ボタンを押したら

信号待ちをしていると、横からにゅっと手が伸びてきた。何事か?と一瞬身構えたが、その手は横断歩道用のボタンを押すとさっさと引っ込む。なんだ、スリじゃなかったのか。ぼ〜っと信号待ちをしていた鋭さのカケラもないような男に見咎められる程度なら、そのスリはさっさと転職を考えた方が身のためだろう。

その手の持ち主は「おばさん」と呼ばれることに渋々ながらも慣れ始めたくらいの女性だった。ともあれ、その信号は確かに押しボタン式。多分私がボタンも押さずにぼんやり突っ立っているのを見かねての行動だったのだろう。なるほど確かにボタンの一番近くにいたのは私だった。
 しかし、ちょっと上を見上げてみればいい__そこには「夜間用22:00〜6:00」の看板があるのだ。私だってただぼ〜っとしていたわけではない。日はまだ高く、空は透き通らんばかりの青さをたたえている。たとえ白夜の地域が話の舞台だったとしても、これを夜と呼ぶにはいささか無理がありそうだ。つまりこれは、世に言う早とちりである。
 __ま、それくらいならよくやることだしな。私はあいも変わらず腑抜けた視線をあさっての方向に向けながら鷹揚に構えることにした。いきなりにゅっと手を入れて驚かされたのを咎めることはできるのかもしれない。が、必要のないボタンを押したところで信号が永遠に赤のままに固定されてしまうというペナルティが課せられるわけでもないのだ。見知らぬおばさん予備軍その1にハゲしくツッコミをいれる動機にしてはやや弱いし、あいにくとハリセンの持ち合わせもない。替わりに靴ならどうだろう?私はちょっと逡巡して__やめた。靴を脱ぐのが面倒だったのだ。
 それにしても中々変わらない信号である。直射日光に少々嫌気を覚えつつ私は思った。道は片側一車線と細い。このままでは、待っているよりも横断歩道を渡る時間の方が短くなることは必至。なんか納得いかねえぞオイ。車の流れが途切れたところを見計らって渡っちまうか?やや不埒な考えが脳裏をよぎる__と、車の行き来が途絶えた。行くなら今だ。
 ところがなんとしたことか、実際に未だ赤信号の横断歩道を渡ったのは件のおばさん予備軍その1であった。まっすぐ前を見据えて他には一瞥もくれることなく、小走りに道路を渡る。なにごともない。巨大なトレーラーがクラクションの音もけたたましく、悪口雑言を残して猛スピードで駆けぬけたりもしない。あっさりと渡り切って向こうの歩道に着いてしまったではないか。そしてそこに置いてあった自転車の一つに買い物袋をつっこんで、そのままさっさと行ってしまう。見間違えることなどあるはずもない、ダイエーハイパーマートのビニール袋。
 __おいおい、と思わず胸の内で呟きが漏れる。あんた、一体なんのためにボタンを押したっていうのさ。しかし、彼女は風の如くに去ってしまった。後にはなにも残さない、見事なまでの消えっぷりである。呆れると同時に、なんの存在感すら残さずに消えるその手際の良さにしばし我を忘れてしまう。
 やがて信号が青に変わり、何事もなかったかのように人々は動き始めた。当然、私もそれに乗る。誰も今の出来事には頓着していないように見えた。
 ある晴れた初夏の昼下がりのことである。

押しボタン式の信号を目の前にしてまず思うことは「メンドくせぇなぁ」の一言に尽きる。押してから実際に信号が青に変わるまでのタイムスパンを考えると、これはどうにもよろしくない。誰かが先に待っていてくれれば僥倖だが、さもなければ__私はまた手持ち無沙汰のまま、腑抜けたツラを世にさらすことになるのだ。
 更によろしくないことには、仕方なくボタンを押しても車用の信号はなかなか変わってくれなかったりする。ということはつまり、いつまでたっても横断歩道の信号は赤のまま。目の前をびゅんびゅんと色とりどりの車達が横切って行くばかりで__なんだかマグロの回遊みたいだ。しかし、コイツ本当にやる気あんのか?電柱に取り付けられた黄色い箱を睨んでみるが、表示を確かめると間違いなく「お待ち下さい」とある。押し方が弱かったわけでも、間違えてダミースイッチを押してしまったわけでもないらしい。
 なのになぜこうまで現状に変化がないのだ?俺はさっきから待っているのだぞ。第一、押したらすぐ車用の信号は黄色に変わってしかるべきではないのか。電柱を軽く叩く。一体メーカーはこやつにどういう教育を施しているんだ。中々信号が変わらずにイライラする人間を見てほくそえめ、とでも?舗装路面を蹴っ飛ばす。そもそも日本の道路行政が悪い。本来であれば車に乗っているやつの方がが降りてボタンを押すべきであるものを。
 それでもまだ信号は変わる気配を見せない。びゅんびゅん。色とりどりのマグロ。イライラ。高血圧の元だよなあ。ぬぬ、これが元で心臓疾患にでもなってしまった日にはあまりにも情けないのではないだろうか。信号待ちのイライラが元で高血圧?なに馬鹿なこと言ってんの。まったく少し暖かくなるとこういう奴が増えて困る。はい、次の患者さんどうぞ。ほら、診察はもう終わったんだからアンタは早く出ていって。しっしっ。屈辱である。なにか楽しいことを考えてリラックスせねば。え〜と、楽しいこと楽しいこと。う〜むむむむ。

そういえば、時々押しボタン式の信号でもちょうどよいタイミングで青に変わった瞬間に出くわす場合がある。おおらっきぃ♪そういうときは足取りも実に軽くなるものだ。今にもスキップをせんばかりだが、この年になってのスキップはちょっと気恥ずかしいものがあるので自重しよう、と余計な気を回してみたりする余裕だってできる。
 だがしかし、と私はそこではたと考え込むのだ。これ、一体誰が押したんだろう?たしかこちら側で待っていたのは自分一人だったような。じゃあ、と視線を上げて前を見やる。が、そこには誰もいない。なぬ?目の錯覚だろうか、と再び周りを見まわしてみてもあたりに歩行者は私一人。もしや真昼の幽霊?ひょええ。
 そんなバカな。
 冷静に考えてみれば、おそらくそれはごく当たり前の誰かによってボタンが押されたのだろう。だが、その人は信号が変わるのを見ることなくどこかに行ってしまった__一体どこに?信号が変わる前に車の流れが途切れたのでさっさと横断歩道を渡ってしまったのだろうか。ちょうど例のおばさんと呼ばれることに渋々ながら慣れ始めた彼女のように。ひょっとしたら信号が変わるまでのあまりの長さに堪忍袋の尾が切れて一旦渡るのを諦め、立ち去ってしまったのかもしれない。この道路の交通量の多さを考えれば、こちらの方がありそうにも思える。去り際に一発くらいはあの黄色い箱にお見舞いしていったかもしれない。よく見ると、箱にはちょっと不自然なへこみがある。
 けれども、これはあまりにも当たり前すぎるといえば当たり前すぎる話だ。せっかくいいタイミングで信号が変わってくれたというのに、こんなごく平凡な仮説を立てただけで満足していいのか俺?そんな夢も希望もない考え方で、この荒れ渇いた現代社会を生き残って行けると思っているのか俺?
 他人から見ればどうでもよい話である。だが__こういうささいなところにこだわりを見出してこその人生だ。
 というわけで、私はこういう場合には「これはカミサマのくれた贈り物なのだ」と思うことにしている。そうそう、これはきっと私の日頃の行いを見ていてくれた誰かからの、ほんのささやかな贈り物なのだ。ちょっとささやかすぎやしないか?まあ、文句は言うまい。ないよりはよっぽどマシである。そしてちょっとだけ嬉しくなれるというオマケつき。完璧だ。笑いたければ笑うがいい。私にはどこにも恥じるところなど__恥じるところなど__やっぱりちょっと恥ずかしいな。言わなきゃよかった。ちぇ。
 そんなことを考えているうちに目の前の信号はとっくに青に変わってしまっている。停車中のドライバーの視線がイタイぜははははッ、と強がりながら、顔を伏せて私は横断歩道を渡るのだった。

ところで、私が通っていた小学校の校門のすぐ近くにやはり押しボタン式の信号機があった。通学路にはやはり信号機が必要だ、ということなのだろうか。住宅地ということもあって登下校時間以外はあまり人通りの多くないところで、押しボタン式になっていたというのもなるほどと頷ける。
 その信号機が、私は妙に好きだった。
 おそらくそれは、信号機という公共のモノを自らの意思で操作できるということによるものだったのだろうと思う。普通であれば、信号機が変わるのを手をこまねいてじっと待っていなければならない。これは完全に受身である。だが押しボタン式であれば、ごく限られた範囲内とはいえそれを好きなときに変えることができたのだ。この指一本で社会に影響を及ぼすことができる__しかも思うがままに。好きにならないはずがない。まず「メンドくせぇなぁ」と思う今とは随分な違いだ。
 ともあれ、多分それと関係があったのだろう。自分でボタンを押して車用の信号が赤に変わり、それによって車が止まるのを見るのがこれまたやっぱり大好きだった。けけけ、オマエが止まったのは俺がこのボタンを押したからなんだぞ。さて信号が青に変わった。しょうがねえなあ、というような表情でたたずむドライバーを横目に眺めながら、ことさらゆっくりと横断歩道を渡る。この優越感がタマらんのだうひょひょひょ。ものすごくイヤなガキである。しかもわざわざ車が来るのを確認してボタンを押してみたりもしちゃったりして。両方の車線に車がいた日にはまさにこの世のパラダイスである。右や左の旦那様、いやあこりゃ参ったねごめんなすって。この上なくイヤなクソガキである。
 たまに実家に戻った折、その信号機を眺めることがある。小学校を卒業してもう10年以上もたったが、押しボタン式の信号機は今も変わらずそこにあるようだ。私は完全無欠のペーパードライバーなのでまだ押しボタン式の信号機のせいで足止めを食らったという経験はないが、今でも昔の私のようなクソガキはいるのだろうか?
 __もし車を運転することがあるのなら、車内にハリセンを常備しておくべきかもしれない。

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