We Are the World

以前は布団の中に入ったあとでもラジオをつけっぱなしにしていることがよくあった。どちらかというとAMが中心でFMを聴くことはあまりなかったけれども、今の職場では昼休みによくFMが流れている。同室の人が聞きたいと思うのを咎めるほど、FMが嫌いというわけでもないからだ。英語の発音のときだけ妙に巻き舌になるDJの喋りを耳に通しながら昼食を取るのにも随分慣れた。
 大抵は今時の「カッコいい」音楽を聴くことになるのだが、たまにはそうでないこともある。先日、いつものように聞くとはなしに昼下がりのFMを聞いていると、耳に覚えのある曲が流れてきた。We Are the World

この曲をリアルタイムに知っているわけではない。レコード化されたのが1984年。その時の私は7歳である。早生まれなので小学校3年生ということになるが、洋楽を聞いてアフリカの難民のことを思い、心を痛めるような子供では残念ながらなかったということだ。始めて聞いたのは高校生になってしばらくしてからのことだった。
 英語の授業にポップを聞かせるというのは、実際のところそれほど珍しいことではないかもしれない。どんな学校にも必ず一人はいる……かどうかはわからないが、いたとしても誰も驚かないだろう。実際、私の通っていた高校にもそういう教師が一人いた。名前は覚えていないのだが、どうやらあまり人気のあるようなタイプではなかったらしい。なにせその教師はWe Are the Worldのメイキングビデオを流すだけで授業をまるごと一つ費やすような教育方針を持っていたのだ。そのビデオ自体はそれなりに面白かったのだが、それ以外にもプリントを一枚配って採点まで全て生徒にやらせるなど、万事がこの調子とあってはやる気がないと思われても仕方がないだろう。自主性の尊重という教育方針はとかく理解されがたい。
 ともあれ私がその教師の授業で覚えたことといえば、いくばくかの文法や単語とWe Are the Worldに対する漠然とした感触、それにLL教室の使い方くらいなものだった。

しかしなんで今更We Are the Worldなんだろう、と今の私は訝しく思う。USA for Africaに参加したアーティストは確かに錚々たる面々だ。アフリカの難民を救おうというチャリティーの趣旨も、まあ理解できないではない。別に黄色いTシャツを着て24時間ほど街頭募金をつのることだけがチャリティーではないということだろう。それで救われた難民の数も決して少なくはないことと思う。けれども、全てはもう15年以上も昔の__私にとっては7、8年ほどだが__昔の話なのだ。
 今となってはその歌詞や経緯よりもむしろ、その曲を聴いてそれなりの感銘を覚えたその頃の自分が高校生であったということを先に思い出してしまう。馬鹿なことも色々やった。部活に精を出し、なぜかマットですまきにされたこともある。ピンポン球でサッカーをやってボール拾おうとした指を踏んづけられ、次の日に右手親指が1.5倍くらいに腫上がったこともあった。すまきにされた後で足の裏をくすぐられるのは地獄の苦しみだったし、踏んづけられた指はもしかするとヒビくらい入っていたのかもしれない。UFOキャッチャーのやりすぎで帰りのバス賃まで使い込んでしまい、くそ寒い中を5km近く歩いて帰ったのも今となってはサムい思い出だ。風に吹かれるごとにぬいぐるみを入れたビニール袋がかさかさ鳴った。下手をすれば神田川である。
 チャリティー精神のかけらすらそこに見出すことはできない。けれども、こういうのをきっと「心に残る」音楽というのだろう。

最近の音楽はみんな似たり寄ったりでいかん、ということをよく聞くようになった。考えてみれば随分オヤジめいた発言ではあるが、そういう気持はまあわからないでもない。興味を無くしてしまえばどれもこれもみな同じようにしか見えないものだ。そもそも、流行というものににもっとも敏感だった時期はもう過ぎてしまったのだから。
 ひどく密度が濃い割に無意味で、無意味なくせにいつまでも覚えている。青春なんて言葉はひどく気恥ずかしくて使えたものではないが、ささいなことにも敏感に反応し、悩み、箸が転がっただけで笑ったような時期があったことは覚えておいてもいいかもしれない。
 そんな私の記憶には、その時々に応じた音楽がセットになって残っている。
 Maarjaというあまり有名ではないポップシンガーの曲を聴くと、今でも大学時代に何日もかけて一気読みした本のことを思い出す。「Rainbow Colors」という曲と「封神演義」というやたら長い物語の間になんらかの関係を見出そうとすれば随分大変な作業になりそうだが、私にとってはそれは当たり前のように結びついてしまっているのだ。脈絡も論理的な理由も必然性もない。けれども記憶に結びついているという点で、「Rainbow Colors」という曲は間違いなく「心に残る」音楽だということになる。
 とすると時代時代に流行し、その度に似たり寄ったりでまるで心に残らない、と言われていた音楽も、どこかで誰かの記憶に深く結びついているのかもしれない。あるいは何年か後に今の音楽を久しぶりに聴き、なにごとかを思い出すようになることがあるかもしれない。五感を伴った記憶というのはとかく後々まで残りやすいものだ。モーニング娘。を聴いてノスタルジックになれるかどうか、今の感覚からすれば少々疑問ではあるが、時はなにに対しても公平なのだからいつかは色褪せて、ほどよくセピア色に変じていくだろう。
 ただ、今聴いている音楽が記憶と密接に結びつくのかどうかを判断しようとしても、それはおそらく無理だ。心に残るかどうかを考えながら音楽を聴く?それは思い出を作るためだけに生きているのと同じくらい馬鹿げたことのように私には聞こえる。それなら気に入った音楽を好きなだけ、せいぜい楽しみながら聴いていたほうがいくらかましだ。何も考えずに聴いていたはずの「稲村ジェーン」を聞くと、なぜか中学生の頃に行っていた学習塾の風景や足しげく通ったレンタルビデオ店のことを思い出す。それと同じように、結果はあとからついてくるだろう。

ここまで書いてきてようやく、We Are the Worldの歌詞にこめられた思いというものに考えがいたる。せっかくだからということでネットから拾ってきた歌詞を少し眺めてみたりもする。残念ながら今でも餓えにうつろな目を向ける人たちは跡を絶たないし、その原因たる紛争がたとえ一瞬でもなくなったという話も聞いたことがない。世界がよい方向に向かっているのかどうか、実際のところはおそらく誰にもわからないだろう。私に言えることはこの曲を通じ、さらに高校時代の思い出と言うひどく個人的な記憶を呼び水にして、今でもたまにそういうことを考えることがあるということだけだ。それだけでは多分不十分に過ぎる。
 けれども音楽は世紀を超えて私の心の中になにかを残した。それを世界にちらばった音を楽しむことができる幸運な人々の数だけ、足し合わせることを考えてみようと思う。
 きっとそんなに悪くない。


We Are the World (USA for Africa)

We can't go on pretending day by day
That someone, somewhere will soon make a change
We are all a part of God's great big family
And the truth, you know,
Love is all we need

(CHORUS)
We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let's start giving
There's a choice we're making
We're saving our own lives
It's true we'll make a better day
Just you and me

Send them your heart so they'll know that someone cares
And their lives will be stronger and free
As God has shown us by turning stones to bread
So we all must lend a helping hand

(CHORUS)

When you're down and out, there seems no hope at all
But if you just believe there's no way we can fall
Let us realize that a change can only come
When we stand together as one

(CHORUS)