TV Watcher

世の中にはTVという大変便利なものがあるんだそうだ。
 と、まるで他人事のような言い方をしてはいけない。いくら私が世間知らずであろうとも、TVの存在くらいは知っている。テレビジョン。そう、ヤツはテレビジョンである。テレフォンは離れたところと音声のやり取りをし、テレパスは離れた相手と通じ合う。なるほど「テレ」というのは距離的に隔てられたところとなんらかの情報をやり取りするモノの名前に用いられる接頭語のようなものらしい。言っちゃ悪いが有名な話である。しかし、だとするとテレサテンはどうなるのか?今時喫茶店のことをサテンというような人間が一体どれほどいるというのだろう__まったくもってなにがなんやらよくわからない。
 というヨタはさておいて、なんのかんのいってもTVはエンターテインメントの王様みたいな存在である。役に立つものからまったくそうでないものまで、収集雑多な番組が新聞の裏一面を賑やかにし、映画だろうが演劇だろうがスポーツ観戦だろうが、住み慣れた我が家に寝転がって出すぎた腹を気にしつつ、これじゃいかんと唐突に腹筋を始めてしまっても横目でちらりと眺めることができる。こんなことは他ではそうそうできまい。映画館で突然腹筋を始めたら……見知らぬ人に「今日映画館で変な人がいてさー」などと話のタネくらいにはしてもらえるかもしれないが、あまり何度も繰り返すと出入禁止の恐れもなしとしない。追い出されないだけマシというところだろうか。
 それに比べてTVというのはよい。なんといっても「ながら腹筋」はし放題だし、第一基本的にタダであるからこれを利用しない手はあるまい。しかもその内容の多様さはこれさえあれば他の娯楽がなにもなくたってなんとかなるんじゃないか、という気さえ起させるほどにすさまじく、とても一人ではその全てをチェックしきれないほどである。そんなわけでしかたなく録画してあとで見ようと思ったビデオもやはり他の番組を見ることに忙殺されて溜まる一方。そのサマはさながらせっかく収集したのに焼却しきれずにそのまま埋め立てられる「燃えるゴミ」のようである。しかも埋立地だって無限にあるのではない。いつかは埋め立てる場所がなくなってそこらじゅうがゴミまみれ。にも関わらずゴミの量は年々増える一方というから恐ろしい。だが諸君、恐れることはない。灰にしてしまえばゴミの体積は1/20くらいにまでなるのだ。さあ皆で頑張って焼却炉を建てまくって二酸化炭素を排出しまくろうではないかッ。われわれはーッ、だんこーッ、しょーきゃくろのけんせつをー、要求するものであるーッ。さあみなさんご一緒に。ああできるだけ投げやりな感じがいいですね。さんはい。
 ところでなんの話をしてたんだっけか。

さて、実際仕事や学校から帰ってきてまずするのがTVのスイッチを入れること、という人も多いのではないだろうかと思う。かくいう私だって、他に何もすることがないときになにをするかといえば、やっぱりTVを見てしまうかもしれない。細切れの時間はなかなか潰すのが難しいが、そういう時に重宝するのがTVというわけである。しかもただ黙って見ていればよいというのがまた魅力的ではないか。肩肘張らず、緊張の糸を思う存分たるませていても咎められないなんて、この世知辛い世の中でそうそうあることではない。
 というわけで、ことほどさようにTVは偉大なのだ。その偉大さは世の中にあまねく知れ渡り、職場などでも「昨日のあのドラマ、見た?」などと話題になることが少なくない。最近はインターネットを利用する人が増えてきたが、それでも情報収集はTVから__という人もまだまだいるようで、「あるある大辞典」だの「特命リサーチ」だのという単語があたりはばかることなく飛び交う毎日だ。視聴率の高い番組になるともはや見ているのが当たり前。未整理だろうがなんだろうが雑多な知識を持っていることが大きな価値と見なされる昨今、「見ていない」では済まされないのだ。まかり間違ってそんな重大な瑕疵のあることを知られてしまった日には、話題の輪からは完全に取り残されて村八分である。手伝ってもらえるのは火事と葬式のときだけだなんて、そんな。きっと山手線のホームから落っこちても誰も助けてくれないに違いない。これは大問題である。それなら私のような凡人は、他にどうやって新聞の紙面を飾ればいいというのだろう。
 というわけでアナタも今日から皆が見ていそうな番組は欠かさずチェック♪そこから得た知識をちょっとひけらかしちゃったりすれば、気になるあのコの好感度もググッとアップ間違いなしさ☆ということになる。そのために週刊のテレビ情報誌を買うのもいいだろう。実際その手の雑誌はかなり売れているらしい。つまり、皆頑張っているのだ。それなのに自分だけ怠けようだなんて、そんな我儘は許されるものではあるまい。ああ、先生やお父さんやお母さんの「許しませんよッ」の大合唱が聞こえてくるようではないか。さあ頑張ってTVを見まくって情報収集だッ。

なんだかねえ。

実のところ、私はここ1ヶ月ほど自分の部屋でTVをつけたことがない。そもそもあまり使っていなかったのだが、ここにきて急にそれが加速度を増した感じである。ブラウン管の表面にはうっすらとホコリの膜ができ、指でなぞるとくっきりその跡が見えたりして姑さん大激怒である。まだ結婚していないので姑などいないというのは、もっけの幸いと言えよう。
 ところで「TVなんてハハん」という若干ひねくれた人間も世の中には少なからずいるようで、彼らに言わせるとその商業主義にまみれた低俗さに我慢がならんだの、内容が下らないだの、NHKが受信料を徴収するのはけしからんだのということになるらしい。情報が垂れ流されるばかりでチャンネルを切り替える以外に受け手の主体性がないということも問題になるようだ。所詮は人の作ったものだし、「ここでこう思わせてやろう」という意図が見え見えで気持悪い、という意見もある。
 全部正しい。
 見方や意見なんてものは人それぞれだし、ましてTVをロクに見ていない人が楽しそうに昨日のあの番組がどうしたこうしたと話をしている人に好意的な感想など返すはずもないのである。それがたとえば勤務時間外にたまたまドラマの話になってしまって、一つも理解することができずに周りから奇異な目で見られたという経験があるような人間ならなおのことだ。「最後に見たドラマってなに?」と聞かれて今更「東京ラブストーリー」なんて恥ずかしくてとても言えたものではないではないか。別に「徳川慶喜」だっていいのだが、これ以上ジジムサ度をあげたところで得するところは何もあるまい。
 しかし、流行の女優の名前をいくつ聞いても「誰それ」としか答えようがないというのは一種の屈辱である。皆知っているのに自分だけ知らないという事実が次から次へと明るみに出されていくその過程は、まるで自分だけが世界から取り残されたような疎外感だけを心に残す。それでいてなお普段見ることもないTVに対して好意的な印象を持ち続けることができたとすれば、今すぐ悟りを開いて上人にでもなるか、あるいは山奥深くに庵を構えて仙人にでもなったほうがよいのではないだろうか。そしてそれもこれも全てあの毒電波のせいだ、とでも言っておけば立派な変人の一丁上がりである。たまに下界を歩けば行きすぎる人が揃いも揃って明後日の方向を向き、母親は「見るんじゃありません!」とヒステリックな声を上げながら我が子を力一杯引きずりまわす。まるで絵に描いたような話ではないか。
 それを知ってか知らずか、私の「TVの電源を入れないんだもんね」記録の更新は今日も続いているのであった。ああ「最新のニュースはインターネットで仕入れるから世の中に取り残されることなんてないんだもんねー、ふふーん」などとうそぶくのにも随分慣れたとも。「プロジェクトX」がどれだけ感動的だろうと、「HERO」の視聴率がどれだけ化け物じみていようと、そんなのが世界平和や地球環境の保全、ましてや毎月の安月給にどれだけ役立つと言うのだ。ええい知らん知らん。俺はなにも知らん。だからタレントの名前を列挙して人の知能を図るようなマネはするなッ。ああそうさ、俺の脳みそデータベースではどうせモーニング娘。のメンバーの顔と名前がいまだに一致してないさ。文句あるか。
 ……ないか。そうか。

そういえばTVのリモコンが行方不明になってからそろそろ1月が経とうとしている。この狭い部屋の中で、一体どこに行ってしまったというのだろう。謎だ。