指から生まれた

インターネットにおいては指から生まれたような人間が時折みかけられる。普段は無口なのだが、いざPCを前にするといつ果てるともなくキーボードを叩き続けることができる人たちだ。かくいう私にも若干そのケがあって、こういう文章を書くのは実のところ痛し痒しだったりする。それでいて書くのをやめられないということは……Mか。

さて、そういう指から生まれたような人たちのための舞台というものも当然あって、それがチャットとか言われるアレだ。インターネットをきっかけにPCを始めた人の話を聞くと、電子メールなどはともかくとしてチャットにはいいしれぬ壁を感じている場合が多いようだ。なにせ会話がリアルタイムで進んでしまうのだから、タイピングが速くないことにはどうしようもないのだが、やはりこれがネックになってしまうらしい。
 確かにもの凄い勢いで流れてゆく言葉の羅列に恐れをなしてしまうのは理解できないこともない。ところによっては滝のようにログが流れていってしまうチャットルームもあるようだが、そんなものをいきなり見せられたら「これはもしかして新手のウイルスか」と疑ってしまうことだって考えられる。

とかく恐ろしいのは彼らのスピードである。一体どのようにしてそこまでの速度を身につけることができたのか、PCに触り始めたばかりでいちいちストレスを感じながらキーボードを押している方にしてみれば不思議でしようがない。
 そこで別の人種にさえ見えてしまう彼らに恐る恐るその疑問を投げかけてみたとしよう。そのためにはやはり彼らの土俵であるチャットルームに意を決して乗り込むより他にはない。虎穴に入らずんば虎児を得ず、というわけで以下にそのシミュレーション結果を示してみることにする。初心者が「いむ」さん(♀:22歳)。事務系のOLなのでPCに対する苦手意識はさほどないが、Excelしか使っていないのでタッチタイプが出来るのはテンキーだけ。冬のボーナスでiMacを買ったばかりで、インターネットに接続するための設定をすべて電気屋の兄ちゃんにやってもらったというツワモノである。対する「手から生まれたような」チャッターが「hoge1」氏。28歳の♂で、独身なのは言うまでもない。使用しているPCは当然パーツを厳選した自作機で、会社では「ちょっとネクラ?」で通っている。なぜかPCマニアということを伏せて普段の生活を送っていると思っていただければいいだろう。ちなみにスターウォーズマニアでもあったりする。
 ベタといえばあまりにベタな設定で恐縮である。なお、簡単化のために二人での会話ということにさせていただくが、そんなシチュエーションは現実ではおそらく絶対に天地がひっくり返ったってない。これだけは力説してこかねばなるまい。
 ちなみに、いむさんがネカマに見えたとしてもそれはきっと単なる思い過ごしである。これも口角泡を飛ばして力説しておかねばならん。誰かさんの誇りにかかわるからだ。

♪♪♪ いむ(初心者♪)さんが入室されました! ♪♪♪
いむ(初心者♪)>こんばんは〜。始めまして。
hoge1(不良社員)>はじめまして♪
いむ(初心者♪)>チャットって初めてなんです。お手柔らかに。
hoge1(不良社員)>おー、初心者ですか。
hoge1(不良社員)>大丈夫、ここは初心者大歓迎ですから♪w(^o^)w
いむ(初心者♪)>あの、、、いきなりなんですけど、音符ってどうやって出すんですか?

(どうでもいいような会話がひとしきり続く)

いむ(初心者♪)>それにしても、hogeさんって打つの早いですよね。
hoge1(不良社員)>え〜、そうかなぁ(^_^;)。
いむ(初心者♪)>そうですよ〜。どうやったらそんなに速く打てるんですか?
hoge1(不良社員)>うーん、自覚はないんだけどなぁ。
hoge1(不良社員)>早すぎますか?
いむ(初心者♪)>そんなことないですよ。かえって私が遅いから悪いな〜って。
hoge1(不良社員)>いやいや、それこそそんなことないですよ。
hoge1(不良社員)>最初のうちは仕方ないですって。
いむ(初心者♪)>助かります♪でも私もはやく打てるようになりたいな〜。
hoge1(不良社員)>そうですねぇ。やっぱりチャットを続けてると速くなるかも。
いむ(初心者♪)>あ、、やっぱりそうですか?
hoge1(不良社員)>そうそう。
hoge1(不良社員)>僕も最初は全然遅かったけど、
hoge1(不良社員)>ここで鍛えられましたからね〜(笑)。
いむ(初心者♪)>はやく打てるためにはチャットが一番!ですか〜。
hoge1(不良社員)>うんうん(^-^)♪
hoge1(不良社員)>でもここで鍛えるのはいいと思いますよ〜。
hoge1(不良社員)>定連さんもみんな優しい人ばっかりだし♪
いむ(初心者♪)>そうみたいですね〜。ちょっと通ってみようかな?
hoge1(不良社員)>大歓迎w(^o^)w♪
hoge1(不良社員)>そのうち、この部屋のヌシみたいになっちゃったりしてね(爆)。

(以下略)

……なんだか下手なネットナンパのようになってしまった。
 ともかく、手から生まれたチャッターに対して「どうやったらタイピングが速くなるのか」と質問したときの返答で一番多いのは、おそらく「やっぱりチャットでしょ」だと思われる。やはり実践をこなさねばうまくならんということだろうが、チャットルームでそういうことを言われても、なんだか客寄せの一環みたいで今ひとつ信憑性に欠けるきらいがあるような気がするのは考えすぎだろうか。上のシミュレーションがネットナンパのようになってしまったのもそのせいじゃないかと思うのだが。
 しかしながら、別にチャッターでなくとも世の中にはタイピングが早い人というのはいるものだ。プログラマなどはまた別格だが、そこらのおっさんが目にも止まらぬスピードで一本指打法を駆使しているのを見たときなどには思わず目を疑ってしまった記憶がある。と、なると結論としてはやはり慣れということになるのだろうか。タッチタイピングの練習用ソフトが随分出回っているが、あれは「慣れ」を促進するための環境作りをするためのものということになる。
 かくいう私も練習用ソフトを使ってタッチタイプもどきをマスターしたクチである。他にもこういう人は多いらしく、パソコンショップでもその手のソフトは結構売れているらしい。ちなみに私はその後で、レンタルしてきたCDの歌詞カードをちまちまとタイピングして実戦経験を積んだりしたものだ。そのせいか、今でもタイピングをするときに画面を見ないという妙なクセが残ってしまっている。
 ともあれ、PCをストレスなく使うためには、やはりタイピングが重要な要素になってくる。いまや仕事場でもPCのない環境というのは少なくなってきて、キーボードが使えないことと仕事がまともにこなせないということが段々等価になってきつつあるご時世だ。音声入力というものもあるにはあるが、職場でみんながPCに向かってぼそぼそと何事か呟いているというのはなにやら不気味だし、自室に一人でこもってぼそぼそというのはもっと不気味だ。やはりキーボードを手放すわけにはいかないのではないか、と思わずにはいられない。手から生まれた、という人間もまだまだ少数派ではあるが、もしかするとそのうちそれが当たり前になってしまうのではないだろうか。
 だからって別にチャッターが日の目を見るとも思えないが。