オープン性と玉石混交

  • Windowsのクラッシュが減る? MSが進めている取り組み(ZDNN)
  • ドライバの質を改善させることによってWindowsをより堅牢にしようという話です。

    まあWindows95/98/Meあたりが不安定だったってのは確かにそのとおりでしょうが、個人的にはWindows2000/XPあたりならそんなにブルースクリーンになることはないんじゃないかと思ってます。たとえばどのOSでも同じ確率でエラーが発生すると仮定すれば、そもそもの母集団が大きければエラーに遭遇する人も多くなるわけでして、Windowsだけがびぬけて不安定だとはあまり思わないんですけどね。そうでもないのかなあ。でもそろそろ信頼性の問題でWindowsを叩くのはやめにしたらどうかって気がするんですが。

    ともあれ、記事中ではMicrosoftが今までにもドライバの質を向上させる試みをしてきたことに触れています。なんだかんだでその取り組みはあまりうまくいってないですが、そこで引き合いに出されるのがMachintosh。AppleがハードウェアとOSをほぼ完全に掌握しているのにくらべてMicrosoftはPCをコントロールしきれておらず、質の悪いドライバが出回ってしまうのはそれが原因なんだとか。

    うーむ。

    まあ間違っちゃいないですけど、そこに至る経緯を考えるとこれはこれで仕方のない結果だったんじゃないかという気がしたのでそのことについてちょっと書いてみましょう。


    今じゃあんまりPC/AT互換機、なんて言葉を聞かなくなりましたけど、現在のPCはすべてこのPC/ATなる規格を源流に持っています。これは1984年にIBMが発売したパソコンをもとにしてまして、30年近い今になってもそれが引き継がれているという、ある意味『生ける伝説』みたいな規格です。

    とはいえIBMがいくらデカいったって所詮はただの一企業。その一企業の手による規格がここまで発展したのか。

    それは内部仕様が公開されたことにより、多くのサードパーティがどっと流れ込んできたからなんですね。ハードのドライバを書くにあたってわざわざライセンス料を払う必要がない。内部仕様が公開だから新しいデバイスを作ってドライバを書くのも比較的ラク。それならいっちょやってみるか、ってんで新しいデバイスはまずPC/ATからという流れができた。それによって市場も活況を呈したわけです。

    というように、PCが現在のように大きなシェアを獲得した要因は「オープン性」にあった、とするのはまあ一般的な見方だと思います。逆にきっちりと規格を定め、質の良いドライバじゃなきゃリリースしちゃダメ!としたのでは、たとえライセンス料が不要でもひとつのプラットホームがここまで普及することはなかったでしょう。

    ただし規格がオープンになって参入が容易になったことの弊害ってのももちろんありまして、そのひとつが今回取り上げられたようなドライバの質の問題ですね。多くのサードパーティが参入すれば、それだけ質の高低が出てくるのは仕方のないことです。オープン性と玉石混交ってのは切っても切り離せないのかもしれないですね。で、Windowsブルースクリーンの15%はドライバのせいだという。それは一体誰の責任なんでしょう。それがMicrosoftのせいだとは私はあんまり思わないですけど。

    というわけで、このへんの経緯を押さえておかないと「なんで今までMicrosoftはそんなドライバを野放しにしていたんだ。けしからん」なんていうちょっとピントのズレた批判が出てきちまうんじゃないかと思ったわけです。そもそもPCってのが「規格に適合しないものはリリースすることまかりならん」という性質のものではなかったわけですから、ある程度の不具合は仕方のないことなんじゃないかってことですね。その点、プラットホームから掌握してドライバなんかもきっちり管理してきたMachintoshとはそもそもの出発点が違う。PCはMicrosoftのためにあったわけではないってことです。それなら両者を比較するってことにはそんなに意味がないんじゃないか。


    ただMicrosoftがドライバの質をチェックするってのは、ある意味PCのオープン性にまったをかけようとする試みだとも言えるわけです。問題にするならむしろそっちなんじゃないのかなぁ。もっともMicrosoftが事実上PC市場を支配してるってのも間違いないんで、「今さらそんなこと言うなー!」な話ですけどね。まあ今回のはドライバ開発のためのツールを提供するという話のようで、これに反対する人はあんまりいないんじゃないかという気もします。どのメーカーのドライバは出来がよくて、どのメーカーのドライバはちょっとヤバいらしい、なんて情報を集めるのは結構大変なんで、それをMicrosoftが肩代わりしてくれるんならまあラクになっていいんじゃないでしょうか、と。

    これは記事中にも書いてありますね。そこは評価しつつも「とはいえ皮肉なのは、Microsoftのこの取り組みが成功した場合、時たま起きるクラッシュの責任を追及する相手は、いよいよMicrosoft以外にいなくなるということだ」と結ぶあたりがDavid Courseyらしいといえばらしいですけど、まあMicrosoftだってそれはわかってるでしょう。なんにしたってクラッシュする確率が下がるのはありがたいことですし、私はそれほど皮肉屋じゃないので素直にこの取り組みを歓迎したいと思います。

    なんだ、結局結論は同じかよ。


    とはいうものの、たとえMicrosoftがどれだけドライバのチェックをきちんとやろうとしたにせよ、そこを通さずに製品をリリースするところはなくならないです。一企業のクローズドな規格なら「そーゆー輩にはウチの開発ツールはやらん」で済みますけど、なんせ規格がオープンになっちまってるんだから止めようったって無駄なことでしょう。覆水盆にかえらず、ってな感じで、いったんフリーになっちゃったらもう元には戻せないんですな。というわけでこの取り組みが完全に成功してすべてのドライバが「よいドライバ」になるってことはありえません。でもMicrosoftの今回の試みは歓迎できますし、それによって認証を受けるドライバも増えることでしょう。悪いことじゃないです。

    ま、長く長く続くイタチごっこの一トピックとして捉えておきましょう、というところですね。