歌舞伎役者さながらの声をなんとか飲みこみつつ、私の驚きはそこで頂点に達した。よりにもよって同じクラス。どおお、それならつまり、一年間同じ教室にっ。ぎえええ。ぐぎゃ。むぎょ。わあああそんなお方に向かって俺は、俺は見た覚えがまったくないだとか、どこの誰だとか、あまつさえ横受身っ。耳から煙が出るというのはまさにこういう時のことを言うに違いない。わぅ。はぎゃ。おぎょぎょ。ああ無性にカッポレが踊りたい。ううう俺はなんて薄情な男なんだぁぁぁぁ。おいおい私が悪かったです。しかしこの期に及んで私の記憶の中に彼女の姿はない。名前すらないっ。あああ薄情振りさらに2倍って感じだ。カミサマっ、そんなに私がお嫌いですかっ。よよよよ。
 ……α君はスキー同好会の所属だった。なんでもそのカラミで女子短大というとんでもない所とお近づきになれたというのである。ううむウラヤマしい。いやいや今はそんなことを言っている場合ではない。ぐぬ〜。これから向かいの下宿の友達の部屋で飲むという彼らに連れられて、私は部屋を出た。意気消沈の肩落としまくりである。とほほ。お父さんお母さん私が悪かったです。これからは心を入れ替えて……どうしよう。う〜む。う〜む。
「まさか忘れてたなんてこと、ないよね〜?」
 だからそう言うことを聞くなッ。蹴るぞ蹴るぞ蹴り倒すぞ。
 そんなわけで、肝心の飲み会ではジンなどというふざけたものが出たにもかかわらず、さっぱり酔うことができなかった。顔はあっさりと真っ赤になったが。ブロークンハートを抱え、早々に引き上げたのは言うまでもない。ついでに次の日の授業をサボタージュしたのも言うまでもない。やれやれ。

しかしそれから今に到るまで、私はいまだに彼女のことを思い出せずにいたりする。今となっては顔も思い出せないし、名前も忘れてしまった。う〜む、あれは夢だったんじゃないだろうか?
 そういうことを言っている以上、私は永遠に薄情なままなのである。

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