Symphony No.9

文章を書くのに時間をかけすぎてセッション認証用Cookieの有効期限が切れやがりました。認証失敗で書き込み失敗。おかげで全部パーです。一生懸命書いたあの文章は電子の海の彼方に消え去ってしまったのです。しかたがないから怒りに胸をつかえさせながら思い出し書きすることにしました。実装したのは自分だから文句は自分にしか言えません。発散されたストレスがすぐさま自分に転換されるのはあまりいい気分のするモノじゃない。くそ。


Ludwig van Beethoven (1770-1827)といって連想するものはなにか。かつて小学生だったものすごくたくさんの人たちと同じように、私が思い浮かべるものもまたあの音楽室の肖像画に他なりません。歴史に名を残す数多の偉大なる作曲家たちのなかでも群を抜いた迫力を持つベートーヴェンの肖像画。表情は硬く引き締められ、鋭い眼光は見るものを突き抜けて床を焦がさんばかり。その形相は夜な夜なあの目が怪しく光るのだという噂にも奇妙な信憑性をあたえたものです。それはたとえばお隣さんであるモーツァルトが微笑む直前のような表情をしているのとはまったく対照的でした。しかしよりにもよって怪談のネタにされてしまうとは、ベートーヴェン本人にとっても思いもよらぬことだったに違いありません。200年近い歳月はかように偉大な人物を貶めるものなのであります。そんなことになるなら偉大になんかなりたくない、と小学生のころの私は心に誓いました。

そんな心配をしなくてもお前が偉大な人物になることなどない、と思ったのは実のところたった今です。そもそもそんな誓いなんか立ててないんですから。すいません嘘ついてたんです。


心和む昔話はそれくらいにしておいて、札幌コンサートホールの5周年記念コンサートに行ってきました。お祝いということでいつもよりチケットの価格が安かったのです。しかも曲目が「第九」であるという。あの迫力ある合唱をぜひ一度ナマで聴いてみたいものだと思っていた私にとって、それはまさしく渡りに舟でした。CDを聴いて予習もばっちり。初めて聴く曲なら寝てしまうに違いありませんが、これならきっと大丈夫だろう。はやる期待を抱えながらさっさと仕事を切り上げ、一目散にホールに向かいます。

実によく寝ました。

第一楽章は緊張感のなせるわざか、なんとか切り抜けることができたのです。しかし第二楽章の途中あたりから記憶はおぼろげに。まるで宇宙人にさらわれてしまった人のような言い草です。しかし第四楽章の冒頭、あのあまりにも有名な主題を耳にした瞬間に目が覚めました。このあたりはさすが第九です。他の曲だったらそうはいかなかったに違いない。耳がほとんど聞こえなくなった人物の作曲というのも頷ける気がします。あれなら地獄の底からでも合唱隊一団くらいは呼び起こせそうだ。

そして合唱。ものすごい大音声が体全体を揺さぶります。とても寝てなどいられない。人間の声は束ねることによってここまでなるのかという好例でしょう。それが高らかに「歓喜よ、美しい神々の火花よ、仙境の娘よ、我らは感謝の焔に酔いつつ、在天のものよ、御身の神殿による時流の厳しく分離したものを御身の魔力にふたたび結合し、御身の優しき翼の逗る処に全人類は同胞となるのだ(木村謹治訳)」と歓喜を歌い上げる。ドイツ語なのでさっぱり意味がわかりません。ついでに言えば日本語訳を読んでもよくわからない。とりあえず全人類は同胞となるようです。それはきっといいことだ。

演奏のよしあしは正直よくわかりません。あまりよい耳の持ち主ではないし、そもそも寝てたんだから。これで知ったふうなことをあれこれ言った日には演奏者全員に延髄を蹴飛ばされても文句は言えないでしょう。それでも演奏後なかなか拍手がなりやまず、出演者が三度四度とステージに呼び戻されたことは書いておいてもいいのではないかと思います。
 人ごみを避けてことさらゆっくり会場を後にすると、初夏らしい暖かな夜の空気が不思議と涼しく感じられました。