10割打者の憂鬱

とある日曜日。草野球の予定が入っていました。
 え〜、誤解しないようにあらかじめ言っておきますが、私がスポーツマンなのかというと、そんなことは全然ありません。これでも子供の頃は通知表の体育の欄には必ず「もうすこしです」がついていたんですから。そんじょそこらの運動オンチとは年季が違うのですよ。
 ではなんで草野球なんかやってんだというと、たまたま職場に万年人手不足のチームがあって、私の直接の上司がそのチームのエースピッチャーだったからなんですね。いつのまにやら「草野球メンバー」の仲間入り。一度入ったからにはそう簡単には欠場させてもらえないというのが世の習いです。下手は下手なりに、ベンチに座って存在感を誇示していなければなりませんので。
 そうだなあ、親でも死なない限り欠場は無理なんじゃない?
 面と向かって言われたわけではありませんが、そんな雰囲気はぷんぷんと漂っているわけです。どうやら他の親戚では無理らしいんですね。

というわけで日曜日。土砂降りでもいいぞと思っていたのに実にカラっとよく晴れ上がってくれやがりまして、予定通り試合はとりおこなわることになりました。今年一番の暑さになりそうな気配がむさくるしいくらいにあたり一面を覆いつくしております。
 まあそれだけであれば、別に問題はないんですよね。日焼け対策をしっかりしていけば、あとはベンチに座ってのほほんとチーム内の誰かが連れてくる子供の相手をしていればいいんですから。ユニフォームを着てスパイクまで履いて、結局やるのは子供のお守り。そういうのもなかなかオツなもんなんですよ。本当は子供はキライなんですが、公衆の面前で恥をかくよりはマシというものです。ほら、それになんと言ったって「これぞ草野球」な雰囲気をかもし出すことができますしね。脇役がいてこそ舞台も締まる、と。
 しかし、そろそろ行きますか、と車に乗り込むという段になって幹事役をしている人から聞かされた言葉は、私をのけぞらせるには十分すぎました。
「あ、今日9人しかいないんだわ」
 ぎゃふん。

野球というのは9人いないと試合になりません。いくら私が下手だからといって、じゃあ今日は8人でもいいやというのは許されないことなのです。そんなことをした日には試合放棄で即敗北決定。敗者はただ去るのみというわけでして、なんのために早起きしたのかわからなくなります。誰だこんなルールを作ったのはッ。私は心の内で雄叫びを上げました。はらわたが煮えくり返り、ただでさえくそ暑いというのにもうやんなっちゃう。でも隣で運転している幹事さんはもちろんそんなこと知る由もありません。結局、やんなっちゃったのは私一人だけなのでした。そしてねっとりと覆い被さってくる太陽の光の中、車は球場に向けてひた走るのであります。

その日のグラウンドコンディションは、ここしばらく雨が降っていないせいかちょっとの風で土埃が猛威を振るうような、少々完璧とは言いかねる状況でした。西部劇の決闘場のようだと言って言えないこともないかもしれません。荒涼として殺伐たる雰囲気はまさに兵どもが夢の後……試合は始まってもいないんですが。
 しかしこれで風下に経ってしまった日にはたまったものではなさそうです。遠目に見ても風が吹くたびにもうもうと……。あれを肺いっぱいに吸い込んだりでもしたら呼吸困難は間違いなしでしょう。ああ、また途中抜けの甘い誘惑が。
 風向きからすれば土煙を真っ向から受けるのはサード、レフトのラインのように見受けられました。あわよくばそこらのポジションを命じられないものだろうか。キャッチボールをひょろひょろぱすんとこなしながらも、私は今か今かとオーダー発表を待ち望んだのです。

ところで、草野球では上手い人と下手な人が一緒のチームになったりすることが往々にしてあります。大体そういうときには上手い人が内野で下手な人が外野と相場が決まっておりまして、おかげで平凡な外野フライがランニングホームランになってしまうということもしばしば。特にあまりボールの飛んでこないライトは下手っぴのためのポジションになっております。更にそいつが解説書に「バッティングのあまり上手くない人」などという説明書きがある8番バッターだったりするともういけません。「こいつは下手だ」と全世界に向けて主張しているようなものになるのだという暗黙の了解が草野球ピープルの間では流布しているわけです。これを称して「ライパチ」なんて呼ぶんですが……。
 もうわかったでしょう。
 運命のオーダー発表。スタメン、ベンチ入りを巡って高校野球あたりでは悲喜こもごものドラマが繰り広げられているわけですが、今回のわがチームに限ってはそんなものはありません。全員スタメンしかも補欠なしだから誰かがケガしたらそれで終わりね♪状態なんですからそれも当然。そして私はそこで栄えある「ライパチ」に任命されたのでありました。予想していたこととはいえやっぱりとほほなことは間違いありません。私はこっそり草葉の陰で涙を落としました。草いきれが非常に暑苦しいです。
 そうこう言っている間に時間は過ぎていきまして、若干一名のとほほなヤツをそのままに試合開始の時刻とあいなりました。選手がばらばらと精悍さとは無縁の足取りでグラウンドに散っていきます。きっとそこらへんの野球好きなおっさんが趣味でやっているに違いない審判が、ここがおいらの晴れ舞台とばかりのでかい声を張り上げました。
 プレイボール。
 練習の段階でもう疲れちゃったんだけどなあ。

ライトの守備位置でぼーっと立ち尽くしながら、私は左から右にふっとんでいく土埃を真正面に眺めていました。ボールは一度も飛んできやしません。一体どうなっているというのでしょうか。こっちに打てばヒットは間違いなし、ボールを後ろにそらしている間にランニングホームランだってお手のものだというのに。
 バッターこ〜い。
 私は心の中でこっそりと気勢を上げました。本当に声を出しては、負けん気を刺激されたバッターが本当に打球をこちらに飛ばしかねません。なんといったって平和が一番。しかし、チェンジのたびに3塁側のベンチまで戻らなければならないのがつらいなあ。なんで野球のグラウンドってこんなに広いんでしょう。ばたばた。
 そんなこんなで試合は淡々と進んでいきます。むむ、ライトゴロだっ。うははは鈍足だなぁ亀みたいだ。あっ悪送球。おいおいどこ投げてんだよバカじゃねぇのわははは。実にのどかです。散歩途中らしいおじいさんおばあさんもグラウンドの外にあるベンチに腰掛けて一休み。風がびゅんびゅん土煙がもうもうなのを除けば、気温も上がってまさに初夏のうららかな日曜日。試合のレベルはいかんともしがたいですが、それがかえってちょうどよいけだるさを演出してくれているようです。
 どさくさにまぎれて私が2打席連続三振したのはもちろん秘密。

そして試合はいよいよ大詰めとなりました。最終回、得点差はこちらが4点のビハインドです。やや厳しいか?いやいや満塁ホームランが出れば一挙同点という場面ではないですか。そしてなんとしたことか打順は8番しろ●。う〜ん、燃えるシチュエーションですねえ。軽く素振りなんかしたりして、気合充分というところを相手に見せつけます。まずは冷静にアウトカウントとランナーの確認を……1アウトっすか。で、ランナーは……ランナーはどこ?え、なし。
 なんてこったい。私はがっくりとうなだれました。ランナーがいなければ、いくら私が獅子奮迅の活躍をしたところで満塁ホームランは打てません。へにゃへにゃとやる気が萎えてゆきます。
 しかしここで黙って引き下がるわけにはいきません。反撃の口火を切るのも大事な仕事。いつまでも三振率10割の男とは呼ばせないぜっ。ぺっぺっ。こすり合わせた手は心なしかじゃりじゃりしていました。風がびゅうう。ふふふピッチャーさんよここで会ったが20ン年目。いざ尋常に勝負ッ。と、その時ベンチから実に的確なアドバイスが。
「フォアボールだ〜。デッドボールでもいいぞ〜」
 ……どうやら味方ですら私がヒットを打つとは思ってないみたいです。さらにがっくりであわせて二段がっくり。燃えたぎるやる気の炎は完全に鎮火してしまいまして、残ったのはやっぱりとほほな気分だけ。重たいバットを引きずるようにして、私はバッターボックスへと向かったのでした。

とまあ貴重な日曜日はそのようにしてとほほなままに暮れてゆきました。残ったのは日焼けばかりというやつです。きっとまた鼻の頭の皮がむけるに違いありません。脱皮をするにはちょっと時期外れのような気がするんですけどねえ。  ……え、結果ですか?いやぁなかなか残酷なことをお聞きになるもんですねはははは。ぶいんぶいんぶいんと三振してきたに決まってるじゃないですか。私が野球部に入れられてはや一年と少し。今のところ三振率10割だけが私の誇りなのですよ。どうですか、そうそうできるもんじゃないですよ。
 というわけで、私の偉大な記録への旅路は、まだまだ終わらないのでありました。誰か打ちごろの球を投げてくれる(都合の)いいピッチャーはいないもんですかね。

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