ぼんやりしてる暇はないはずなのに

研修を受けていたら久しぶりにTCP/IPの話を聞くハメになりました。OSI参照モデルの話なんかも出てきて、ああそういえば結構前に勉強したよなあなんてことを思い出したりして。データ転送のしくみとか、NIC(LANカード)を識別するためにMACアドレスなるものが存在するんだとか。なんだか懐かしいような気さえしてしまいます。でもWordとかExcelとか、せいぜいInternet Explorerの設定のサポートをしてる分にはそんな知識使わないぞ。知識は知識として面白いんですが、とりあえず開発者でもなんでもない自分がこの知識を実地で使う機会は多分一生ないんだろうと思った。学問のための学問ってのはこういうことをいうんだろうなあ。

しかしですよ、学問のための学問と言ってみたところで、それはあくまで私の価値観にとっての感想でしかないわけです。ちらっと言ったようにメーカーで開発にあたってる人にとってはこれこそナマの知識なワケで、これがないときっとお話にならないことでしょう。
 似たような話はきっといろんなところにあるんだろうなあ、と工学部出身の私としては思ってしまいました。とくによく学校嫌いの人が「学校の勉強なんてなんの役にも立たない」などというわけですが、そういうことばかりでもないんだろうと。確かに一般事務で微分方程式を解く機会なんておそらく探したってないんでしょうが、ひねもす方程式解きまくりーな人も世の中にはきっといるに違いありません。
 それでも事務職員の人にとって微分方程式の知識が無駄なことには違いないわけでして、要は知識の利用率みたいな問題なんじゃないのかなーなんて考えてみました。そう考えてみれば、学校の勉強がムダだっていうのは「今の俺は学校の勉強が役に立たないような立場にいるんだよーん」という宣言の裏返しなのかもしれないです。もちろんそれはそれで一向に構わないんですが、どういうわけかそういうことを言うはときどき「だから勉強なんて必要ないんだー」なんていう聞いてみる側にとって見ればなんともありがたいことを言ってくれたりする。
 世の中には人の数だけ立場があるってことを考えてみれば、一概に学校の勉強が役に立つとか立たないとかは言えないと思うんですけどねー。多分その判断を下せるのは本人だけでしょう。もちろんアドバイスは必要かもしれませんけど、時としてアドバイスと押し付けを混同してる人がいるってのには困ったもんです。

つーか私は貴重な昼休みを使ってなにゆえにこんな文章を書いてますか?そういうことに気がついてしまったので今回は尻切れトンボなお別れです。それでは皆さんさようなら。