パソコンは会社だ(?)

前回、パソコンの説明をする際に車に置き換えてみるという話をしたのだが、その直後のチャットで「いや、俺はもっと別の例えを使う」という人がいたのでその話を聞いてみた。するとどうにもそちらの方がウマく説明ができそうである。なんてこったいとわが身の不明を恥じつつも、せっかくだから紹介してみようと思う。

まず、HDDは本棚である。と、くればデータは本ということになろう。なるほど、実にもってこの上ない例えのようだ。そもそも本というのがデータそのものだし、本棚がそれを蓄積していくものであることを考えれば頷ける話ではないか。長いこと使っていればだんだん配列がぐちゃぐちゃになるし、たまに整理をしたほうが使いやすくなると言うのはWindowsで言うデフラグということになる。たまにスキャンディスクをかけてやれば、本の間から千円札なんかが見つかって嬉しいかもしれない。大容量化が進んでバックアップを取るのが大変だと言うのもなんだか相応しいような気がする。同じ本を2冊買って、その上同じ本棚も買ってしまえば、さしずめミラーリングに相当するのだろう。金もかかるし場所も取る。しかもあまり効率的ではない。うむ、いいではないか。それから?
 で、メモリは実際に作業をする際の机、なんだそうだ。机の上に本を広げながら作業することを思い出せばいい感じだ。ちょっと視線を投げてやればすぐ必要な情報が取り出せるのだから、HDDに相当する本棚にあるデータよりは高速度でのアクセスが可能である。これは便利だ。だが、金がなくて小さな机しか買えない場合もあろう。これはPCに搭載しているメモリが少ない状況に当たる。小学校なんかで使っているあの小さな机なんかを思い出せばいいんじゃないだろうか。そこに無理やり沢山の本を乗っけたりすると、いざ見たいと思ったときに目的の本が下に隠れていたりしていちいち骨が折れる。下手をするとはみ出した本が机から床に落っこちたりしてしまうこともあるだろう。……とするとなにか、床に落ちた本はスワップファイルとでもいうことになるのだろうか?う〜むなかなかウマくできている。で、他には?
 今度はCPUのクロックスピードということになる。なんでもこれは作業する人の手の本数だと説明するらしいのだ。……なんだか突然話がアヤしくなってないか?だが、まったく納得のいかない話というわけでもない。確かに2本しか手がないよりは3本あったほうが作業するにはラクそうだし、細かいビス止めなんかでうききな思いをしたことがある人なら、あの「あぁもう一本手がほし〜い!」という気持ちはわかるだろう。足は使えないかとヨガも真っ青の柔軟運動をしてみたりして。顎でモノを押さえようと無謀な試みもしてみたりして。しかし、実際に手が3本4本と考えてみるのもなかなかにシュールではある。だとすると千手観音なんかはさしずめ今話題の1GhzCPUに相当するのだろうか?

とまあ、大筋としては大体そんなところだった。なるほどねえ。確かに車なんかにたとえるよりはよっぽど核心をついていると思わざるをえない。そもそもコンピュータというものが事務作業の効率化を目指していることを考えれば、なぜわざわざ車などというけったいな例えを持ち出してこなければならないのかと悩んでさえしまいそうだ。むむむ。
 だがしかし、やはりCPUの速度が手の本数というのがなあ。と、なんとなく劣等感を感じてしまっている私としては思うのである。シュルレアリスムもいいが、なんとなく不気味な絵だとは思わないか?いや、「キン肉マン」のアニメで三面六臂の「アシュラマン」がうごめいている様を実際に見たことがあるわけだから、なんとか想像ができなくもないわけではないのだけれどもね。いや、決してやっかんでいるとかそういうわけではなく。チャットの画面には動揺するそぶりなど微塵も見せず、それでも私は密かに流れ落ちる汗を感じていた。

というわけで、よりスムースな例えを目指して、ここで「PC=会社」説というものを打ち出してみよう。なんだほとんど同じじゃねえかというそしりがあるのはやむを得ないが、いいんだ。オリジナリティはまるでないし、きっとどこかで誰かが同じ説明をしているであろうことは間違いないことのようにも思えるが、いいんだ。なにはともあれ文章にすることに意義があるのかもしれないのだから、いいんだ。

まずはスペースが20〜30畳くらいの中規模なオフィスを考えてみよう。これが一般的なPCに該当すると考えると、書類がデータであり、書庫がHDDということになる。机がメモリだというのもそのまま流用しよう。床に書類をばらまきつつ仕事をするというのも、ありえないことではないだろうと思う。ファイリング等によって書類を見やすくまとめる作業がデフラグ。でもって、書類が増えてきて別に書類の保管庫なんかを作れば、それは外付けのHDDということになりそうである。実際のPCだとSCSIあたりで外付けHDDの方がシークタイムが短いということがあるが、これは保管庫には専属の職員がいるのだと考えればなんとか説明がつくだろう。彼は保管庫にある書類の位置関係がしっかり頭の中に入っており、並の職員よりも素早く目的の物を取り出すことができるのだ。「生ける書庫の主」なんて呼ばれたりして、腕には今時珍しい黒いバンドなんかをしているかもしれない。最近は内蔵のHDD、つまり事務所に置くタイプの書庫も性能が上がってきて(きっと書類整理用のインデックス整理でもしたのだろう。電動スライドのものを導入したのかもしれない)、SCSI(外付け)が必要になる場面というのは減ってきているが、これもなんとなく時代を反映しているような話ではないか。もっとも、いざというときにはやっぱりSCSIだよなという意見も根強くあったりして。
 そして問題のCPUの速度はもう従業員数に他なるまい。ほら、手が何本っていうよりもより自然だ。ただ、この従業員数は多けりゃいいというものではない。大して仕事もないのに従業員の数だけ多くしたって、それは効率が悪くなるだけの話である。仕事量にあった数だけいればいいのだ。ほら、1GHzだなんだっていったって、実際にそんなスピードを必要とするアプリケーションなんてそうそうないではないか。分相応こそがよろしいのである。PentiumIIIやAthronなどの高性能CPUはさしずめ一流大卒のエリートとでもいうことになるだろうか。確かにいい働きはしてくれるかもしれないが、なにせ雇用するのに金がかかるし、せいぜいが伝票整理くらいしか仕事がなければそれは宝の持ち腐れということになる。それならCeleron/K6クラスだって充分なのだ。ちなみに従業員数が増えてくれば、同時にこなすことのできる仕事の量も増える。これなんかはさしずめマルチタスクってことになるんだろうか。だからといって従業員数だけ増やしてもそのうち机(メモリ)が足りなくなってスワップファイル、つまり床に散乱する書類が増えるばかりということになる。従業員がそれをふんずけてがさがさ鳴るのはHDDががりがりいう音に対応するということになるだろう。
 ちなみに、この「PC=会社」モデルはネットワークについてもそれなりの説明を可能にしてくれる。つまり、支社である。本社はサーバで支社がクライアント。人事の管理、つまり各PCの管理はサーバで行い、それぞれの仕事は支社があたると考えてみれば、なかなかうまくいきそうである。社内だけで使える専門用語なんかはNetBEUI(ルータを越えない)あたりのややローカルっぽいプロトコルになるのか?TCP/IPは標準言語だから、さしあたっては英語に当たるかもしれない。もちろん、これが使いたければTCP/IPのためのソフトウェアをインストール、つまり英語ができる社員の雇用が必要だ。

うむ。なかなかうまいこと説明ができそうである。つまり、今我々がつかっているPCの中には、すっぽりと小さな会社が入っているのだ。様々なタスクに対して、社員一同一生懸命働いております。小人さんがあくせく働いている様を想像してみると、なんだか楽しいかもしれない。いままでただの箱だと思っていたPCにも少しは愛着がわく……可能性もある。マシンに名前をつけている人の話はたまに聞くが、「○○(株)」という名前をつけた人がいるってのは……聞いたことがないな。え〜、ISPに接続してインターネットに接続っていうのは、あるフランチャイズに加わるとでも言えばいいのかもしれない。う〜む。色々と応用がききそうな例えである。だんだん初心者に説明するためと言う本筋を離れてしまっているような気もするけれども。

ところで、会社には管理職がつきものだが、これはやはりOSにあたるんだろうか。と、するとなにか。Windowsなんかはアプリケーション(つまり各部署)との相性が悪ければプッツンしてしまって顔が青ざめるってわけか。で、上層部(実際のユーザ)からも「アイツ使えね〜よなぁ」なんて言われてしまう困った上司なわけか。中間管理職ってのもある意味大変である。
 いやはや、なかなか奥が深い。

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