「なんたる 〜」 〜キケロについて

↑の文章で「なんたる怠惰」と2回書いたが、これはキケロのカティリーナ弾劾演説における「ああ、何たる時代、何たるモラル!」(O tempora, o mores !)のもじりである。名前だけは誰でも知っているのだろうが、実際にどのような人物だったのかを知っている人はそれほど多くあるまい。
マルクス=トゥルリウス・キケロ共和制ローマの末期に生き、貴族の出でないにも関わらず当時最高の地位であった執政官(コンスル)にまで上り詰めている。また、ローマ転覆を目論んだカティリーナの陰謀を察知し、先にあげた弾劾演説によってそれを阻止したことにより、元老院より「祖国の父」の称号を受けるに至った。
なんつーか、ああよかったですね、というくらいの経歴である。誰もそんなことは言っちゃいないが、さぞかし出世欲に燃えたヤなヤツだったのに違いない。周りのことなど顧みず、ただただ自らの出世街道を邁進するのだ。Go Go キケロ!輝かしい未来がお前を待っている!とか自分でテーマソングを作って、ツラいことがあったときには一人それを口ずさんだりして。うわー、暗っ。
一応言っとくけど、真に受けちゃダメだからな。
まあそんなふうにして上り詰めたキケロだが、カティリーナ弾劾以後の彼の人生は波乱万丈なものとなる。ライバルであるクロディウスによってイタリア追放の憂き目に遭うわ、やっと戻ってこれたと思ったらキリキア総督などという田舎に飛ばされるわ、カエサルポンペイウスとは確執関係に陥り、しまいには反アントニウスを唱えて暗殺されちゃったりする。わき目もふらずにハイテンションで突っ走った成り上がりエリートの、絵に描いたような末路といえよう。
なんとも元祖悪役エリート的な人生ではある。だが、彼が西欧の文化に与えた影響というのははかりしれない。「雄弁の父」として聞こえ、その弁論術は模範として仰ぎ見られた。近代においてはラテン語を学ぶ際、「一体いつまで、カティリーナよ、君はわれわれの忍耐を弄ぶつもりなのか」で始まるカティリーナ弾劾演説を暗証させられたそうであるが、これは西欧版「祇園精舎」というところか。
なんにせよ、紀元前のニンゲンが21世紀に至るまであまねく知られているというのは恐るべきことであるといえよう。というわけで、ちょっとでもその恩恵にあずかろうとして、ちょっとパクってみたりするのである。あまつさえ勝手にもじってみたりもするのである。いいじゃないかちょっとくらい。減るもんじゃないんだからさ。
(参考:キケロ―ヨーロッパの知的伝統 (岩波新書)(高田康成/岩波新書)"}})