フライト前の二者択一

飛行機に乗る、ということにはひとつの大きな問題がある。つい先日東京出張の機会があって飛行機を利用したのだが、そのときにもやはりこの問題に直面して往生してしまった。

落っこちるんじゃないか、ということではない。墜落を怖がっていれば飛行機に乗らなくて済む、というのならいくらでも怖がるが、それを言うのであれば脱線が怖いと言ってJRには乗らず、交通事故が怖いからと言って自動車にも乗らない、としなければ不公平だろう。ことさらに飛行機の墜落事故だけを怖がるのは飛行機差別なんじゃないだろうか。世は差別撤廃のかけ声もかまびすしい。その流れに呼応するように世界中の飛行機が一致団結して組合を作り、ストライキを起こすなんてことにさえなりかねないのではないかと思うのである。人間だけが権利を主張する時代はもはや過去のものというわけだ。機械にも権利を!

それはさておき、僕にとっての問題というのは実のところ窓側に座るか通路側に座るか、というその点にある。

なんだそんなことか、と言ってもらっても結構だ。実際我ながらくだらないことで悩むもんだとも思う。だが、実際考えはじめるとこれがなかなか厄介な問題なのである。まあちょっと考えてみてください。

窓際に座ることのメリットはあえて言わずともわかっていただけるのではないかと思う。なんといっても特筆すべきはその景色のよさだ。
 札幌ー羽田間はせいぜい1時間30分ほどのフライトだが、それでも水平飛行時の高度は1万m前後になる。そこまでの高さにまで昇ってくる雲はほとんどないから、万年青空というわけだ。なんともすがすがしい。その上、そこからの景色というのはもはや筆舌に尽くしがたいものがある。
 晴れていれば地表が見える。学生時代に地図帳で見たとおりの地形が眼下に広がっているのだ。これ以上はないほどに楽しい地理のお勉強タイムと言えよう。これに比べて天気予報でおなじみの衛星写真のなんとおおざっぱであることか。海岸線は見事なまでの弧を描き、目を凝らせば波頭の白さまでもが目にまぶしい。マクロ過ぎずミクロすぎず。まさに絶妙のバランスにうっとり。
 そしてたとえ曇り空だったとしてもがっかりするには及ばない。どこまでも続く雲の大地。一度として同じ景色になることのないその様のなんと雄大であることか。時にはカルスト台地石灰岩のごとき種々雑多な雲が天を振り仰ぎ、時には油を流したかのように凪いだ平原がどこまでも続く。一度でも雲を上から見下ろしたことがある人にならわかっていただけるだろう。これがH2Oの群れだとは、にわかには信じがたい。もしかするとその中にはかつてどこかで自分と触れ合ったことのある水が形を変えているのかもしれないのだ。飲料水として体の中を駆け巡ったあの水か、あるいは道端ですれちがっただけのあの水溜りの水か。自然の織り成すその数奇なめぐり合わせの前には、世間にやたら垂れ流されている感動など足元にも及ばない。二度と会うこともあるまいと分かれたあのH2Oとの邂逅に心動かされず、一体なにに感動しようと言うのであるか。その感動は窓際の席をチョイスするだけで味わうことができる。素晴らしい。もはや窓際以外の席など考えられないではないか。

それに比べて通路側の席を選ぶことのメリットというのはなんとも実務的なものが多い。たとえば乗るときにも降りるときにもスムーズに動くことができるとか、トイレに立つときに隣席の人の膝をよっこらしょと乗り越えていかなくてもいいとか、飲み物を受け取るのがラクだとか、そういうことである。窓際の席の利点と比べると、なんと夢のないことだろう。
 しかし夢のなさを侮ってはならない。現実を見てみればそれは一目瞭然だろう。どういうわけかはさておいて、現代はとにかく効率重視、効率こそがなによりも尊いという効率礼賛な世の中なのである。ムダを省き、乾ききった雑巾を引きちぎらんばかりに絞るのがスバラしいのだ。そんなご時世にあっては、メルヘンチックな雲の世界がどうのこうのなどとのたまう輩になど用はない。世界を股にかけるビジネスパーソンが飛行機の窓に片頬押し付けて「わーい」なんて無邪気にはしゃいでいていいとでも言うのか?「ほら見てごらん、あれは僕が3日前に雪解け道でずっこけてびしょぬれになったときの水だよ」などとお気楽に脳天小春日和していていいとでも言うのか?否、否、否!いかなる時にも気を抜いてはならぬ、次の行動に遅滞なく移らねばならぬ。そのためには飛行機で通路席を陣取るのは理の当然であるといえよう。勝つか負けるか蹴り落とすか蹴り落とされるか。万一の不時着の際に、我先にと非常口に駆けつけることができるのは果たしてどちらの席からであるか、ちょっとでも考えてみればわかるだろう。そう、誰がなんと言っても通路側を選ぶべきなのである。

と、アツく語ってはみたものの、もちろんいずれを取るかは時と場合によって判断すればいい。プライベートの旅行であれば窓側を、仕事であれば通路側を取ると決めてしまえば、迷う心配などないのである。心の安寧のためには割り切ってしまうことも必要だ。理屈で言えばそういうことになる。

しかし理詰めばっかりではオモシロくないというのもまた事実なわけで。

たとえ仕事であっても、移動のときくらいはのんびりした気持ちになりたい。プライベートの旅行であっても「つねにスキのない自分」を演出して一人悦に入りたい。実に困ったものだが、そうした欲求はつねにつきまとってくる。枠に縛られてばかりの生活なんてまっぴらだ。しかもその枠を作ったのがほかならぬ自分自身だなんてゴメンじゃないか。俺はもっと自由に!自由に空を駆ける鳥になりたいんだ!
 こういう嗜好の持ち主は鳥というよりも糸の切れた凧のようなもんじゃないかと思うが、どうか。

さてかようにして世に悩みの種はつきまじ、ということになる。具体的にはチェックインの際にその悩みぶりは頂点に達する。そして実際つい先日もまた悩みに悩みまくってしまったのである。
 前日からどうするべきかとはもちろん考えている。いるのだが、いざ決断のときが迫ってみるとやはり、となるのはまさしく凡人の凡人たる所以だろう。しかしよいではないか、どうせ凡人なんだから。うーむ窓際でメルヘンか通路側でビジネスライクか。うーむ。  もちろん自動チェックイン機の前で腕組みしてうんうん唸っていては単なるオモロ人間である。しかも後続の皆様にも不要なイライラ感を与えかねない。しかるに僕はチェックインの前に機械の前をうろうろ。それでも決めかねてやっぱりうろうろ。時々気晴らしに買うつもりもない売店の前でさもなにを買おうかと悩んでいる風情をかもし出す。そしてまた機械の前に舞い戻って行ったり来たり。
 ……よし決めた!今回は窓際にしよう!雲は心の清涼剤!

そしていざチェックインしてみるとすでに人気の高い窓際の席は完売。

ぎゃああああああ。