パソコンは車だ(?)

PCの一般的な普及に伴って、当然の如くに初心者が増加する。そういう人がちょっとわからないことがあるから、と言ってまず最初に頼るのは誰だろうか。サポートセンター?そうとばかりも思えない。彼らがまず始めに相談事を持ちかけるのは、身近にいてかつ以前からPCを持っていた人達である場合が多いようだ。確かにそれは、いきなり見ず知らずのオペレーターがひしめきあっている(らしい)サポートセンターに徒手空拳で、おまけに全然繋がらない電話をかけるよりはよっぽど気楽だろう。なにせ向こうは自分たちが初心者であることを知っている。「初心者」という三文字は万能な免罪符なのだ。どんな質問をしたって笑って許してくれるに違いない。素晴らしい。さっそく電話でもしてやろうではないか。時間など誰の知ったことか。このままでは腹立たしくておちおち眠ってもいられない。
 そのようにして、単に「前からPCを持っていた」というただそれだけのことでいきなり頼りにされる人もまた増加しているはずだ。しかも質問者のレベルがレベルだけに、解答するのには相応の苦労が伴う。ワープロソフトでちょっと気の利いた資料が作りたいからと言って、まさか他の仕事もせずに2日も3日もかかりきりになっていたとは。間違えてフォルダごと移動させてしまって「ファイルが大量に消えた」と騒ぐなんて、そんな。例をあげていけばきりがない。その悪戦苦闘振りには涙ぐましいものすらある。
 もっとも、質問された側がきちんと理解しているかどうかと言えばそれもまた怪しい話だ。経験とスキルというのは残念ながら比例関係にはないのである。これをそれなりの知識をきちんと備えた人から見れば、初心者同士が喧々囂々、的外れな議論を戦わせているようにしか思えないことも多いだろう。その滑稽さのようなものを取り上げているWebpageも探せば結構な数が見つかりそうだ。

ともあれ、PCを始めとするコンピュータのアーキテクチャを初心者に一から説明しようとしたとしても、おそらくその大部分の果敢な試みは挫折をもって報いられるような気がする。2進数とそれに準ずる概念(bitとbyte?)や「アドレス」チックかつデジタルなデータ処理(16進数で現された住所?)__理由は色々あると思うのだが、慨して言えばデジタル(2進数)的な知識が通常の生活に馴染まないものであるというところに原因があるのではないだろうか。人間の指は10本だし、60進数と12進数にも長年親しんできただけに愛着があるのだ。この後に及んで、なんだってまたそんなわけのわからない数字の話なんかしなきゃならんのだ。御説ごもっともである。だが、彼らのコンピュータに関する貧弱なボキャブラリを目の前にすると「説明する」という行為が20世紀梨にバク転を教えようとすることにも等しく思えてしまう。
 しかも初心者と言うのは傲慢である。「初心者なんだからもっとわかるように説明してくれ」。常套句だ。だが、繰り返して言うが彼らのボキャブラリは貧弱そのものである。果たして、足し算も出来ないような子供に二次方程式を解かせることは可能だろうか。可能である。意味などどうでも良いから、なんでも公式((-b±(b2-4ac)1/2)/2a)にぶち込ませて機械的に対処させればいいのだ。だが__と被質問者は悩む。そんなことに意味があるのだろうか?あるのだ。質問している側が求めているのはまさにそれなのだから。利害は一致した。じゃあ教えましょう。かくしてなんの応用も利かないその場凌ぎの対処法が伝授される。だが、だからと言って一つ一つステップを踏んでいくのもしんどい。出発点は根元にはなく、枝葉の部分にある。世の中にはボトムアップ方式がまだまだまかり通っているのだ。

さて、何度となくアプリケーションの操作法は教えた。相手もある程度はこちらに頼ることなく作業ができるようになったらしい。ようやく作業効率も上がり始めて一安心__となったところで状況は次のステップへ移行する。「なんだか作業が遅いんだけど、どうなってるの?」ちょいと見てみるとアプリケーションが山の如くに立ちあがっている。巨大な画像ファイルを扱っている。HDDは当然のようにがりがり。しかし、本当の問題はそこにはない。質問する側の興味の的がソフトウェアからハードウェアに向いたという、その点にあるのだ。いよいよ専門用語がひしめく領域の話をしなければならないのか?メモリを使いすぎですよ。使っていないアプリケーションは閉じてください__ふむ。ところで前々から思っていたんだが、メモリってのは一体何なんだ?
 ここできっちり説明をしてやれば、彼もいっぱしのコンピュータ通を気取ることができるようになるかもしれない。だが__今までまさしくブラックボックスであったものの話をして、本当に大丈夫なのだろうか?被質問者は再び悩む。ちゃんと理解してくれるならまだしも、中途半端な理解は勘弁してほしい。鼻の穴を広げて他の人にそれを吹聴するのは願い下げである。メモリは記憶媒体なんです。アプリケーションを動かすときに使うデータを一時的に入れておくんですよ。ハードディスクよりも読み取りが早いですからね。それほど難しい話ではない__まだ。だが、これから先もそれで済むとは思えないのだ。こちらの知識もあやふやになってきたし(これが多分本音)、できればそろそろPCの質問に関しては打ち止めにさせたい。
 こういうときに有用なのが、コンピュータを他のモノに置き換えてしまうというやりかたである。たとえば、自動車。
「メモリって言うのは車でいえば足回りなんですよ。いいもの__つまり容量が大きいものにしてやれば、それだけスムーズに動いてくれるんです」
「ほうほう。じゃあどうやって取り替えてやればいいんだ?」
「お店の人に言えばやってくれますよ」
「そうなのか。ところで、CPUがどうのとか言う話を聞いたことがあるんだが__」
「え〜、CPUってのはエンジンです。軽四輪で引越しの荷物を全部一気に運ぶってのは無理ですよね」
「なるほど。じゃあそれはどうやって__」
「お店の人に言ってください」
「でも○○さんはどっちも自分でやったらしいぞ」
「車でも、好きな人は自分でオイル交換とかするじゃないですか。似たようなもんですよ。そこまではなぁって人は整備工場に持っていけばいいんです」
 絶対にPCの内部を覗かせてはならない。グラフィックボードは計器であり、サウンドカードはカーステレオである。SCSIシガーライターだ。それを使って別の機器をとりつけることができるじゃないか。カスケード接続なんて誰の知ったことか。Ethernet?ええい、バッテリーが切れたら他の車を持ってきて繋ぐことがあるだろう。アレだアレ。やりたかったら全部整備工場に持ち込みやがれ。イエローハットでもハローズでもいいぞ。
 相当無茶苦茶なことになっている。

ともあれ、大体はこんな感じで目先をそらせてやればなんとかなるものだというのが経験的にはある。CPUの浮動小数転演算がどうこうと言うよりは、エンジンの排気量だと言い切ってしまった方がいいのだ。なにも小難しいアーキテクチャの話などしなくても万事解決。こちらのアヤしい知識も露呈することなく一石二鳥である。他の分野でも言うだろう。初心者にモノを教えるときは、わかりやすい例えを使ってやるのがいいんだって。かくしてCPUはエンジンとなり、メモリやHDDは足回りとなる。そして、そういうちょっとナゾな知識を教え込まれた人たちがどんどん市場に出回っていってめでたしめでたしという運びになるのである。そしてみんなが平和に暮らしましたとさ。
 しかし、これは所詮いわゆる「問題のすり替え」であり、そのことについてはやはりいくばくかの罪悪感と言うものがついて回ってしまうだろう。うう、やっぱりちゃんとした知識を教えてやるべきだったろうか。たとえ「マニア」と言われようと、しっかりと理解を持ったユーザを育てることこそが、明るいコンピュータ業界の未来を作るのでは?何故か被質問者の方がいつまでも悩み続けている。こういう時にはもう開き直るしかない。ええい、そもそもはといえば向学の精神にもとるあやつらが悪いのだ。0101の話をすれば「初心者にそんなことわかるわけないじゃん」と言い、一方では「ちゃんと説明してくれ」などと矛盾したこと言いやがって。人に頼ってばっかりいないで少しは自分で本でも買って勉強して見やがれッてんだちきしょうメ。などと初心者を散々こき下ろして溜飲を下げるのだ。
 現代が不健康な時代だというのも、なんとなくわかるような気がする。

「ところで、タイヤの空気圧設定ってのはPCだとどこでやるんだ?」
 やれやれ、車マニアってのはこれだから困る。ええいBIOSだとかマザーボードのジャンパピンがあるだろうが。しまったこれは禁句だッ。

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