どこかの誰かに花束を

や、どうもお久しぶりでした。
 仲良きことは美しきかな、なんて申しますが、こと男女の仲が非常によろしくてこれ以上ない場合、これは実にいいもんですね。見ていて実に憎たらしい……いや、ほほえましい。最近はなんですか、その、公衆の面前でベタベタする方々も増えてまいりまして、こちらとしては目のやり場に困ったりするわけだったりもします。ええいそんなにいちゃいちゃするならとっととくっついちまえッ、と思うこともしばしばでして、いや実に夏真っ盛り。ゴールを前にしてああまでやられてしまうと、私としては申し上げる言葉に詰まってしまいます。そんなときに仲良きことは……なんてちょっと妬みをこめて言ってみるんですけどね。
 と、いうわけで今回は結婚のお話でもしてみましょう。え〜、そうですね、地味婚なんてのも多いらしいですが、なんといっても一生に一度の晴れ舞台、結婚式なんていかがでしょうか。

とはいえ、私が覚えてる結婚式の思い出ってやつに辿り着くには、かなり昔まで遡らなきゃいけません。確か小学校低学年の頃だったかな。10年以上前の話ですね。実を言うとそれ以来結婚式に出た記憶がないんですが、きっと私の友達がみんなそろいもそろって甲斐性なしなんでしょう。自分のことを棚に上げるのは大得意でして。

会場は中々広くて立派なところでした。私の知人に「結婚式にはマズい飯とくだらないスピーチと下手なカラオケしかない」なんてことを言う人がいるんですが、後ろの二つはさておいて飯……じゃない、食事もそれほど悪くなかったような記憶があります。スピーチとカラオケ……あったような気がするんですけどねえ。でもクソガキな私はそんなの知ったこっちゃいないわけです。色気よりも食い気ってくらいでして、それとあまり関係がなさそうなものについては目の前に置かれたお皿の敵ではないんですね。まあ結婚式には子供が見て面白そうなものなんて他にはそうそうないですけれども、ともあれ私は目の前の食べ物に没入。うんこれはウマい。あれはまだ食ってないぞちょっと取って。さっきのはおいしかったからもう一度食べよう……普段の食生活がしのばれるような食べっぷりです。きっと親は苦々しい思い出私を見ていたに違いないんですが、当の本人はこんなオイシい思いができるならもっとケッコンシキを頻繁にやればいいのに、などと無茶なことを考えていたわけです。それこそ幸せの絶頂ですね。

ところが、そういうのは長続きしないってのが世の習い。その世の習いというやつは、どこかの知らないおじさんの姿をしてやってきました。
 ん?ダレこの人。と思うまもなく「さあそろそろ行こうか」などとぬかしたんですねこのオヤジは。いくらめでたいからって自分とこの子供を間違えるくらい酔っ払うのは問題じゃないかというセリフなんですが、どっこい見知らぬおじさんδ(デルタ)は赤い顔をしているわけでもないし酒臭い息をあたりに撒き散らしているわけでもない。はて。さてはユーカイとかうアレか。子供心に訝しさというものが頭をもたげてきます。この野郎親の目の前で大胆なッ。ちょっと待てそんなに引っ張るなッ。俺はまだ食い足りないんだぁぁぁ。

十数分後、私は再び式場へと舞い戻ってきておりました。隣には同じ年くらいの女の子が一人。なかなかのおめかしをしております。両手に花束を抱えちゃったりして、随分ときれいにも見える。
 そうこう言っている間に、入り口のドアがゆっくりと開いていきました。中は照明が落とされていて薄暗く、そんな中でろうそくのやわらかな灯りがあちこちでそっと揺れまています。ドライアイスの煙が音もなく、ただほのかな灯りに照らされるがままにたゆたっていました。中にたくさんいるはずの人たちは声もなく、BGMにはメンデルスゾーンの「真夏の世の夢」より「結婚行進曲」をお願いね、と言いたくなってしまうようなシチュエーション。
「さ、言っておいで」
 背中に聞こえるδおじさんの猫なで声。
 そして私は隣にたたずむ彼女と、戸惑いながらもはじめの一歩を踏み出したのでした。
 はて、一体なんでこんなことになったんだ?

人の話はちゃんと聞いておくべきです。
 なんでも私はその結婚式で、新婦に花束を渡す子供の役目をおおせつかっていたらしいんですね。で、私は単にそれをロクに聞いていなかっただけ、と。
 それにしても新郎新婦に花束贈呈。なんて感動的なシーンでしょう。お父さんは涙がちょちょぎれてしまうこと必至。それに反してお母さんの方は比較的冷静だったりして、あとからお父さんは冷やかされるものと相場が決まっています。そういえば式場に来る車の中で、両親が私になにやらぐだぐだ言っていたような……おぼろげな記憶がようやくよみがえってきました。が、思い出したっていまさら遅い。なんたって目の前にはもう花嫁さんがいらっしゃるんですから。あわわわ。
 まあ別に大勢の前で踊れって言われたわけでもないんですから、心の準備なんて必要なかったんですけどね。ぎこちないながらもなんとか花束を渡しまして、むこうからはふかふかのくまのぬいぐるみをもらったのです。大人には花束を。そして子供にはぬいぐるみを。微笑を浮かべたご臨席の皆様に拍手を賜りいざ退場。それでお役御免となるわけですから簡単なもんです。
 そして私には大きなふかふかのぬいぐるみが残されたのでした。ふかふか。うう、気持ちいいじゃないですか。私はぬいぐるみが大好きだったんです。恥ずかしい話ですけど、まあ子供の頃のことなんで大目に見ていただければ。しかし、なんといってもあのさわり心地にはたまりません。花束のかわりにくれたってことは、ひょっとしてこれは私のモノ?おおこりゃいいや。えへへふかふかのふわふわ。

という感じで私がぬいぐるみで楽しんでいると、またしても突然横からδおじさんがやってきました。今度は私の両親も一緒です。ぬぬ、いつの間に?きっとδおじさんは式の進行役かなにかだったのでしょう。そんな裏で暗躍するようなことをやってるんですから、誘拐犯と間違えられるのも無理はないわけです。
「や〜、どうもありがと〜」おじさんはやっぱり猫なで声で言うと、私の頭をぐしゃぐしゃにひっかき回してくれました。「じゃ、これはおじさんが」
 は?ちょっと待てそれはどういうことだ。おじさんはなんとしたことか、私のぬいぐるみに手を伸ばしてくるじゃないですか。私は精一杯、それこそ穴があくんじゃないかというくらい睨みつけましたとも。このふかふかは俺のもんだ。かしおじさんはそんなことではへこたれません。そうなってしまえば所詮は大人と子供。あっというまにぬいぐるみは彼の手に。あああ。私の眼力ってのも大したことはなかったんですね。しかし礼服を着込んだおじさんとふかふかくまさんのぬいぐるみってのも、想像してみるとものすごくアンバランスな構図です。

私は泣きそうな顔をして両親を振り仰ぎました。父よ母よ、このような横暴が許されてもいいのでしょうか。泥棒は嘘つきの始まりって言ったじゃないですか。それがこともあろうに、こんな。
 しかし両親は何も言ってくれません。δおじさんに向かって「ちょっとそれはないだろうこのすっとこどっこい」の一言もないのです。うう。と、母親が私の視線に気がついたようです。しかし、なぜそんな目で見られるのかさっぱりわからない、とでも言いたげな表情を浮かべているのは何故でしょう。
「なにそんな顔してるの」母は少し機嫌を損ねたように言いました。「最初からもらったぬいぐるみは○○ちゃんにあげるって約束だったでしょ」
 がびん。

やっぱり人の話はちゃんと聞かなきゃいけません。結局わけもわからず連れ去られ、一世一代の大舞台に立たされたかと思えばその代償はなにも手にすることはできなかったわけですからね。きっとそこで世の理不尽というものを学んだんじゃないかと思いますが、よくよく考えてみると随分手前勝手な話でもあるわけです。
 しかし、覚えてる結婚式の話がこれだけってのもなんだかなあって感じですね。あいにくと私は結婚したことがないですから、主役の立場での話ってのはできないわけなんですが、よりにもよってぬいぐるみをもらえなくてがびんな話だなんて。やれやれ。
 ともあれ、それ以来私は一度も結婚式に呼ばれることがないまま今日まで来てしまいました。そろそろ甲斐性のある友達から招待状が来たりしないもんかなあ、などと最近では思っているわけなんですが、今のところどうもその兆候はないみたいです。かと言って肝心の自分はどうなんだ、と言われるとなにも答えられないのでちょっと困ったもんなんですけど。

あ、この話を聞いてもし結婚したくなってしまった。さらにはそのおかげで僕も結婚することができましたもう感謝してもしきれません、なんていう奇特な方がいらっしゃいましたら、ぜひ私までご一報ください。そのときは花束くらい送って差し上げましょう。いやいや、お返しはぬいぐるみ一体で結構ですので。

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