生命力回復計画

雪の別名が「六花」であることを知ったのはつい最近だが、いまだにこの単語を使ったことがないのがなんだか悔しい。とりたててウツくしい文章を書いているわけではないのだからそんな詩的な単語の出番がないのは当たり前だろう、と言われると返す言葉がないのがまた悔しさを倍増してくれて、数式で表すと2(悔しい)といった感じである。ちなみにA(C)と書いて「ええかっこしい」と読むことを知ったのはそれよりも随分前だった。
 我ながらくだらないことばかり覚えている。

それにしたところで札幌というのは雪の多い都市だ。六花という言葉の響きがどれだけ美しかろうとこれだけ積もればもう沢山という気になるもので、道端で汚れてゆくばかりの雪山の上に粉雪がぱらぱらと降りかかっているのを見ても、最近では「ああ、まるでケーキみたいだ」としか思わなくなってしまっている。つい先日まではその後に「甘いもん食べたいなあ」と続いていたのだが、それすらなし。食欲は生存していく上で欠かせぬものであるから、これは明らかに生命力が低下していることの兆候であると思われる。天候のせいで気分がクラくなるというのは梅雨の頃あたりによく見かける光景だろうが、北海道には梅雨がないので雪の降り続くこの時期がその代替シーズンとなっているのだ。なにはともあれしろ●生命の危機。
 このように書いてしまうと、なんだか事実を淡々と受け入れた上で座して死を待つ末期癌患者の言い草のようだが、あいにく私はまだ死にたくない。ということで最近では、これはマズい、エラいこっちゃーと心の中で喚き散らしながら減退気味の生命力をなんとか活火山が吹き上げるマグマのごとくに活性化させようと鋭意努力しているところである。生きるためなら死んでもいい、などと少々の自己矛盾は顧みずに考えちゃったりもしてみたりする。
 しかし、生命力を高めるためには何をするべきなのだろう?
 よくよく考えてみるとこれはなかなか難しい命題だ。ただわけもなく「うひゃー」とか「ゐゑーゐ」とか「まんだむー」とか騒いでいればいいのであればコトは簡単なのだが、それではただのお馬鹿さんである。やはりプライドというものはあるわけで、それはなんとしてでも避けたい。だが元気いっぱいな振る舞いはやはり不可欠だろう。うーむ難しい。深い。
 しかし腕を組んで唸っているだけではその隙にも生命力が減退しそうで今ひとつパッとしないという印象はぬぐいきれまい。そうだ、こういうときは身の回り__要するに職場__でハツラツとしている人を観察してみることにするとよいのではないだろうか。というわけで「プロジェクト星明子_サブタイトル『木陰に隠れてこっそりげっちゅ☆』」がここに始動した。なお私の職場には木陰があまりないので、廊下に隠れてこっそりげっちゅ☆な場合が多いのだが、そのあたりの細かい突っ込みはまたその内ということで勘弁していただきたい。ともあれ気分はすっかりお庭番である。そーれ生命力アップのノウハウを探れー。こそこそ。

(...こっそりしています.........げっちゅ☆が完了しました。)

仕事の合間を縫って情報を収集しつづけた結果、やはり元気な人は元気だなあという結論に達した。当たり前である。しかしなにをするにしても精力的でイヤな顔一つ見せず、常に微笑を絶やさないのは驚くべきことだ。きっと心に太陽があるのだろうが、羨ましい。また、声も高い低いは個人の別として、ハリがあってよく通るという共通点がある。
 加えて動作については、やはりキビキビとした立居振舞が目についた。所用での移動中はもちろんのこと、トイレに行く時だってすたすた歩く__そんなに長いこと我慢していたのだろうか?うーん、色々大変なのかもしれないなあ。おいそれと机を離れることもできないのかも__それはともかく、動作そのものにメリハリがあるというのは参考になりそうだ。
 さて、とりあえず分析はこんなところでいいだろう。あとはそれらを実行に移せばしろ●生命力回復計画も一つの段階を越えることができるハズ。つまり真似をすればよいのだ。えーとまずはイヤな顔を見せない。これは今まで通り、無表情を突き通せばいいよな。少なくともあからさまにイヤそうな顔じゃないし。常に微笑を絶やさない……うわ、これは難しそうだからちょっと置いておこう。焦ることはないよな。確実に一つ一つクリアしていけばきっといつかはバッチリさ。声はよく低いって言われるけど、そんなにもそもそ喋ってるわけじゃないからこれも大丈夫。おー、意外に捨てたもんじゃないかも。
 というわけで残る課題はキビキビとした動作ということとあいなった。元々歩くのは速いほうだったのだが、それだけでは何かが足りないのかもしれない。うーん、まずトイレはちょっと我慢することにしようか。あとはそうだなあ、どこに行くにも小走りくらいがいいのかも。うん、これならきっといつも忙しそうだけどそれに負けないサッパリさんとかいう感じがかもし出せるハズ。よーし、早速明日から実践だ!
 なんで「今から」と言わないのかは知らないし、知りたくもない。

それから数日後の朝、順調に「いつも忙しそうだけどそれに負けないサッパリさん」路線を歩みつつあった私は寮からバス停への道を軽やかに走っていた。どういうわけだか決意をしたその日以来、寝坊することがやたらと多くなってしまったのだ。やはり慣れないうちは大変なのかもなあ、いやでもきっとその内なじんでくるに違いない。今はとにかく辛抱だ!と少しずつではあるがポジティブシンキングもできるようになってきている。しかし今は現状確認よりもバス停にさっさとたどり着くことのほうが重要である。あわわ、完全に遅刻だッ。急がなきゃ急がなきゃ。ずるりんこ。

はんぎゃっ。

根雪はいい具合に踏み固められていて、実に滑りやすい状態になっていた。そこで見事にバランスを崩したのである。片方の足を前に出そうとしたらちょうどいい具合にもう一方の足に引っかかってくれやがって、私は鮮やかとすら言えるほど無様にぶぎゅるとコケた。うおー。雪は当然のように冷たく、手袋の中にまで入ってくる。うわー冷たい冷たい。げ、よく見たらあっちこっちが雪まみれじゃないか。しかも黒いスーツだからやたら目立つし!くっそぉぉぉ、ナニが美しい雪景色だ!なーにが「六花」だ!たかだか雨が固まっただけのくせしやがって気取ってんじゃねえや。えーいもうヤメだヤメ。ああそうさ、生命力がどうとか言ってちょっとサッパリさんになろうとしたらこのザマさ。どーせ俺なんか一生日陰者でいりゃあいいとか思ってんだろ。ケっ、それに逆らおうとした俺が馬鹿でしたよーだ。ふーん。
 誰に向かってだかはさっぱりわからないが、ともあれ私は元気いっぱいに悪態をつきまくった。こういうのもきっと一種の生命力と言うんだろうが、本人はそんなことにはまったく気がついていない。その姿を端から見ればこれ以上ないくらいの自然体に見えたはずである。人間、やはり無理はするものではないのだ。ほら、六花という単語も使うことができたことだし。

ともあれ、そんな私の前を何食わぬ顔でバスが走り去っていったのである。