銀の針

世の中には便利なものがたくさんある。それは人間によって積み上げられてきた歴史の道標であり、記念碑であり、あるいは路傍の石である。そして、我々の生活はおおいに依っている。それなしでは生きてゆくことすらままならぬのだ。たとえばもし傘がなかったら、我々はどのようにして雨から濡れずに生きてゆけると言うのだろう。雨が降ったら濡れればいいさ、などと暢気に歌っている場合ではないのである。他にもあまり普段は意識しないが、もしなくなってしまうとエラく困るものが身の回りにはあふれている。それは生活の彩りですらあるのだ。傘のない世の中を想像してみるがいい。そのなんと無味乾燥とした世界であることか。そんな世界では生きていけない、と世を儚む人が続出すること必至である。ああ恐ろしい。誰だか知らんが傘を始めて編み出した人よ、あなたはとても偉かった。

だが、実際のところ傘の話などどうでもよい。私が話したいのはもっと別な世の中にあるたくさんの便利なもの__たとえばホチキスなんかどうだろう。そう、私はホチキスの話がしたいのである。というわけでここからが本題だから目ン玉見開いてよく読むように。このホチキス、英語では一般にステイプラ(stapler)だが、これは何枚かある紙をがちゃんこと一まとめにするのに重宝する。とんとんと端をそろえて一発お見舞いしてやるだけでバッチリだ。書類の多い職場ではこれ以上ないくらいの大活躍。もしこれがなければ書類を束ねるためには常にクリップを使わなければならくなるのだが、アレはどうにも耐久性の面で見劣りがしてしまう。勢いよくページをめくるたびに吹っ飛んで、紙が床一面にばら撒かれてしまうようでは困るのだ。床は書類の海になるだろう。机の中も本立てもゴミ箱の中も、おまけに湯呑の中も書類まみれで大騒ぎである。その都度拾いなおしてちまちまとページ順に並びなおすなどというのは面倒だから、バイトさんちょっとやっといてと無責任に他人に押し付け、あるいはバイトさん悪いけどもう一部お願いね、などとぬけぬけと言ってのけるオヤジ大行列で作業効率の劇的な低下は免れない。バイトさんだって暇ではないのだ。あんまり無理難題を押しつけていると、あとで背中から刺される可能性もなしとはしない。恐ろしくてとてもクリップに全権委任などしてはいられまい。洗濯バサミの出る幕など、始めからどこにもないようにも見える。
 その点やはりホチキスは素晴らしい。力の限りにベージをめくったところで、せいぜい一番上のページがびりりと破れてうひゃ、と叫び声を上げる羽目に陥るくらい。他のページはまったく手付かずで平穏無事な天下泰平である。思わず渋茶をすすりたくなってしまうようなシチュエイションではないか。また、そのコンパクトさも魅力だろう。クリップと違って、ページをめくった後にその存在感を全身全霊、力の限りを込めて主張するということはない。彼は謙虚なのだ。あの1mmにも見たぬガタイにしてその強固さ。それはまさしく賞賛に値する働き振りであると言えるだろう。しかもそれを鼻にかけるでもなく、あくまでも寡黙に控えめに自らの役割をのみ果たしてゆく。時計やらマグネットやらの付加価値になど、なんらの興味もないようだ。ああ、惚れ惚れするくらいの潔さ。もしもピアノがあったなら、ホチキス賛歌でも作って弾き語りでもしてやるところなのだが。

ところが、世の中には完璧なものなどそうそうあるものではない。まことに残念なことながら、ホチキスにも私をうぬぬとうならせた挙句に頭を抱え込ませて飽き足らぬ難点があるのだ。

その日、私は人事異動に伴う残務整理に追われていた。まさか動くことになるとは思ってなかったんだけどなあブツブツ、と心の中で呟きながらも表面上は黙々と仕事をこなしてゆく。周りに誰もいなかったのだ。
 私がいた部署はとにかく書類が多いことで有名だった。局内でも一二を争うというのだから大したものである。その内容はいかにも役場らしく申請書や届出書の類。年間処理件数は3000件強だ。それを私とその上司の二人で処理して行く……のだが、生憎その上司が一足先に移動してしまったので年度末の忙しい時期に実質私が一人で仕事をしていかざるを得ない状況になっていた。他にも仕事はあるというのに。ううう冗談じゃないよな。でもここで不満そうな顔をしてはいけない。あくまでも表面上はにこやかに、にこやかに。でもあんまり嬉しそうにしてると「そんなにここから出て行くのが嬉しいのかこのクソガキャ」って思われるから節度はわきまえて……。仕事は遅々として進まない。
 ともあれ、私は年度内に処理した書類のファイリングをしていた。そんなの書類が出てくるたびにやってりゃいいじゃねえかと言うムキもあるだろうがさにあらず。いちいちそんな面倒なことはしたくなかったのだ。明日やれることは明日やれ。とても社会人一年生の台詞とは思えないが、私はそういうヤツなのだ。だが、その作業の妨げになったのがほかならぬホチキスであった。
 ファイリング作業とは書類を何件かまとめてぶすりと穴を開け、でかいファイルに閉じるという、ただそれだけの仕事である。モモンガでもできそうなくらい簡単だ。けれどもその簡単なはずの作業がなかなか進まない。なぜだ。私は煩悶した。時計は淡々と時を刻んで行く。残業手当を稼げるのは嬉しいが、だからといって日付が変わって朝帰りなんて冗談じゃねえぞ。なぜだなぜだ。うううコイツらまとめてシュレッダーにかけちまえたらラクなのに。発想がかなりアブない。
 さて、書類というやつは一枚だけでほいっと出てくるばかりではない。何枚かまとめて出てくる場合、これが大抵ホチキスで留められているのだ。まったくお役所仕事ってのはこれだから困る。で、その場合、やり方はおおよそ二通りに分類される。左上だけ留めるやり方と、左側二箇所を留めるやり方だ。
 まず左上だけ留めている場合。これは穴を開ける作業の支障にはならない。たんに穴あけマシーンにセットしてがしょんぶすぶすぐさっとやればいいだけの話だ。だが、いざそれをファイルに閉じようとする時に問題が勃発する。ホチキスの針がいくらコンパクトとはいえ、ヤツも所詮は金属。まとまると無視できない厚さになってしまうのだ。ファイリングのコツはあまり詰めこみ過ぎないことにあるのだが、私はそのコツを完全に無視したやり方をしていた。どうせ後から見返すなどということはほとんどない書類どもである。ファイルだってタダではない。ならば詰めこめるだけ詰めこんだ方が節約の原理にかなうではないか……。だが、書類だけなら充分に閉じることが出来るはずなのに、ホチキスが存在しているがためにむぎゅっと体重をかけた際の圧縮効率がどうにもよろしくない。つまりはもっと薄くなるはずなのにホチキスの針がそれを邪魔する。コンニャロ。私は書類の左上部分をヤツもろとも切断したくなった。四角四面というのが通常の紙のありようだが、たまにはスタイリッシュに決めてみるのも悪くないんじゃないだろうか。……でもその作業を誰が?ちっ、運のいい奴だ。
 まあ、これはまだいいだろう。書類を何部か取り除けば閉じることが出来るくらいの厚さにすることは可能なのだ。単に閉じこむ枚数を減らせばよい。子供にだってそんなことはわかる。
 しかしもう一方の左側二箇所留め方式。これが厄介だった。というのも、単純に穴をあける際に邪魔になる。穴あけマシーンの刃vsホチキスの針という両雄の雌雄を決する争いになってしまうのだ。力任せにやれば大抵は穴あけマシーンの刃が勝つのだが、それとてとても無傷では済まず刃こぼれが生じてしまう。下手すりゃ刃が折れる。穴あけマシーンをブッ壊したフトいヤロウということで私が怒られる。うううやっぱりホチキスの針が邪魔なんだ。
 結局私はちまちまと全ての書類からホチキスの針を抜く作業に取り掛かることにした。世の中にはホチキスの針取り機通称リムーバというこれまた便利なものがあって、それを使ってということになるのだが、どうしたってみみっちい作業であることには違いない。おりしも時間は22時を回ったところである。世間一般のサラリーマンはもうとっくに晩飯も食い終わって一休み。ごろっと寝転がってテレビでも見ようかねうΓう〜ぃ極楽極楽あとで風呂でも入って寝るかなどと考えている頃だろうに、よりにもよって私は背中を丸めてホチキスの針の除去作業である。なんだか世の中の全てを呪ってしまいたい気分になるではないか。ちまちま。ああまだ晩飯食ってないから腹へってぐるるる。そういや呪いってどうやってかけるんだ?ちまちま。机の上にはどんどん取り外された針がたまっていく。お役御免になった彼らは、ただ捨てられるのを待つばかりである。だが、時折針の片側だけがはずれて私をいらだたせるヤツがいる。コノヤロウそんなにはずされるのがイヤかっ。ええいこれじゃあリムーバも使えない。ぐぬぬ指で引っこ抜くのががるる。紙の上に突き刺された棒のようになった針はなかなか抜けてくれない。裏側ではしっかり根を張っているのだから当然なのだが、それにつけてもこの針のつかみにくさよ。誰だホチキスの針をこんなに小さく作ったやつはッ。コンパクトなのもこんなふうに八つ当たりされることを思えば善し悪しである。うりゃっ。
 悪戦苦闘はそのあともしばらく続いたが、なんとか終わってほっと一息という段になった。やれやれ、ようやく終わった。コノヤロウ苦労かけやがって。掌で針を集めてゴミ箱にじゃらじゃら。分別収集など誰の知ったことであるか。まったく単調な作業ほど人を疲れさせるものも他にはそうそうあったものではない。

さて、ようやくファイリングも一段落。あとは適当に掃除でもして帰ろうかね。私は床に落ちているゴミを拾い始めた。書類に穴をあけた際に出た紙クズをこれまたちまちまと拾ってゴミ箱へ。だが、そこで私はまた不穏な影を見止めた。クリップかな?……違う。それはホチキスの針であった。うう、しかたないなあ。せっかくだから拾って捨てといてやるか……。指先でつまんで持ち上げ……持ち上げ……持ち上がらない。どういうことだ?私は訝しんだ。まさか日々のデスクワーク続きでホチキスの針が持ち上げられないくらいに体力が低下したのか?そんな馬鹿な。私は床にはいつくばって状況を確認した。ぐぬ。件の針は絨毯の毛足に巧みに絡み付いていたのだ。コノヤロウこの後に及んでコンシクショー。私はもういい加減イヤになった。もう知らん。勝手にしやがれッ。苛立ち紛れに椅子にどさっと座る。ぐさ。イテっ。足になにか刺さったぞ?立ち上がって今度は椅子に顔を近づける。そこにはまたホチキスの針が鎮座ましましていた。
 てめえ人より先に椅子に座るなんざ13年8ヶ月早いってんだッ。私は苛立ちまぎれに毒づいた。が、この数字に無論根拠はない。それにしたってなにもこんな疲れている時に「ぐさ」はないだろう「ぐさ」は。私は世の不条理を嘆きまくった。だが、どんなに嘆いても一人きりだから虚しい。

小さいのは確かに便利なことなんだが、それがいざどこかへいってしまった時には実に見つけにくいものである。私はそれを身をもって体験してしまった。しかし、その代償がよもや絨毯の毛に絡まってぐぬぬだとか、椅子に座ったら足に座ってぐさっとかじゃあなんだかやりきれない気がするのは一体なぜだろう。ええい、それもこれも全て書類を留めるのにホチキスなんぞを使うのが悪い。いっそのこと書類を束ねるのにホチキスなんか使わなきゃいいのにさ……と思ったところでやっぱりクリップに全権委任はヤな感じである。机の中にあるクッキーの箱一杯にたまったクリップの山も見過ごしにはできない。やっぱり世の中に書類のある限りホチキスとの縁は切れそうにないなあ。ああ、しかもよく考えたら分別収集の世の中じゃないか。うう、なんだか日に日に世の中が複雑になっていく気がする。これが世間の荒波ってヤツなのか?ぬぬぬこのままだと挫けてしまいそうだ。とほほ。

ともあれ、それ以来私はあまりホチキスの針のことが好きではなくなった。つい最近の話である。

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