怠惰撃退法

世の中は連休で浮かれ騒ぎの巷である。札幌方面は今ひとつ天候には恵まれていないようだが、休みというのはただあるがままに休みというだけでいい。やれ旅行だやれ買い物だやれ庭の草むしりだ、などと無闇に飾り立てる必要などない。僕はただキミと一緒にいるだけで幸せなんだ。
 とどのつまり、金欠でおトモダチの少ない私の予定表はいつもと同じように真っ白なままというわけなのだけれども。

とは言え、なにもしないで過ごすとしたところで時間を持て余してしまうのはなんともやるかたない気がする。私の場合、今はカレンダーどおりの4連休の真っ只中にいるわけなのだが、たとえ寝るのが趣味とはいえ、これだけ長いとさすがに寝てばかりいると飽きる。昼近くになってようやく目を覚まし、うだうだぐだぐだと起きるでもなく、さりながら眠るでもない混沌の暁をさまよう幸せを噛み締めるのも、まあせいぜい3時間が限界だ。ごろり。ごろり。うー、まだ10分もたってないぞ。今日はなんて時間の過ぎ去るのが遅いんだ!
 やがてあまりの退屈さにしぶしぶ起き上がり、適当に飯など食いながら昔の本なり漫画なりを読み漁る。何度も読んで筋書きを覚えてしまっていても、何もしないよりはマシだからとにかく読み漁る。単調な作業の繰り返しにあくびを洩らしつつも、何もしていないということの無意味さに恐れおののいてとにかく読み漁る。気がつくと外が暗くなっていて出かける気もなくなり、仕方がないのでまた読み漁りに戻る。いつしか連休は過ぎ去ってしまっていて、結局今回も何もしなかったのとほぼ同義であるということに気がついて愕然とするのである。
 なんと不毛な。

当然のことながら、いつまでもこんなことを繰り返していて良いワケがない。では、一体何が悪いというのだろうか。うーむと考えてみる。そもそもこの怠惰ぶりがいかんのだ。では、怠惰でなければ有意義ということになろう。ふむ、理屈だ。ではなにをもってして怠惰でないとするか?それにはまず怠惰とはなにかということを考えねばなるまい。うーむむむむ。

わからん。

わからないときは辞書を引け。これは小学校の国語で学んだ偉大なる経験則である。というわけでとりあえず手元にあった新明解国語辞典第四版を引いてみよう。

たいだ[怠惰] すべきことをしないで、むだに時間を過ごしている様子。「−な生活」 <-> 勤勉

どうでもよいがとてもイタい用例である。しかしながら確かに辞書には非常にわかりやすく怠惰のなんたるかが書かれていたと言えよう。「すべきことをしないで」「むだに」。このあたりがキモだと私は踏んだ。きっと誰でも踏むだろう。ともあれ、怠惰からの脱出にはその対極である「勤勉」を目指すのがよさそうだ。せっかくだから、ついでに調べてみよう。ぺらぺら。

きんべん[勤勉] 休む暇なく、一生懸命働く・こと(様子)。 <-> 怠惰

……ダメだ。ダメだダメだダメだダメだ!ダ〜メ〜だ〜♪
 なにがダメかって、「休む暇なく」ってところがダメなのだ。今でこそ一介のサラリーマンとして、ウィークデイにはそれなりにだらだらと仕事をこなしている私であるが、なにが楽しくて仕事をしているのかといえばもちろん給料日。しかし給料日は毎月一度しかないので、そこにたどり着くまでのよすがとして二番目くらいに楽しみにしているのが土曜日曜のお休みなのである。たとえ不毛だろうとなんだろうと休みって素晴らしい。常日頃からそう心に刻み込みながら私は働いているのだ。誰がなんと言おうともこれだけは譲りたくない。
 にもかかわらずこの新明解国語辞典第四版は勤勉であるためには「休む暇なく」でなければならないとぬかしおる。だとするとなんであるか。蟻のように蜂のように馬車馬のように晴れの日も雨の日も霙の日も、たとえ疲れていて今日はもうダラダラしちゃってもお天道様は文句を言うまいと思っていても、その上今日が土曜だろうと日曜だろうと一生懸命働かねばならんのか。病に倒れ伏して我が身の虚弱さを嘆き悲しみながらも健康な人たちに羨望のまなざしを送りつつ憎悪し、迫り来る死の恐怖にお花畑の向こうで旧日本軍の制服に身を包んだ見知らぬ誰かが菩薩のような微笑でこちらを手招きしている姿をを見ながらも全身全霊をこめて働かねばならんというのか。そうじゃなければ勤勉の認定は受けられないというのか!
 うわーん。そんなのいやだー。

仕方がないので私は勤勉であることを断念し、怠惰でないことを目指そうと思う。人呼んで怠惰撃退法。勇ましい名前の割には大したこっちゃないじゃないかこの軟弱者と笑わば笑え。妥協と言えば聞こえは悪いが、これは現実世界となんとか折り合いをつけていこうとするオトナ的態度なのである。いつまでも夢見る少年ではいられない。言い訳は壮大であれば壮大であるほどそれとは気付かれにくいものなのだ。
 えーとなんだ。怠惰でないこと。すべきことをしないでってのが怠惰だというのだから、すべきことをすればよいのであるな。うーん、今すべきこと。なんだろう。

このエッセイを書き上げることかしらん。

……なんだかものすごくまわりくどいワナにはまりこんでしまったような気がする。しかも今まで必死こいてここまできた挙句の結論だってんだから笑えないではないか。大体こんな作意が見え見えのオチなんてイヤすぎる。俺にはなにか他にすべきコトはないのかッ。一生涯をかけて向き合うような、そんな遠大でチャレンジャブルでしかもちょっとカッコいいようなナニかはッ。
 そんなものがあっさり見つかるようなら世界は今よりよっぽど平和だろう。なんだか妙な気疲れだけが募ってきたが、とりあえずすべきことを見つけることが先決のような気がしてきた。うーむ、日常生活に埋没してしまっているような現状ではなかなか難しいよなあ。そんな今の自分を客観的に見つめさせてくれるような、ちょっとした非日常の中に身を置いてみればなにかがわかるんじゃなかろうか。とすると、やっぱり旅にでも出るべきかもしれん……ああしかし金がないッ。うー。
 しかし、とりあえず怠惰でなくあるためにはなすべきことをなさねばならず、そのなすべきことが何なのかを見つけるためには自らを客観的に見つめねばならず、自らを客観的に見つめるためには旅行に出ねばならず、旅行に出るためには金が必要だということがわかった。それがこの4日間の連休のさなか、考えに考え抜いた果てに見出した結論ということになるのであろうか。

曰く、怠惰からの脱出には金が必要である。

というわけで自分が怠惰だなあと思ってイヤンな気分になっている皆さん。そこからの脱出にはお金が必要なんだそうですよー。頑張ってコツコツ貯金でもしましょうかね。まあゴールデンウィーク中なんか飛行機は通常運賃だし、どこ行ったって人また人だし、無理に出かけるこたないですよ。今から準備しておけば紅葉に山が燃える頃には近場の温泉宿で一泊二日くらいはできるようにはなるんじゃないでしょうか。きっとなりますって。いやー、なるといいですねえ。ははははは。

なんだか随分大げさなイイワケを考え付いちゃったような気分ではある。