今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)(岡本太郎)

今まで自分が関わったことのない分野でよい本を見つける。これはなかなか難しいことだ。特にWebがなかった時代にはそうで、本屋で手当たり次第にソレっぽい本を手にとっては幾度となく敗れ去る覚悟も必要だった。それでも琴線に届く本にはめぐり合えず、徒労と引き換えに挫折を手に入れるなんてこともザラ。本の帯なんかアテにならないこと、誰が推薦していようがダメなのはダメなんてことをそうやって覚えていったと思う。
この本に出会ったのはWebの書評がきっかけだった。今となっては一体どこのページだったのかまるで覚えていないけれども、実際読んでみてその見知らぬ誰かがずいぶん熱心にこの本について語っていたことを思い出した。曖昧模糊としていた「芸術」なるものをどうやって捉えたらよいのか、おぼろげながら輪郭が見えてきたというのが正直なところである。「芸術」の捉えにくさは多くの人が感じていることだろうと思うのだけれども、そういう人はこの本を読んでみるといい。小難しいことは書いていない。とても明快に、そして鋭く「芸術」について語られている。その声が届くといいと思う。少なくとも私は、ずいぶん熱心に本書を読んでいた。1954年というから今からおよそ50年も前に書かれた本だなんて、読んでいる間には気がつかなかった。
岡本太郎といえば太陽の塔と「ゲージュツはバクハツだ!」の台詞__それさえも間接的に__しか知らなかった私にとって、これは望外の出会いだったと言える。それと同時に、見知らぬ誰かが私以外の誰かに向けて放ったメッセージがこうやって自分に影響を与えていることがとても面白い。それは風船につけて飛ばした花の種が、どこかで咲くようなものだ。黒田硫黄の『{{isbn "4091882323","セクシーボイスアンドロボ(2)"}}』にそういうエピソードがある。そこには花を咲かせてもらうのと咲かせるのとではどちらが面白いのか、なんてことが描いてあったけれども、その両方ができれば一番面白いなぁ、と欲張りな私としては思う。
本書が書かれてから約50年。著者である岡本太郎ももういない。けれども彼の飛ばした種は、たくさんの場所でたくさんの花を咲かせているだろう。